第32話:因縁の終焉



 

 生物の成長と欲求を促す根源的要素の一つとして、大きく挙げられるのは、「憧れ」だろう。

 勇者の英雄譚に憧れ。

 庭先で、勇ましく棒切れを振り回す少年。

 街で一目見た魔術に憧れ。

 専門機関に入学を志しつつも、金銭的事情から独学に機を見出す少女。


 ……そうだ、幼子らと同様、……己は、強く深く憧れていた。


 彼に、彼らに。


 敬愛すべき、魔術の極致……我らが長。

 そして、畏怖すべき恐怖と粛清の化身。

 

 己の属していた組織は、当時既に前時代の遺物。

 所属する多くが老兵。

 そんな中で己が第二位に存在していたのは、実力以上に先の未来を期待されての事。

 後を託されての事だった。


 多くの者が国の未来を憂い、いしずえと立ち上がり。

 己はただ、その足跡をたどり、憧れを以って背中を追いかけていただけだった。


 ……表の目的、裏の目的。

 その全てを知ったうえで長の立案した計画に賛同し、後に続いた。


 未だ若かりし頃の記憶……かつて―――二百と数十年前。

 千年国を揺るがす戦乱の中。

 己は、極東の一地方で彼の騎士と戦いを繰り広げ、敗れ……死んだ、筈だった。


 しかし、己は寸でで生きていた。

 ……否、生き返った。

 死霊種という第二の生を得た訳ではない。


 予め存在していた、萌芽する直前だった魔人化処置が覚醒した事により、落ち延びたのだ。

 当時、騎士は私が生きているなどとはつゆも思っていなかっただろう。

 遅れて魔人として覚醒したゆえに、研究所の消滅によってすら、四散した己の肉体は何ら変わりなく再生した。


 存在しない悪霊として、僅かに残った残骸の資料をかき集め、西へと逃亡し。

 残骸を以って、地位を築いた。

 彼に対する恐怖から、より遠くへ逃亡すべきだと考えていたのもある。



「……ですが、今、は―――ぐッ……。ふふ……ッッ」



 今は、違う。

 この身すらも残骸。崩れゆく肉体は、もはや死を逃れることは決してできない。

 遂に、夢が現実になるのだ。


 二百年以上、夢に見ていた最期。

 恐れていた、最期の瞬間。

 

 二百と数十年前、彼に。

 二百年前、当時の勇者たちに。

 八十年前、彼率いる騎士団に。


 ―――七年前。

 二百年来の因縁ともいえる、【調停者】が率いる冒険者ギルドに。

 そして、今回。またしても、彼に教えを受けた当代の勇者二人に。


 全てで糸を引いていたのが。

 もう、随分と長きにわたって戦い続けた男。

 数え切れぬ程に幻視し、恐れ、しかしこれ迄一度として現実になっていなかった光景が、ようやく……。


 

 鎧の硬質な足音が。



 黒く輝く剣の光が。



 ―――もう、そこまで近付いている。

 全ては終わらせるために、己を処断する為だけに、その長剣を抜き放つ。


 暗き兜に覆われた紅き双眸が、遂に己を捉えている。



 ……………。



 ……………。



「―――やはり。やはり、貴方自ら来られましたね。……直接会うのは、二百二十ぶり、ですか」

「……………」



 問いへ返答は無く……それも仕方なきこと。

 およそ、彼は己以上にこの瞬間を待っていたのだろう。

 必ず処断する、その為に。


 ……この状況に対し、怒りは当然にない。

 しかし、おかしなことに。

 今日までの敗北で幾度と感じていた恐怖すら、欠片たりとも存在していない。


 今が自身の死期なのだと悟っている。

 

 それ故。

 むしろ、気分は驚く程に晴れやかで。



「くくっ……、……えぇ。そうでしょう。そうでしょうとも」



 この瞬間にも、崩壊に向かう身体。

 “浄化”の一撃を受け、今や歩くもままならず。


 崩れ落ちるように壁に背を預け。

 ズルズルと、その場に座り込む。



「国の発展。世界の発展。―――敵なき国家は、衰退する他ない。外敵なき世界は、停滞する他ない……」



 技術とは、比較により発展する為。

 己と他者を比較し、憧れ、妬み、僻み……。


 奪い合い、成長する。

 それら全てが終焉し、世界が完成する時こそ、本当の終わり。

 全てが満ち足りた楽園。



「それ故の、理想郷エリュシオン。私の、最終目的。死ぬことも、老いることもない完成された世界。……夢物語の新しき世界を実現する事は……、結局叶いませんでした」



 己が掲げた目的は、故国を含めた世界全体の発展。

 最終的には、争いも老いも死も超越した、神という不確かのない世界の実現。

 

