第34話:果てなる天辺




『―――……ッ、……から、だ―――うご、かね……』



 魔術による結界で閉じ込められたわけでなく、拘束されているわけでもない。

 しかし、女は動けなかった。


 魔術も山ほど受けた。

 己の技も出し切った。

 その上で彼女が地を舐める屈辱を受けたのは。

 未だ眼前に立っている存在の、災害たる攻撃の数々を身をもって確かめた故。



『本当に、凄いわよねぇ……』



 地形の変わった戦場に、未だ余裕の声が響き渡る。


 深い森が、連なっていた山が。

 全てが僅かな時間の中で荒野のように枯れ果てた現在へ至っても、纏うローブには汚れ一つなく。

 己が武器すらも持たぬ存在は、紫の瞳で女を見下す。



『人間種って、どうして短期間でこんなに成長できるのかしら。ひょっとして、貴女たち生き急いでるの?』

『………な、わヶ』

『そうよね、そんな訳ないわね』



 深紫にも近しい艶を持つ黒髪をなびかせ。

 首を傾げていた存在は、女の言を肯定するように頷く。


 戦闘中もそうだったが。

 深い帽子の陰にちらりと覗く長耳は、異種族の証。


 ―――それは、魔族。


 果たして、疑問になど思っていたのか。

 或いは、最初から只の冗談だったのか。

 間もなく出された魔族の結論を敗者への挑発だと感じた女は、絞り出すように言葉を紡ぐ。



『ばけ……もんが……』

『―――あら? 貴女が言うのかしら』

 


