第27話 

エルは、馬に乗ったバルバドスが、石切場から去るのを見送った。


「バルバドスは心配しすぎなんだ」

イオアンの声にエルは振り返った。イオアンが背中を丸めてベンチに座り直していた。まだ、辛そうな表情をしていた。


エルが近づくと、イオアンは顔を上げた。

「私が不安定だった頃から護衛をしてるから、いまだにそれが抜けない。もう私の護衛じゃないんだから、もっと自由にしてもいいんだが」


ベンチの前に立ったエルへ、イオアンはローブの下から短剣を取り出した。

「これを返すよ」

エルは短剣を受け取ると、腰に下げた。

「役に立ったのか?」

「どうかな――」

イオアンは首を傾げた。

「私はすぐに気を失ってしまったしな。とにかく、ありがとう。エルも仲間のところへ戻るがいい」

「俺はあんたに――」

エルは目を逸らして告げた。

「――イオアン様に付き添うよ」


イオアンは微笑した。

「気持ちはありがたく受けとるが、もう大丈夫だ。これからひとりで帰る。ただ、ここは気持ちいいからな。もう少しゆっくりしていくが」

イオアンは目を細めて空を見上げた。


木々の隙間から木漏れ日が差し込んでいる。乾ききったイグマスの町に比べると、山の中の空気はずいぶんと涼しい。蝉の鳴き声、川の流れの音――聞いているのも耳に心地よく、遠くからは石切場で石を砕く音も聞こえてくる。


