第9話:恐怖するのは恥じゃないから
―陸視点―
この世界に来てから。
早くも、六日目の朝。
つまり、最初の依頼の期限日。
僕たちは、昨日から【カボード遺跡】のあるという森で野営を行っていた。
分かってはいたことなのだけど。
野営だと、お風呂を準備するのは難しいらしい。
一応やろうと思えばできると先生は言っていたけど。
今のうちに、普通の野営に慣れておいた方が良い…とのことだ。
まあ、“発水”のおかげで。
体を拭く水には困らない。
……そう。
僕たちは、全員訓練開始から初日の内に魔術を習得することができていた。
『発水……魔力消費も少なくて、水を生成できる魔術ですか』
『確かに便利そうですけど。身体強化はとにかく、なぜ水を出すだけの魔術を?』
『完全に使い切らない範囲で魔力を大量に消費しつつ、魔素に適応していくには、この二つが最も効率的なんだよ』
『すごく便利そうな身体強化だけじゃダメなんですか?』
身体強化、なんて。
聞いただけでも強そうで、基本にありそうな魔術。
対して、“発水”は?
水を出す…それだけ。
本当に重要なのかはいささか疑問ではある。
―――だが、彼は熱心に頷き。
『ダメなわけじゃないんだが、そっちだと魔力欠乏以外に極度の筋肉疲労が残って、丸一日動けなくなったりする。だから程々に訓練して、何時でも出来る訓練も挟むのさ』
『確かに効率的ですね』
『じゃあ、さっそく試してみようか』
『もうですか!?』
『やり方はとても簡単だよ? 何なら、ある程度の魔力があるなら一般人でも出来るような魔術だ。まずは――』
流石は、長いこと……?
そういえば聞いてなかったな。
長いこと冒険者をやっている先生だ。
教え方はとても上手かった。
それに。水を出せるということは、持ち運ぶ飲料の重さを節約できるということでもあるのだろう。
お水は大事と再認識。
―――それにしても。
先生の見た目は、まだまだ二十代ほどだ。
一体どのような過去があって現在に至っているのだろうか。
そのうち先生に、どれくらい冒険者をやっているのを聞こうかと考えていると、隣のテントから眠そうな女子が這い出てきた。
「おはよう、春香。昨日は大変だったね」
「康太君が調子に乗って“発水”使いまくった挙句に気絶しかけたからね」
「おまえら……あんまり言わないでくれ」
「ここぞとばかりに追い込みますね」
勿論、僕たち男と女性陣のテントは別だ。
来る途中は冒険のために沢山の荷物を運ぶのは苦労したし、最初の内は康太や先生に手伝ってもらったりもした。
でも、だんだんと慣れてきた身体強化。
“練気”という魔術を使うことで、今では無理という訳では無くなって。
もしかして。
今なら魔物にも――と、思わないでもない。
「みんな、おはよう。野営はどうだったかな?」
「「おはようございます!」」
「元気だね、君たちは。本当に私には勿体ない弟子だよ」
先生は外で寝ずの番をしてくれたようで。
昨日起こした火が燻っている。
森の中の開けた場所なので。
火事になることは、多分ないだろう。うん、多分。
「先生がいつ襲ってくるか心配でなかなか寝付けませんでした!」
「えぇ…頑張って番してたのに。そんなに私、欲求不満に見えるかい?」
「……どうなんでしょうね?」
「ミオまで、そんな事を」
まあ、もしも先生が最初からその気であるのなら。僕たちではどうすることもできないというのが正直な感想だ。
ここ数日で、その強さを存分に叩き込まれた。
とは言え。
一緒に過ごして、そんなことをする人ではないことくらいは分かっている。
僕…皆にとってもだろうけど、気の良いお兄さんのような感じで接することができているし。
「――先生って、時々何考えてるかわからないしな」