 見る事は、叶わなかったが。

 文明のレベルを大きく押し上げる一助には、なった筈だ。

 ならば、良い―――十分だ。



「―――所詮、緩やかに発展を進める事だけでしたが。役としては、上々……ですか?」

「……………」

「……あの方の最期も、このような物だったのでしょうか……? どう足掻こうと、逃れる事は叶わない。断罪者である貴方から逃れる術はない」

「……………」

「私は、あなた達に近付けたのでしょうか?」



 ……………。



 ……………。



「―――あのの意思は、貴様とは違う。無論、最期もだ。同一にすることは、許さん」

「……えぇ、存じていました。あの方の意思も、真の望みも。対して、私は―――ただ、導く事で。進めることで、貴方たちに近づきたかった……それだけです。私とあなた達では、立っていた土俵が、そもそも違った」



 同じ目線に立てるかと。

 幾つかの国家で、為政者として働いたことも何度かあっただろう。

 王にもなった、大臣にもなった、将軍にもなった、国家間の相談役にもなった。


 ……全て、戯れだ。


 現代で広く用いられる“念話”

 魔族由来の技術、そして知識。

 その大半は、己が彼ら人間種に伝えたもの。


 ……まるで、千年以上前の賢者、東の亜人のようなものだと。

 一人笑ったこともあった。

 結局、大元の目的を達する程に世界を纏めることは出来なかった。


 自分には、それだけの器がなかったのだ。



「七年前の戦いこそ、最後のあがきでした。人間種を利用した私が、人界の最高戦力に敗れ去る。面白い物でしょう。やはり、悪しきは亡びる。断罪者は、現れる」



「―――……えぇ。貴方こそが、私の死神だ」



 どれだけ時が流れても。


 それだけは、決まっていた。

 あの時、剣で貫かれた時から、決まっていたのだろう。

 

 先の言葉きり、再び口を閉ざした騎士。

 鎌となる黒刃は、既に上へと振り上げられている。

 彼程の存在ともなれば。

 聖なる秘法を用いずとも、永劫の苦痛を以って魔人を殺す事も出来る。



 ……………。



 ……………。



 長剣が空間を震わせる、風を切る音が遠く耳に届く。



 ……………。



 ……………。



 しかし、何故か―――痛みが、ない。

 苦しみが、襲ってこない。



「ははは……」



 斬られていない? ……否、斬られてはいた。

 これは、“浄化”の力だ。

 その上で、痛みを感じぬ程の技量で刃を通したのだ。


 本当に、最後まで……彼はあの日の彼のまま。

 非情になり切れぬ騎士の介錯かいしゃくによって、遂に宵闇が訪れる。



「わたし、も……存外に……なが―――生、き……」



 終ぞ、夜のとばりがおり。

 己は、何を憂う事も無い、優しき死へと身を委ねていった。




   ◇


   ◇


   ◇




「りくっ! みおちゃんッッ! 二人とも大丈夫―――……お?」

「やっとこさ居たぁッッ! 無事……で……、あれ……?」 



 転がり込むような勢いでやって来た康太と春香。

 二人は、当初こそ異常事態の渦中と分かる憔悴しょうすいの表情だったけど。

 どの様な心境の変化だろう。


 僕達の様子に何を感じてか。


 その口元が、緩む。

 ニヤニヤゆっくりと……確実に愉悦ゆえつへ変わっていく。



「いやぁ……もしかして、お邪魔でした? 俺ら」

「みたいですねぇ、康太君……へへっ。ちょっと外出ててあげよっか」



 大方、そう来るだろうなとは思ってたけどね。

 否、否だとも。


 回れ右、なんて。

 そんな気遣いなんて、全く必要にはならないと。

 僕達は一度顔を見合わせて頷き合い、そのまま二人へ向き直る。



「―――いいえ、全く問題ありません」

「うん。全然邪魔になんて思ってないから。二人も、ゆっくりして行って? ほら、隣空いてる」

「「……………」」



 互いに背を預けるまま。

 寄り添い、休んだ体勢のままに言葉を返す僕達に、感情の上擦りなんてなく。


 これは―――まさしく、覚醒。

 そう、僕たちは変わったんだ。

 もう敵はいないんだ。


 何だろう、全能感が凄い。

 


