?-02 孤独

 ヤスと別れた俺は、大通りから続く小道を抜け、海沿いの坂道を独り上っていく。すでに日も落ちた中、か細い街灯の明かりを頼りに足を進めると、やがて古めかしき我が家が見えてきた。

 玄関へと続く庭石を踏みながら真っ暗な自宅を眺めれば、人の気配というものが全く感じられず、中には誰も居ない事を否が応にも伝えてくる。侘び寂び、趣深い――物は言いようであり、近所の子供達からは幽霊屋敷呼ばわりされている。

 古く建てつけの悪い引き戸を開け、何も言わずに玄関へと足を踏み入れたところで、ふと思う。この玄関が帰宅を知らせる声を最後に聞いたのはいつになるだろうか、と。

 手を繋いで駄菓子屋まで連れていってくれた爺さんは、もういない。

 泥だらけの俺をしかりながら迎えてくれたお袋は、もういない。

 赤い顔で帰るなりゴツい手で頭をでてくれた親父は、もういない。

 そして、最後に残された俺に知らせる相手など、もういない。

 ただそれも世の摂理であり、悲しいとも思わない。早い遅いの差はあれども人はいつか死に、それは逃れられない。至極当たり前のことなのだから。

 石タイル張りの三和土たたきから上がり、廊下の照明を点ければ、人工的な明かりが即座に辺りを照らし出す。人間の感情とは案外単純なもので、視界と共に気分も幾らか明るくなる。

 茶の間の明かりを点け、テーブル前の座布団に座ってひと息つき、ふと部屋の窓の方へと目を向ける。純然たる黒一色を返すその空間をじっと見つめていると、まるで自分が闇そのものになり溶けていくような錯覚を覚え……それを打ち消すように立ち上がると、カーテンを閉じた。

 そこで腹が空であると訴えてきたので、とぼとぼと台所に向かいつつメニューを思案し……面倒なのでカップめんに決めた。多額の遺産もあるため、金銭的余裕が無いわけではなく、単純に食に対して興味がかないのだ。棚から買い置きのカップ麺を取り出すと、お湯を入れてタイマーをセットし、ただ、待つ。



 静寂

 いつもの静寂

 耳が痛い程の静寂


 ピピピピピピピピピ


 場違いに鳴り響くタイマー

 停止

 再び静寂



 茶の間の定位置に座ると、独り麺をすすり始める。何とはなしにテレビをつければ、ボランティア活動に従事し過ぎるあまり過労で入院した人が報じられていた。

 果たして、身を削ってまで人を助ける事に何の意味があるのだろうか。偽善という言葉が浮かんだが、価値観は人それぞれだろうと思い直し、強くリモコンを握ってテレビの電源を切った。


 戻る静寂

 啜る音


 空容器を片手に部屋を出ようとしたところで、棚に飾られた両親の写真がふと視界に入った。手に取れば、今は懐かしい親父の野太い声が脳裏をかすめる。


 ――男はまず肉体が強くなくてはならん。世には理不尽があふれていて、お前が確たる信念をもってそれに抗うには肉体的な力が必要だ。力なき正義は無力、特に子供のうちはな。だから強くなれ。そして大人になればという力をもって抗えばいい。だから勉強しろ。あと、モテる。


 幼少期の俺をボコボコに鍛えしごきながらの言葉だ。おかげ様でキラキラ苗字を馬鹿にしてくる番長系巨漢種いじめっこにも対抗できたし、この歳にもなれば後者の智についても実感が伴ってくる。……最後の発言は置いておくとして。

 この熱血教育方針は、五歳のときに病気でお袋を亡くした俺を、心身ともに強く育てようとしてくれていたのだと、今になれば分かる。ちなみに、お袋のことは……もはやほとんど記憶になく、記録に頼った面影のみだ。


 ――さらにだ、同様にして理不尽な目に遭っている者がいたなら、救ってやれる男になれ。その時差し出したお前の手は、まわりまわって必ずお前を救うだろう。つまり、モテる。


 これもよく聞かされた言葉だ。情けは人のためならず、要は正義の味方になれという事だろう。……最後の発言は置いておくとして。

 俺も幼少の頃は正義の味方にあこがれたし、町内を意気揚々パトロールしたりしたものだ。だが大人になるにつれて、一面的に善悪を語る勧善懲悪の薄っぺらさに気付いていくのである。また、助ける事が最善とは限らないし、そもそも自分一人が他人にできる事など限られていると分かってくるのだ。

 そうして現実を知った幼き正義の味方は、大小あれどもこずるく生きるようになる。もちろんそうではない人もいるが、結局のところ自分の首を絞める。本来護るべきものを、護れないこともある――そう、忌まわしき六年前の事故で亡くなった親父のように。


「あんたは、それで良かったのか……」

 

 俺はつぶやきとともに、写真立てをそっと倒し、茶の間を後にする。

 風呂に入って、二階の自室で宿題を淡々とこなし、床に就いた。

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