「コウタもか。全く、傷つくなぁ。……さて、今日は実際に魔物と戦ってもらう。盾での防御はコウタ。近接攻撃はミオとリク。ハルカは“練気”による投石で援護だ。大丈夫だね?」
「頑張ります」
「投石、OKです!」
「……俺たちに当てないでくれよ?」
「康太君は自慢の盾で防げばいいでしょ?」
「木製だから凹むんだよ!」
まだ森の深部には入っていないため。
魔物と呼ばれる生物には遭遇していない。
先生に教えられたことがどこまで通用するかも分からないけど…大丈夫。
皆と一緒なら、出来るはずだ。
―――野宿の後始末をして。
五人で固まって悪路を行く。
そして、幾らもしないうちに先頭を行く先生の歩みが止まり。
「みんな、あれを」
「……あれが、ゴブリン!」
僕たちの前に現れた一匹の生物。
それは、想像していたようなツルツルとした体表を持った緑色の小鬼ではなく。泥に汚れ、ざらざらとした皮膚を持つ薄茶色の動物だった。
子供のような細い手。
握っているのは、棍棒ともいえないような簡素な木の棒で。
小鬼という点では想像通りだけど…。
すでに。
心臓が、うるさいくらいの警鐘を鳴らしている。
「……先生?」
「大丈夫。教えた通りに動けば、君たちがケガをすることはない」
君たちが、ということは。
実力的には勝てるということで良いのだろう。
でも、戦闘の訓練ではここまで緊張はしなかったし。
もしかしたら、なんて。
考え始めたらキリがなくて。
「じゃあ、私達だけでやるってことです?」
「ああ。私はアフターケアのために待機しているよ」
「……アフターケア?」
「――とにかく。やるしかないってことか。よし、俺が行く!」
最初に突っ込んだのは康太。
彼が盾で攻撃を防いでいる間に、剣で切りつけるのが僕と西園寺さんの役割だ。
ハルカも、後ろで待機している。
にしても…アフターケアって。
一体、どういうことなのだろうか。
「――うらぁ!!」
「ゲヒッ!?」
僕と西園寺さんが走る中。
康太が、全力でゴブリンに突撃する。
シールドバニッシュとでも言うべきだろうか。
それを受けたゴブリンは見かけに違わぬ軽さだったようで、大きく吹き飛ぶ。
しかし、いくら軽いとは言っても。
5メートルほども吹き飛ばせるというのは、やはり身体強化…そして、
「「…………!!」」
大盾を突き出した状態で立ち止まる康太。
彼を追い越した僕たち二人。
そして、ふらつきながらも起き上がろうとするゴブリンの胴を僕が、首を西園寺さんがそれぞれ剣で捉え―――!?
「――ウッ……オ、ェェェェ……」
「……ハッ、ハッ……ゥ」
柔らかな肉を斬る感触と。
吹き出る血飛沫。
目の前には、血みどろで横たわる首のない死骸。
胴からは臓物が零れるそれを実感した瞬間、先生が言っていたアフターケアという言葉の意味を理解することができた。
相手が四足歩行の獣なら。
大きいだけの鶏のような生き物だったのなら、まだ良かったのかもしれない。
無論、それでも衝撃は大きかっただろうけど。
僕は朝の食事を思いっきり吐き出した。
一緒に剣を振った西園寺さんを気にする余裕もほとんどないが、彼女も顔面が蒼白になっていることは間違いない。
「リク、これを飲め」
「ウ……ハ、イ ――ウェェ」
先生が差し出した薬瓶の中の液体を。
碌に確認することもなく、飲み下す。
ハーブティーのような爽やかな風味はしかし、僕の喉までせり上がってきたものと混じって味わう余裕などない。
「ハルカとミオはゆっくり深呼吸を。――コウタ。見るのは良いが、無理はするな」
「……ウッ。ハイ」
一番酷いのが僕なのだろう。
先生のケアを受けながら、皆の様子を確認する。
春香と西園寺さんは何とか吐くのを抑えており、康太は倒れたゴブリンの体を見ては顔を青くしている……のだと思う。
正直、僕はまだ見れそうにない。
一分…二分…?