「あっっれぇ……? なんか、思ってたんと違うっつうか」

「スッゴイ図太く逞しくイチャイチャしてんだけど、この二人……」



 ともあれ、無事に二人がやってきた以上、目下心配事は無くなった。

 ……誰か忘れてる気もするけど。


 ここらが潮時かと。

 ゆっくりと腰を上げた僕は、頭をかきかき目の前にやって来た康太と拳を合わせる。



「よ。元気そうだな、色男」

「そっちこそ、オルフェウスさん……より、オデュッセウス寄りかな。ガチムチそうだし」

「おい。おい……?」



 会った事はないけど。

 同じ神話でも、吟遊詩人は優男、トロイアの知将は戦士のイメージがある。

 彼は紛れもなく戦士寄りだ。



「どゆこと……? ヘイ、美緒ちゃん」

「ギリシア神話のお話ですね。どちらも、冥界から帰って来た逸話が有名ですから……、お二人も無事で、本当に良かった……」

「あぁ、そういう……ま、ウチ等天才っすから―――ふへっ……!」



 僕達が挨拶を交わしている間に、美緒と春香も安全を確認し合い。

 抱擁ハグされるまま、得意げにこちらを見てくる春香は……。

 正直、羨ましい。

 かといって、仲間が見ているこの場でというのもレベルが高く。



「―――で、内訳は? どうやってあの地の底真っ逆さまな罠から生還を?」

「俺が抑えて、春香ちゃんがドカンよ」 

「はいはい……成程?」



 研究者に罠の情報を聞いたときから、きっと大丈夫だと信じてはいたけど。

 流石のコンビだね。


 全く理解はできないけど。

 とにかく、連携でどうにかしたというのは確からしく。

 詳しくは、帰ってから確認するとして……。



「―――で、そっちの方は大丈夫だったの? 見た感じ、かなーーり凄い事になってるけど、ココ」



 ……そうも思うよね。

 精緻な茨の彫刻を思わせる瓦礫が、足の踏み場もない程に散乱した部屋。


 調度品などは、無事なモノなどなく。

 激しい戦いがあったことは明白だ。


 ……春香の疑問に対し。

 こちらの状況を、一言で表すなら。



「一応、倒したラスボスを追おうとしてたところ……かな」

「「ラスボス!!!」」

「―――……導主と名乗る、プロビデンスの長です。深手を負って、その通路から逃げたのですけど……」



 ……随分過敏というか。

 後から付け足す美緒も、二人の食い付きぶりには面食らったようで。



「そんなに大声上げる……?」

「だってラスボスだぞ!? このままエンディング一直線―――ぁ……ッ!」

「……そう、そう!!」

「あぁ、そうなんだよ!! ヤバいんだよ……!」



 ……………。



 ……………。



 ……何が?

 代わる代わるまくし立てる二人。

 しかし、あまりに伝えたい事を現す主語が出てこないのか、言葉がまるで意味を成さず。


 見兼ねた美緒が、なだめに掛かる。



「あの。落ち着いて、ゆっくりで良いですから……ね? 何が、あったんですか?」

「自爆スイッチ、とか……?」

「……そーれで済めばいいんだけど、な。マジで藪蛇っつうか……あぁ……っと、なんて言うんだ?」

「ほら。うらぼす、っていうの?」

「「うらぼす」」



 今度はこちらがオウム返しをする番だった。



「……俺たちも、ほんの一瞬感じただけなんだけどな?」

「ヤバいのいるよ、ここ」



 それは、随分とふわっとした表現だけど。

 でも、冗談ではないらしく。



「二人は、気付いた? さっき、凄いのが―――凄いの」

「「……………」」



 あの戦いの後、僕達は身体を休めるために気を抜いちゃってたから。

 近距離の索敵はしていたけど。


 遠距離となると、例え何かあったとして。

 気付いていなかった可能性は大いにある。


 

 ―――端的に、完全に油断し過ぎた。



「これは……情報のすり合わせ、しなきゃね」

「おう……あぁ。なら、歩きながら近況報告しようぜ。出来れば、先生たちとも合流してからの方が絶対良いと思うんだが……―――行くか?」

「……どうしましょう」



 危ない時は、迷わず己らを優先しろと言われていた身。

 だけど、今なら。

 僕達が全員揃ったなら、多少の余裕はある。



「―――うん。行こうか。勿論、命大事にね」

「「よし来た」」



 己の直感を頼りに。


 導主が逃げて行った通路へと。

 僕たち四人は、ゆっくりと歩いていくことになった。

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