ふたりは周囲の音にしばらく耳を傾けていた。


「いいのか?」ふいにイオアンが口を開いた。

「何が?」

「戻らなくて? 仲間が心配するだろう」

「――うん」

ゆっくりとエルは頷いた。

「心配はしてるか分からないけど、どうなってるんだとカルハースは思ってるだろうね、でもイオアン様だってそうだよ」

「私がどうかしたか?」

「俺はイオアン様のことが心配だよ」

「私は大丈夫だ」


「本当にそうかな?」

エルはイオアンへ顔を向けた。

「自分ではそう思ってるかもしれないけど、何だか危なっかしいよ。世界は本の中とは違うんだぜ。だから、あのおっさんも心配するんだ」


「――他人ひとからはそう見えるんだろうな」

ちょっとイオアンは凹んだようだ。

「いつも、しっかりしなくてはと思ってはいるのだが――おまえは自覚が足りないと、よく指摘される」


「そうじゃなくてさ――」

エルはもどかしい思いで伝えた。

「イオアン様はそれでイオアン様なんだろ。仲間なんだから、足りないところは助けるよ。だからもうしばらく――俺はここにいるよ」


「仲間?」

イオアンが不思議そうに口にした。


「俺は――」

エルは気恥ずかしそうに顔を背けた。

「そう思ってるよ」


「仲間?」

イオアンは聞き慣れない言葉のように、もう一度繰り返した。


エルが不審そうに訊いた。

「イオアン様だって仲間がいるだろ」

「仕事の同僚のことか?」

「それも仲間かもしれないけど、仕事がなくたって仲間は仲間だよ」

「仕事抜きでも成立する関係性? あまり想像できないな。血がつながった家族、親族は除外するとして、むしろ煩わしいだけだと思うのだが?」

「煩わしい?」

「だって気を使うだろう? 仕事関係なら関わる範囲は明確だ。だが、仕事抜きとなると、どこまで相手に踏み込んでいいものか気を使うじゃないか」

「そういう余計な気を使わないのが仲間なんだよ」

エルがちょっと怒ったように答えた。

「済まない。あまり経験がなくてな」

「――だから、俺が仲間になるよ」

「本当に構わないのか?」イオアンが申し訳なさそうに尋ねた。

「だから、そういうことは、いちいち確認したりするもんじゃないんだって!」


「そうか――」

イオアンの口もとに微笑が浮かんだ。

「じゃあ、エルが初めての仲間――いや、二番目になるのか?」

「え、他にいるの?」

驚いたエルに、イオアンが頷いた。

「エルが指摘する条件を考えると、バルバドスも当てはまると気づいたんだ。私の護衛になったのは五年前だから、バルバドスが一番目の仲間になるな」


「いや、それはどうかな――」

エルは眉を寄せ、真剣に考える表情をつくった。

「あのおっさんは護衛だから、契約で発生した関係だよね。仕事抜きの関係と言えるかどうか――本当の仲間とは言えないんじゃないかな」


「そうか、私には仲間がふたりいると思ったのだが」

イオアンは残念そうだ。

「そうなると、エルが私の初めての仲間なのか」


「うん。そうだよ!」

頷いたエルは、ベンチの前に立った。

「というわけで、俺は仲間だから、イオアン様の手当をさせてもらうよ」

「手当て?」

「ほら、額を切ってるだろ」


エルに指摘されたイオアンは額に手をあてて、思わず顔を顰めた。固まり始めているが、指の先には血がついていた。


「気づかなかった。発作を起こすと、どこかによくぶつけるんだ」

「水を汲んでくるよ」


エルは水桶を見つけると、川岸まで駆けていき、冷たい水を汲んだ。水桶を運んで戻ってくると、イオアンの座っているベンチの前に椅子を引き寄せた。椅子に座り、スカートをたくしあげ、木綿のシュミーズを切り裂く。その切れ端を水に浸し、立ち上がって、イオアンの額の血をふき取った。眉の上が切れていた。


イオアンの表情を見て、エルが訊いた。

「痛い?」

「少し沁みるかな」


イオアンの額の血は、顔の側面を伝わり、首もとまで流れ、イオアンのローブを赤黒く汚していた。エルは、イオアンの頭に顔を寄せて確かめながら、丁寧に拭き取っていった。ベンチに座っているイオアンはじっとしている。その首筋まで血を拭ったところで、エルは一歩身を引いた。


「――あのさ」

「どうした」

「首もとを拭くのに首飾りが邪魔なんだよね。外してもらえる?」


イオアンは一瞬躊躇したようだが、ローブの中からペンダントを取り出した。立ち獅子に十二の星の金細工が、夏の日差しに輝いた。昨日の朝、市場で遠くから見たものが、いまエルの目の前にある。視線が吸い込まれそうだった。


エルがイオアンに頼んだ。

「ペンダントを取り出すだけじゃなくて、首飾りごと外してほしいんだけど」

「首飾りを外すのか?」

イオアンはやや狼狽えた表情になった。

「うん。だって、そのほうがいいだろ」

「私はこの首飾りを身につけて以来、一度も外したことがないんだ」

「え、そうなの」

エルは驚いた。

「でも、普通に外してくれればいいよ」

イオアンがうなじに手を回し、自分で首飾りを外そうとしたが、上手く外せない。

「後ろに小さな留め金があるんだ。エルが外してくれないか」


エルは近づくと、イオアンの首の後ろに手を回し、首飾りの精巧な留め金を一瞬で器用に外した。先生と一緒に旅した頃を思えば、簡単なことだった。

外した首飾りとそのペンダントが、いまエルの手のひらの中にある。その大きさと重たさと美しさに驚きながら、何だか怖くなってきたエルは、すぐに首飾りをイオアンに手渡した。


イオアンは首の後ろ側を手でさすった。

「不思議な感じがする。外したのは、ずいぶん久しぶりだからな」


エルは布切れで、イオアンの胸もとまで血を拭き取った。額のあたりからまた血が滲み出ている。エルはふたたび椅子に座ると、さらにシュミーズを長く引き裂いた。立ち上がったエルは、それをイオアンの頭に包帯のようにぐるぐると巻いていった。


イオアンから体を引いたエルは、離れて様子を確かめると、よしと頷いた。

「これでしばらく大丈夫だと思うよ」

イオアンは頭の包帯に触れた。

「ありがとう。また着けてもらえるか」

イオアンが差し出した首飾りを、エルは見つめた。

「その形になんか意味があるの?」


「これか?」

イオアンがペンダントを取り上げた。

「私も詳しくは知らないが、まわりの十二の宝石は、空間と時間を十二分割した領域のそれぞれの特徴を表しているらしい。真ん中の立ち上がった獅子は、それらをひとつに統合する大きな力を示している――こう教えられた」