どれだけ時間が過ぎたか。
ようやく、正常な呼吸が戻ってきて。
気遣うような先生の言葉に耳を傾ける。
「もう、大丈夫かい?」
「……はい。ありがとうございます」
「無理すんなよ? 陸」
ようやく吐き気は無くなってきて。
もしかしたら、さっきの薬が効いたのかも知れない。
僕の様子を確認した後。
先生は、未だ心配そうに皆を見回す。
「――さて。四人とも理解したと思うけど、魔物を倒すっていうのはそういうことだ。生きている以上、血だって出るし臓物だって流れ出てくる。それに、ゴブリンは人間の子供に近い体型だ。これに慣れないことには魔核石を集めることは愚か、魔物を倒すことだって出来やしない。一体を倒して足が竦み、吐いている間に殺されて終わりだ」
「「…………」」
そう。
当たり前のことで、死ぬのだ。
この世界はゲームなんかじゃない。今殺したゴブリンはまた出てきたりなどしないし、それは僕たちも同じ。
それを、ようやく。
本当の意味で実感することができて。
―――ようやく、理解が追い付いたのだ。
「――臭いを感じたか。今、少なくとも二体こちらに近づいている。心を鬼にして言うが、戦うんだ。さっきと同じように」
「「…………」」
これに慣れないことには。
先へなんて進めない。
ゲームと同じで、一番弱い敵を殺すのすら躊躇っているようでは。
クリアなんて、到底できっこない。
「……私は、やります」
「「!」」
「美緒…ちゃん……?」
最初に言葉を発したのは西園寺さんだった。
まだ若干顔が青いけど。
彼女の表情は、既に覚悟が決まっているようで。
「やらなきゃ、始まらないから。誰かがやらなくちゃ、先に進めないから」
「………みんな。俺が防ぐから、一回で仕留めてくれるか?」
その言葉を聞いて奮い立ったのか。
康太も、覚悟を決めたように僕たちに聞いてきて。
本当に、僕は友達に恵まれていると思う。
なら―――
「また吐いたら石でも投げてくれる? 春香」
「―――!! ……顔に当たっても、知らないからね?」
そうだ。始まらないんだ。
なら、やるしかない。
もし僕が立ち上がらなかったら、攻撃を決める人が西園寺さんだけになる。
僕は。
絶対に、誰も死なせたくない。
「あぁ、その意気だ。――来るぞ!」
来るなら来ればいい。
こんな所で立ち止まるつもりなんて。
僕にも、皆にもないのだから。
◇
「――オェェェ」
で、結局僕はまた吐いた。
目の前に倒れているのは片腕が無く、顔が潰れて小さな脳が飛び出しているゴブリンの死骸。そして、先ほどのように首から上が無い死骸。
春香がゴブリンの頭を投石で潰してくれなければ。
少し、危なかったかもしれないな。
「――――――――」
「先生、それは?」
「臭いを抑える魔術だよ。何もなしにここまでやってくるゴブリンは稀だろうからね」
しきりに何かを口ずさんでいた先生に。
彼に疑問を持った春香が、青い顔をしながらも尋ねていた。
その言葉は小さくて聞き取れないけど。
僕たちの知らない魔術なのだろう。
さっきよりは吐き気もマシになってきた僕は、他の皆のようにゴブリンの死骸に目を向ける。それは、少しでも耐性を付けるためだ。
正直言ってキツイけど、やらなきゃいけないことだろうし。
「――さて。皆、実際に魔物と戦ってみてどうだった?」
「あの…思っていたほど強くなかったです」
「ケガをすることはない」
なんて、先生は言っていたけど。
確かに。
全くと言っていいほど外傷はない。
精神に来る魔物の最期を抜きにすれば、拍子抜けだともいえるだろう。
「首も一回で斬れましたし」
「投石でもあたまをつぶせたしね……ウッ」
斬るのもそうだけど、頭が潰れた死骸を見るのも…うん。
一回だけ目を離そう。
目の前の死骸から目を背けている僕に、先生の声が聞こえてくる。