 女の言葉に魔族の首が動き、開放的な戦場をぐるりと見渡し。

 嘆息したように再び視線を落としてくる。


 妖艶な仕草で頬に手を当て。

 女の耳元で屈み、先程より小さく言葉を紡ぐ。



『―――えぇ、本当に……。武器の一振りで木々を吹き飛ばして、岩山を斬り刻んで。挙句、走って音速に匹敵……なんて。ふざけているのは貴女も同じじゃない』



 ……………。



 ……………。



『あと、聞こうと思っていたのだけれど。貴女……、純粋な人間種じゃないわね?』

『……!』

『無論、古い祖先の事なら、そう珍しい話でもないのだけれど……。多分、亜人……狼人かしら? 遠縁の先祖にいるでしょう?』



 目を大きく見開いてしまったのは、その言葉が正解だったゆえ。

 一般にはワーウルフ。

 又はヴェアヴォルフ。

 流浪の民族であった戦狼の氏族が、祖先に在ったと女自身は聞いているゆえで。


 女は、自身を普通の人間だと自負しているが。

 だが、一般の人間種より、ごく僅かに身体能力が高かったのも確か。


 生きている者では、今や己以外知る者のない情報を。

 いとも容易く見抜いた魔族を見上げる。



『……何、なんだよ、お前―――はッ」

『わたし? ……そうだったわ。自己紹介すらしていなかったものね。突然、貴女が襲い掛かって来たんだもの。私、ちゃんと挨拶しようとしたのよ?」

『……ッ』

『私は、イザベラ。イザベラ・ローレランス。見ての通りの、魔族……妖魔種。一応、【黒魔こくま】の二つ名を賜り、六魔将の一角を任されているわ』



『……あぁ、そう。担当区域は南部よ』



 ―――六魔将……とは。

 人界の国家にとって、真なる絶望と同義の言葉。


 西部の厄災【黒戦鬼】サーガ


 北部の亡霊【魔聖】エルドリッジ


 語られる【暗黒卿】ラグナ・アルモス


 判明している存在等は、一様に物語に語られる程の逸話を持つ。


 黒戦鬼と相対し肉体を失わぬものなし。

 魔聖の領域より精神が戻ることなし。

 各々が数百年は生きているとされながら、極端な情報の少なさは、より強い恐怖と共にその存在を認識させ。


 冒険者ギルドもまた、その存在の把握に多くの犠牲を出したが。


 アレ等に続く魔皇国の支配層。

 冒険者ギルドでも完全には把握できていない、未判明だった最高幹部。


 己を見下すこの妖魔種が―――と。

 そう認識した女は、歯をきしらせ上を見上げるが。


 ……敗北してようやく理解する、あまりの規格外。

 戦闘の前に女が感じていた「勝てないかも」など、あまりに生易なまやさしい。


 全ての属性を天災の規模で行使し。 

 他人の魔術すら簒奪さんだつし、支配する。

 自身がこれまでに相手し一蹴してきた魔術師など、それこそ幼児の遊戯ごっこにすら思えるような。

 そんな、怪物だった。



『……お前が―――ろく、ま』

『えぇ、そういう事になるわ。良かったわね。貴女たち、調べてるんでしょう? ……改めて外部から言われると、凄く複雑だけれど」

『―――ァ……?』

『私、アレおかしいと思うのよ』

『………なに、が』

『それ、同列ってことでしょう? 聞くと、皆同じくらい強いって思うじゃない。実際、第二次改革からは軍部の方針が私たちの合議制でなっているのも事実だけれど……』



 自身が軍の統率者であることを肯定していながら、認めていながら。

 何を含むところがあるのか、と。

 女が問うより早く。



『私より―――ずっと強いの。呆れる程に、ね』



 無情も甚だしい答えが返ってくる。



『そうねぇ……―――ラグナ・アルモス。聞いたことあるでしょう? 彼とお爺様は、また別格の化け物なのよ。私、ただの研究職なわけだし』



 感覚を殆ど感じない女の掌に力が籠る。

 身体に熱がこもる。


 それは―――侮辱か。



『ひき、こもり……の。研究者サマが……なん、で……!!』

『あら、……ふふっ。貴女、もしかして何処かであったことがあるのかしら? ……一度、現代の人類最強と戦ってみたかったのよ。えぇ、良いデータが取れたわ。最後に国を出たのも二百年近く前。敗北して、敗走して以来だもの。貴女が居てくれて、本当に良かったわ』



『―――最上位冒険者、赫焔眼さん?』



 ……………。



 ……………。



 今度こそ、掌を強く握る。

 偶々転がっていた石くれが、粉々に砕ける。



『―――お前、ふざ、け……ッ』

『想像以上に強かったわ』

『……ふざけんな』

『疲れたから、帰るわね』

『ふざ……ふざ―――――けんなッ!』



 それは、つまり。


 ―――戯れだったと。


 最上位冒険者たる自分は、人類の頂点たる自分は。

 所詮、その程度……片手間に相手できる程度の能力しか持ちえない、取るに足らない存在だったというのか。


 激昂げきこうする女に対し。

 それが事実だと言うように。

 まるで気にも留めず、ゆっくりと去っていく魔族。



『まてッ! とどめ刺してけえぇぇ―――ッ!!』



 血反吐をまき散らし。


 倒れるままに、吠えるが。

 魔族は、女へ振り返りもせず。



『冗談……。人界戦力は減らしたくないわ。陛下にも、伸びしろのある子をむやみに潰すなって言われてるもの』



 呟きにも似た言葉を残し。


 また、悠々と歩いていく。


 ……女は、何もできず。

 ただ、倒れていることしかできず。



『あああぁぁぁぁッッッ―――!!』



 かつてない恥辱を覚えると同時に。

 怒りと共に、ある一つの感情が堂々めぐりのようにくすぶり続けた。

 くさびのように身体の芯へとねじ込まれた。



 ……………。



 ……………。



 ―――その日から。



 女は、恋い焦がれるようになった。

 元より、糧を得る為という理由ならば、最上位になどなりはしないのだから。

 糧を得る為なら、上位でも。

 否、中位冒険者でも、旨い飯を毎日食い、日々の快楽を得るための額を稼ぐことは容易にできる。


 「楽しむ」


 戦いに快楽を見出しでもしなければ。

 そうでなければ、変異個体、最上位種、竜、魔族などを相手に好き好んで戦い続ける事などしない。


 そのレベルへ手を伸ばす者は、全員。

 調停者……お堅い天弓……どれだけ取り繕おうと、皆少なからず楽しんでいる。


 命のやり取り、殺し合いを。


 だから……完全な敗北を喫しても、同じだった。

 女は何処まで行ってもそれを求める、求め続け、その結果死んだなら何一つ悔いはない。


 そう、必ず……必ず。


 いつか、必ず。


 あの魔族が別格と評したモノと。

 真なる化け物と剣を交えたい……否、交えよう。

 