「なんだか難しいんだね」

「難しい」

イオアンは同意した。

「この意味を正確に理解していないと、ペンダントが秘める力を使いこなせないそうだ。私には無理そうだし、むしろ重荷に感じるが」

エルは意外そうな顔をした。

「イオアン様は着けてたくないっていうこと?」

「ああ、着けていたくない」

「じゃあ――」エルは不思議そうだ。「無理して着けなければいいじゃん」


「そうもいかない――」

そう語るイオアンは複雑な気持ちのようだった。

「受けとった以上、引き受けなければいけない義務のようなものだ。簡単に拒否するのではなく、自分がこの首飾りに相応しくなるように努力すべき――」

イオアンはエルの表情に気づいた。

「すまない。つまらない愚痴を言って混乱させてしまったようだ」

イオアンは首飾りをエルに差し出した。

「私は不器用だ。上手く着けれない。やはり、エルが着けてくれないか?」


エルは首飾りをイオアンの首にかけた。


「さて――」

イオアンが空を見上げた。

「そろそろ、お互いに帰ろう。私も昼過ぎにはイグマスに戻りたい」

「もう帰るのか」

「ちゃんと傷の手当てもしてもらったしな」

「もっと、ゆっくりしていけばいいのに」

エルの言葉に、イオアンは微笑した。

「ここは、エルのうちじゃないだろう。そろそろ石工たちも使うだろうし」

「そうだけどさ」とエルは口を尖らせた。


「ねえ」

とエルが問いかけた。

「イオアン様は、俺たちのことに興味あるよね?」


「お前たち?」

突然の質問に、イオアンは怪訝な表情を浮かべた。

「首なし騎士団――トリステロのことか?」

「うん、俺はただの見習いだけどさ、本物の騎士団に会ってみたくない?」

「もちろん、それは会ってみたいさ。書物の中でしか知らない存在だからな」

「じゃあ、会ってみる?」

エルの悪戯っぽい表情に、イオアンは半信半疑で確かめた。

「会うって――会えるのか?」

「うん、隠れ家に行けば会えるよ」

「隠れ家?」


「そう。俺たちトリステロは町の宿に泊まったりはしない。帝国の辺鄙な場所のいたるところに隠れ家を持ってるんだ。いま俺の仲間は、近くの隠れ家で過ごしてる。だから、そこに行けばみんなに会えるよ」


「しかし――」

イオアンには信じかねるようだった。

「おまえたちは、皇帝に従う公爵家、伯爵家を敵視しているだろう。私はセウ家の――に属する者だ。私が訪れるのは、さすがにまずいんじゃないか」


「まあねー」

エルは頬を掻いた。

「でも、イオアン様はオウグスをやっつけたんだから大丈夫だよ」

「やっつけただなんて、そんな――」

「騎士たちを追い払っただろ」

「結果的にはそうなったかもしれないが――」

「俺がイオアン様の仲間になったんだから、トリステロにとっても仲間だよ」

「そうなのか?」

イオアンは疑わしそうな顔をしている。

「危険な目にあったりしないのか」

「ないない」

とエルは笑って首を振った。

「俺たちはそう見られてるけど、仲間になったらそんなことはしないよ」

「もちろん仲間になったら、そうだろうが――」イオアンは呟いた。

「それに、隠れ家はすぐそばだよ」

「ここからか?」

「だって、そこを目指して俺は逃げてたんだからね」

「私は体力がそこまで――」

「すぐ着くって」

「望まれない客として、押しかけるようになるのは不本意なんだが」

「そんなことないよ」

「うーん、決めかねるな」

「いま無理して決めなくてもいいよ、隠れ家を見てから決めればいいじゃん。見るだけならいいだろ?」

「――それならいい、のか?」

「じゃあ、すぐに出発しよう!」


エルは、首を傾げているイオアンの手を引っぱって、ベンチから立ち上がらせた。

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