「集団でないゴブリンはさほどの脅威にはならない。とはいえ、一般人では一対一でも殺される場合が多い。それだけ君たちの適応が早く、“練気”の精度が上がっている証拠だ」
「……ありがとう、ございます」
勇者というのがどれほどの速さで強くなるのかはまだ分からないけど。
先生が言うのなら、そうなのかもしれない。
僕たちを勇気付けるためという可能性もあるけど。
「うん。――さて、四人には二つの選択肢がある。今日はもう引き上げて一度宿に戻るか、それともそのまま先に進むか、だ」
「え? でも。依頼の期限は今日なんじゃ?」
「その通りだ。でも、命が無くなることに比べれば、依頼を達成できなかったことなんて
初依頼が失敗で終わる。
でも、果たしてそれは本当に悪いことなのだろうか、ということか。
「分かっただろう? 魔物とはいえ、生き物を殺すことは怖いことだ。それが命の取り合いなら猶更ね。――逃げることは恥じゃない。殺すことに恐怖を覚えることは、決して恥ずかしいことなんかじゃないんだ」
噛み締めるように。
僕たちに向け言葉を紡ぐ先生。
その言葉には、自身がこれまで実際に経験してきたであろう出来事への含蓄がこれでもかと込められているように感じて。
でも、それでも―――
「僕は、進みたいです。今戻ったら後悔すると思いますから」
「……だな。どうせ、また来ても厳しいことに変わりないんだ。慣れてきた今のうちに突撃した方が良い気がする」
「私も、そう思います」
「それに。先生が守ってくれるんでしょ?」
僕たちには頼れる大人がいる。
仮に失敗しても、手を差し伸べてくれる人物がいる。
皆を、彼を信じているから。
勇気を出して立ち向かうことができる。
僕たちの答えを聞いた先生は。
とても嬉しそうに頷き、不敵に笑う。
「君たちならそう言うと思ってたよ。――勿論、絶対に私が守る。でも、多少のケガは覚悟してほしい」
「「はい!」」
彼の言葉に、僕たちは奮い立ち。
ゴブリンでも何でも来るが良いと。
自分たちに暗示をかけて、先へ進む意志を固めた。
……のだが。
「――先生? …ウッ……プ。少し、休みませんか?」
「……あたしも。それがいいと思う」
「遺跡の前まで行ったらね」
「……容赦ねー」
「だいぶ、慣れてきましたね」
先生がゴブリンを切り開いて、魔核石という物を回収している様子を見るのもヤバかったけど。どうにか吐かずに済んだ。
だけど、今は。
遺跡に向かう道中。
現れるゴブリンを、先生が一刀のもとに斬りまくっていた。
その剣閃はまるで見えず。吹く風に斬られたかのように、声をあげる暇もなくゴブリンたちが次々と倒れていく。
因みに、彼が使っている剣だけど。
アレは、旅立つ前に春香がもらっていたもので。
上物が勿体ないからという事で彼が振っているわけだけど…それはつまり、あの切れ味は先生の腕のみによるもの、ということ。
「…前から思ってたんだけど、先生強すぎない?」
「あぁ。正直、あんな風になれる気がしねぇんだが」
「世紀末世界で剣王とか名乗りそうだよね」
「幕末の人斬りですね」
言いたい放題に後ろで話を始める僕たち。
でも。気を紛らわせるには必要なことだし、しょうがないよね。
「――君たち? 聞こえてるんだが…お、アレだ」
「あれが……?」
森の中、目の前に現れたのは。
想像していたような、いかにもな遺跡とは違い。
熊が住んでいそうな洞窟。
そこに、申し訳程度の石材で作られたような構造物。
しかし。
洞窟の奥は見通せないほどに闇が深くて。
「竪穴に造られた簡素な遺跡。これは、今から数千年前のモノだと言われているが……ようこそ、カボード遺跡へ」
僕たちの初依頼は。
まだ、始まったばかりなのだろう。
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