 必ず、必ず、戦う―――冒険者ソニアは、そう誓った。




  ◇




「ハハハァッ、ハハハハッッ―――――ッ!!」



 斬る、斬る、斬る、斬る。

 しかし届かない。

 まるで届かない。


 それが、途轍もなく面白い。


 魔族―――最果ての種族。

 奴らと戦ったことは何度もあった。

 度々東より飛来する騎士共を相手取るのは私の楽しみの一つであり。


 厄災を留めるのは、己らの役。

 それこそ、目の前の暗黒騎士と同格とされる存在、黒魔。


 アレは、強かった。


 最上位冒険者になって。

 天辺てんぺんまで上り詰めて以来初めて、どうしようもない程に手も足も出ないという事を知った。



「……………」

「―――何とか言えよ! 楽しもうぜッ!?」



 黒魔は、雄弁だった。


 こちらが尋ねなくとも。

 色々な情報を、自分からペラペラと語ってくれた。


 だが、コイツはどうだ。


 まるで物言わぬ鉄仮面。

 兜の奥に輝く双眸は、しかし生気を感じず。

 まるで作業でもこなすように、面倒とさえ思っていそうな光を宿し、私の攻撃を余さず捌く。


 元より、数百年生きているというバケモノ。

 超越しているのは驚かないが……あぁ。

 まるで、知っているかのように。


 斧槍の動き、剣の動き。

 相手は、まるでこちらの動作が分かっているかのように、この変則二刀を避ける。


 

「……それ、直感か?」



 いや、違う。

 コイツは、私の戦いを知っている……?


 だが、それこそあり得ない事だ。

 私がこの戦い方をするのは、恥知らずにも真の格上と認めてしまった者共と命を削り合う時。


 同格の最上位共でもなく。

 本当にヤバい連中と、命を懸けて戦う時だけで。


 嘗て殺されかけた六魔将。

 深淵を征くあの女。

 そして、とんでも人間の総長と……偶々居合わせ、戦いを見物していたヤツら程度。

 それゆえ、姿さえも殆ど目撃されないという化け物様が、コレを知っている筈はなく。

 


「―――喰らえ、“大妖のブロッケン・焔影スペクター”」



 斬撃の終わり際に放つは、一帯を焼き尽くす大質量を火球に圧縮し、極小の太陽として音速で打ち出す一撃。

 身体に当たれば、まず消滅。

 例え剣で受けようと、武器ごと蒸発するような技で。


 ……まぁ。

 当たらねば意味のない、挨拶のようなモノだが。


 打ち出された太陽が敵へ着弾するより早く。

 騎士が武器を振り……赫黒い剣閃が走る、文字通り全てが消える。


 魔術は元より。

 間合いに存在していた全てが、だ。


 空間を削り取ったかのような、あり得ざる能力。

 それを目の当たりにし。

 一瞬で穂先の刃と斧が消滅した槍を手に、思わず笑みを漏らす。



「ははッ―――……なら、こうだ」



 槍を後ろ向きに返し、もう一方の手に握っていた魔剣を柄の端に装填そうてんする。

 試し振りと、数十を一瞬で繰り出し。


 全て剣で捌かれるも。

 その使用感に、笑みを深くする。



「ソードスピア……ってとこか。くくッ―――そらぁッッッ!!」

「………!」



 再び交じり合う刃の火花と共に、魔剣がする。

 グロリア迷宮から出土したというこの剣には、失伝した古代魔術が刻印されていた。


 魔力を流すと、刀身が無限に爆発する性質を帯び。

 交じり合った相手の武器がなまくらならば、容易く破砕する狂暴性を有し。

 それで尚、本体は傷一つつかぬ業物。


 素晴らしく私好みの武器だが。

 剣という、間合いの短い武器を使うままに発動などすれば、当然使用者をも巻き込む欠陥品で。

 満足に利用する方法を考えた末の産物が、この使用法だ。


 黒剣と魔剣が交わり、爆風が散る。


 再び交わり爆発し、交わり爆裂し。



「……!」



 遂に、騎士の握っていた強固な黒剣の刀身が半ばから砕けて散る。


 この機を逃す手はなく。

 武器を握る己の双腕が肥大し、血管が浮き出る。


 騎士の胴目掛け、槍先の魔剣を―――……ッ!


 一瞬の間に。

 暗黒騎士の腰に、先程の業物と全く同じ形質の長剣が現れる。



「知った事かァァァ!!」



 だが、迎え撃つならば、それさえ砕こうと。

 あらん限りの力を込めて槍を突き出し、また容量ギリギリ、あらん限りの魔力を込めて刻印を起動。

 

 赫色に熱された破壊の一撃は、騎士の胴へ吸い込まれ。

 天さえ割れんばかりの衝突音が響く。



 ……………。



 ……………。



 砂埃が晴れ、顕わになる視界。

 魔剣の切っ先が、腰から引き出された黒剣の刀身にピタリと受け止められている。


 黒剣には、確かな罅が入っているが。

 あの一撃でさえ砕けなかったソレを眺める間もなく、背中に冷たいものが走り後ろへ跳躍。

 同時に、旅装の革防具に深い十字が刻まれる。


 ……今の一瞬で二連撃。

 鞘も存在しない魔術武器で、抜刀術の真似事とは。



「おい、おい……。今ので割れねえのか。ソレ、土属性の武器作成だろ? 作れても脆くてあんま役に立たねぇと思ってたが、随分頑丈な―――……ァ?」



 感心に紡いでいた言葉が、己の意思に反して消え失せる。

 ……何だ、この違和感は。


 今のなんら不自然の存在しない攻防に、何故これ程の違和感を?

