┣ File.05 紅谷家でのホームパーティー

藍野が玄関で再度インターホンを鳴らすと、家主と楽し気なピアノの音色が出迎えてくれた。


「よぉ、ちゃんと片付いたか? あれ、柴田さんは?」


花束と手土産を持った藍野は紅谷に答えた。


「何とか。柴田さんは指輪クリーニングしてくるから少し遅れるって。なぁ、このピアノって奥さん?」


玄関で靴を脱ぎ、スリッパを引っ掛けてリビングに向かいながら、藍野は弾き手の事を尋ねた。


「ああこれ、水谷だよ」

「ぅえっ! まじかー!!」

「俺も驚いた」


リビングに入り、音のする方向に目を向ければ、片隅に置かれたアップライトピアノを水谷が何やら修行僧のように無心で弾いていた。

水谷の足元には娘がきゃわきゃわと賑やかにまとわりつきながら、テンション高く何かを踊って歌って叫んでいた。


通されたリビングは家主に似たのかマンションの上階でよく日が差し込む、明るくて温かい場所だった。

キッチンには奥さんが立ち、普段は4人掛けなんだろうが、2人分の追加の椅子を置いたダイニングテーブル、リビングには水谷の弾いてるアップライトピアノにソファやテレビなどがあり、親子三人の暮らしが容易に想像できる。

結婚前に訪問した社宅なんて、ベットと仕事用のPCやモニターを置くデスクくらいで本当に何も無く、冷蔵庫すら置かない生活感ゼロの部屋で、結婚に全く興味はなさそうだった親友の変化に人間、変われば変わるものだと藍野は思った。


来訪した藍野の姿を見て、キッチンから紅谷の妻が出てきた。

それを見て、紅谷は娘を呼び寄せて抱き上げた。


「改めて紹介するよ、彼女が俺の妻で趙 花琳チョウ ファリン、この子が娘の雪梅シュエメイ


「こんにちは、趙 花琳チョウ ファリンです」

「コンニチワ……」


ファリンは中国系だが、容姿は日本人のように黒髪で目も丸目のほとんど日本人と変わらない印象だ。

少し長めの真っ直ぐな黒髪を左に寄せてシュシュで止めていた。

シュエメイは母親に似た面差しの3歳で、幼児特有の栗色がかったブラウンの髪をショートカットにして恥ずかしそうに藍野をチラ見して、紅谷に抱きついていた。


「二人とも日本語はまだこれくらいが精一杯だから、基本英語で頼むよ」


『わかったよ。こちらは奥様への結婚祝いです。結婚おめでとうございます!』


藍野は持参した花束を渡した。

子供用にケーキとリクエストされたが、奥さんに何もないのはちょっと寂しいと花束にした。

女性の結婚祝いと頼んだから、ピンクや赤の明るい花束に仕上がっていた。


『素敵な花束ありがとう。改めていらっしゃい。ファリンでいいわよ。藍野さん、指輪はお役に立ったかしら?』


ファリンは花束の香りに頬を緩めて、笑いながら指輪の事を聞いた。

予定時間より30分も早くインターホンが鳴らされ、えらく慌てた様子で「指輪を貸してくれ」と藍野が頼み込んで来たのだから。


『俺もミナトで構いませんよ。指輪はとても効果的で本当に助かりました。そして先程は本当にすみませんでした。奥様の気持ちも考えろと、同僚に叱られてしまいました。このお礼はまた改めてさせてください』