 感じた己自身すら、ソレが理解できず。


 思い起こす、今の行動。

 こちらの刺突……衝突に対し。

 ヤツは、まるで鞘から半ば引き出したような態勢の剣でソレを受け止め―――。

 

 続くは、防御を転じた反撃。



 その動きは……………癖……か?



 ならば、この違和感は―――既視感か?

 では、私はコレをどこで見た?



 ……………。



 ……………。



『これが本当の中抜き―――』



 ……………。



 ……………。



 それを思い出したのは、完全に偶然。

 忘れっぽい自身が、いずれ必ずぶん殴ると心に留めておいた程に下らぬ冗談だった故で。


 己の中で穴が埋まり、記憶のピースが嵌る。

 甘美な解放感と共に、全ての疑念が晴れる。


 だから、ずっと気持ち悪かったのだ。

 だから、ずっと意味不明だったのだ。


 だから、だから、だから、だからッ!!

 だからこそ、だったのかと。



「―――そういう……そうかッ! そういう事かァァッ!! ……はは、はははッ!」



 滑稽も滑稽だった。

 まさか、知らず知らずのうちに。



「んじゃあ、当然コレも知ってるよなぁ!? なぁッ!! “錬技・赫灼迅雷かくしゃくじんらい”ィ!!」



 練気の更なる上位派生。


 私が到達した人の果て。


 自身の身体能力を爆発的に跳ね上げ。

 例え魔族の身体能力であろうと、決して劣る事など無い剛力を引き出す強化魔術を行使し。 


 その上で、更なる攻撃術を呼び起こす。



「“紅蓮乱流・天蓋てんがい焦がし”」


 

 “大妖の焔影”―――極小の太陽が、幾重にも出現し。

 互いに混ざり合い、殺し合い。

 

 今に喰らい合っていた焔へ、指向を与えて敵へ撃ち出す。

 絶滅の朱光は、視界を埋め尽くし。

 空間を喰らい尽くして尚足りない程の熱量が、轟音ごうおんと共に全てを灼け焦がしながら騎士へと突き進み……。



「―――――――」

「………おい、マジかよ……!」



 長剣で払われ、またも一瞬で霧散する。

 私が放てる最大威力の最上位魔術をほんの一瞬、たった一振り。

 ……剣術ではなく、魔術なのだろう。

 あの攻撃を、ただ武器を振るうだけで消滅させられる筈はないのだから。


 だが、断じようとも防ぐ手立てなどなく。

 最早笑う事しかできない。



「ははは、バケモンが」



 もう疑惑ではなく……確信。

 死の淵で磨け上げた超直感が、本能が。

 そうであると結論付け、微塵も疑う事なく間違いないと決めつける。



「墜ちろ―――――邪竜ノ山牙シュトレンヴルム



 振り上げた一振りの魔剣が火柱と化し。

 縦に払った一閃は、災害の質量で暗黒騎士を襲う。


 だが、その一撃すらも。

 

 届く以前に、纏わせた輝きは霧散。

 力を失った剣技を往なし、相手は返す刃で斬撃を繰り出す。



「―――ふっ――ククククッッ―――ハハハハハハハッ―――!!」



 かつてない程の充足感。

 至上の喜びと、多幸感。

 ほんの数ミリ横を死が掠めただけで、絶頂する程の喜びを感じられる。


 にやける顔も。

 溢れ出るような笑いも……全てが止められない。


 ほんッッ―――とによ。


 お前……何が、「私は人間」だよ。

 理解が追い付かないくらい、とんでもねぇ爆弾持ちやがって。


 総長は、アイツらは……?

 否、知る筈がないだろう。

 特に彼女などは、もしもそれを知ることになったのならば。


 全力でこの男に立ち塞がっただろうから。

 


「おい、おい―――ッ! だからオレは言ったじゃねえか!!」

「……………ッ」




「ハハハハハッ―――ッ!! お前がッ―――――

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