『あらあら、私は気にしないタイプだから、彼女も悩まないといいのだけれど。今日はゆっくりしていってね』


ファリンは花束を持って、リビングを出ていった。

藍野はしゃがみこんで、さっきから背中しか見せてくれないシュエメイに話しかけた。


『こんにちわ、シュエメイちゃん。俺はミナト。こっちはシュエメイちゃんにお土産。後でみんなで食べようね』


『ほらメイ、ありがとうは?』

『 ありがとう……ミナト』


シュエメイは父親に促されて、下を向いたまま棒読みでお礼を言い、また父親にべったりと張り付いた。


「なんか済まんな。普段は人懐こい子なんだけど」

「くぅ〜っ。シュエメイちゃん、難敵だねぇ」


警護員などある意味接客業で子供相手も結構数をこなしたというのに、初対面でこれほど冷たい対応をされたのはここ最近の記憶にない。

藍野はケーキに奥の手があったが、シュエメイが上手く乗ってくれるか少々不安になった。


「藍野さん、お久しぶりです」


シュエメイは水谷の声で紅谷から離れて、水谷の足元から『イツキー』と抱っこをせがみ、水谷は抱え上げた。

完全に二人の世界で、その姿に藍野は大変ショックを受けた。


「久しぶり……なんで水谷はそんなに仲良い訳?」


妬まし気味の表情で、藍野はぼやいた。


「あー。ピアノのせいですかね? 同じ曲ずっと弾かされました」


話さなくていいので楽だけど、同じ曲ばかりで少々飽きましたと苦笑しながら水谷は言った。

どうりで修行僧のような顔で弾いていた訳だと藍野は納得した。


「ねぇ、水谷ってキーボードだけじゃなく、鍵盤も叩けるの?」

「楽譜があって難しい曲でなければ、基本何でも弾けますが趣味程度でプロになれる程じゃないですよ」


抱き上げたシュエメイに頭をぐちゃぐちゃにされながら、今は気に入った曲を耳コピして弾いて楽しむくらいです、と軽く言った。


「耳コピって、一度聞けば再現できるやつ? すごいじやん!!」


目の前の男にそんな才能があったとは知らなかった。

最近動画サイトで流行ってるようなものを想像して、藍野は感心した。


「藍野さん、なんか耳コピ誤解してるようですが、さすがに長い曲を一発でなんて俺には無理ですよ」


水谷の場合、長くて1分程度の曲ならできるレベル。

それ以上は何回か聞くか楽譜を探した方が早いと言って、シュエメイを下ろした。

ぐちゃぐちゃにされた天パ気味の水谷の頭はすっかり鳥の巣のように収まりがつかなくなっていた。

水谷は諦めて、紅谷家の洗面所に鏡を借りに行った。


シャン、もう一人も来たみたいよ』


ファリンがインターホンを切ると、紅谷は下されたシュエメイを抱き抱え、柴田を迎えに玄関へ向かい、藍野はテーブルセッティングの手伝いを申し出た。

柴田が挨拶している間、シュエメイは柴田に張り付いて、全然話す機会を貰えない藍野であった。


※ ※ ※


シュエメイの態度はともかく、全員揃ってのランチは和やかに進んだ。

ファリンが香港出身という事もあって、中華料理が中心で酒も話を進んだ。

大人ばかりで盛り上がっていたから、シュエメイは早々に飽きてしまい、狙っていた藍野が遊び相手を買って出て大分距離を詰めていた。


『じゃ、ケーキ食べましょうか?』


ファリンは藍野のリクエスト通り、取り皿と大皿とケーキをテーブルに出した。

一緒に買ってきた絞り袋入りの生クリームとカットフルーツもセットである。


『じゃ次はメイちゃんにお仕事。手を洗ってケーキを組み立てよう!』


藍野はケーキの蓋を開けた。

持ち込んだケーキは色とりどりで一つずつ味もデザインも違う、小さなロールケーキが詰まっていた。

これを積み上げてロールケーキタワーにする。

これなら小さな子供でも楽しめるし、見た目も写真映えする、とアシスタントに教わった。


『わぁーいっぱい! きれいだねぇ。ゾウにシマウマ、キリンもいるよ!!』


水玉に縞々、色もピンクや緑や黄色など様々で動物に見える色合いもあった。


『うーわー。このチョイス、絶対藍野さんのセンスじゃないですね。またアシスタントをこき使ったんですか?』


『柴田さん、言・い・方。今回は5課の女子におススメ聞いたらこれって言われたの。一応情報料でおんなじ物、5課にって沢渡主任経由で差し入れしてるから』


大体こういう事は沢渡より、女の子に聞いた方がいい情報が出てくるし、同じものを差し入れれば自分の株も上がってその後の依頼もしやすくなるというものだと藍野は思っていた。


『ああ、なるほど。集られたって事ですか』

『だろうな。コイツ藍野は稼ぎもいいから、もっといいものを集れと教えてやろう』


どうせ独身で使う金など微々たるものだ。

普段5課に迷惑をかけている分、還元してもいいだろうと言いたいらしい。


『ねぇちょっと……俺の扱いひどくない?』


苦情の一つもいってやろうとしたら、


『ねぇ、ミナトー。早くー!』


シュエメイは待ち切れない様子で、既に椅子から降りて藍野を引っ張った。


『ごめんごめん。じゃ手、洗いに行こうねー』


シュエメイが戻ってから、みんなでああでもない、こうでもないと楽し気にケーキを積み上げ、フルーツと生クリームで飾り立てて写真を撮ってと、ごく普通の家庭と友人の姿がそこにあった。


※ ※ ※


明けて月曜日。

日曜とはうって変わり、藍野と柴田は神妙な顔で高坂社長とデスクを挟んで百瀬に事情説明をしていた。

四ノ宮は知られたくないだろうから黙っている事は予想できたが、彼らは黙っている訳にはいかず、早々に報告の必要があった。


「うん。事情は大体理解した。柴田君、四ノ宮が迷惑をかけて済まなかった」


高坂は率直に謝って、頭を下げた。


「いいえ、私がもう少し早く相談するべきでした。危うく高坂社長や会社に損害を与えるところで、藍野に指摘されるまで全く気がつきませんでした。この度はご迷惑をおかけして誠に申し訳ありません」


藍野と柴田は揃って深々と頭を下げた。


「藍野君、今後の警護計画は?」


高坂に問われ、藍野は答えた。


「変更はありません。四ノ宮さんには今後柴田に近づかないとお約束頂きましましたし、予定通り公安が離れた事を確認出来れば、高坂社長と詩織お嬢様の警戒レベルを引き下げ、私と柴田は別のチームと交代致します」


高坂社長は一つ頷き、百瀬に指示を出した。


「百瀬君、ウチは柴田君の退職後、四ノ宮君の処遇を決めるよ。退職願は一旦戻してくれ」

「承知致しました」


百瀬は手持ちの手帳に何かを書き込んで、閉じた。


「ところで藍野君、詩織のお披露目の警護パートナーは決まってる?」


忍び笑いで高坂は藍野を心配した。


「その頃には警戒レベルも下がってますし、スケジュールの合う適当な女性人員を配置予定ですが、何か不都合がございますか?」


警護の指名を受けたのは藍野だけ。

パーティー用のパートナーなど誰でも良かったから何を心配されているのか藍野には分からなかった。


「いや、表向き、柴田君は藍野君との寿退社だろう? 当日は秘書達も参加するし、藍野君のパートナーは柴田君以外だと今後、君の評判が下がると思うのだが、構わないのかい?」


忍び笑いで高坂は心配事を話した。


「……そうですね。柴田に変更して警護計画を再提出します」


「こんなものかな。藍野君はもう下がっていいよ。柴田君は別件で頼みがあるから、もう少しだけ残ってくれ」


高坂に言われ、藍野は柴田を残して社長室を退出した。

柴田はパーティー用に高坂から別命をここで受けたが、それは別の話。


幾日か後、公安も離れ、柴田が表向き寿退社した。

結婚式などはしないと言ったら、特に女性陣が盛大に見送ってくれて、柴田は少々申し訳なさを感じるくらいであった。


その後、四ノ宮は百瀬から柴田は警護員であった事実を伝えられ、例え別の場所で柴田と再会しても二度と話すな、近づいた事が分かったら即クビにすると高坂社長から厳命された。

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