┣ File.04 開演! 『さよなら、四ノ宮さん』

待ち合わせした横浜駅西口、藍野は時間通りに迎えに出ると、そこには柴田一人しかいなかった。


「お待たせ〜。ってあれ、 水谷は?」

「……四ノ宮さんがうろついてたので先に行かせました」


柴田は不機嫌な表情で助手席を開けて乗り込んだ。


「ちょっと藍野さん。これ見てくださいよ! あの人恵比寿住まいなのに。あのバカ、本当ムカつく!!」


怒りで沸騰しているため、かなり乱暴に藍野へスマホを突き出して見せた。

スマホ画面には、マップに点滅する赤い丸印が表示されていた。

HRF社でよく使われるナビゲーションアプリだ。

通常は護衛対象者にGPSを仕込んだアクセサリーや腕時計に加工して持たせ、警護員達がスマホやカーナビでいつでも居場所を把握できるようにしてある。

つけ回されはじめた頃、相談した柴田を心配した水谷が、用心にと猫画像スタンプに偽装したバックドアウィルスを柴田に渡し、何気ない会話に混ぜて四ノ宮に送らせていた。

その後、水谷が四ノ宮のスマホをハッキングしてスマホからGPSを発するようし、柴田のスマホアプリで監視していた。


「……ねぇ、柴田さん。どのくらい前からこんな感じなの?」


藍野は少し声を潜めて聞いた。

マップをみれば柴田と四ノ宮の距離はほんの数ブロック程度。

藍野が思っていたよりずっと近かった。


「日によってバラバラですが、この距離感はここ一週間位ですね」


事も無げに柴田は答えた。

なまじ対抗手段があり、自信もあったからこれ程まで近づけさせてしまったのかも知れない。

狙われる女性が強いのも考えものだな、と藍野は内心で思った。


「柴田さん、これはもう四ノ宮がストーカーと言ってもいい状態だよ。相談された時点で俺が気づければよかったな……」


藍野は悔しそうに唇を噛みしめた。


「例えストーカーでも、四ノ宮さんは私に何も出来ませんよ?」


特段問題ありません、と柴田は何の気なしに答えた。

襲われても自力で逃げるなり、怪我をさせない程度に取り押さえるくらいは何でもない。

柴田はそう考えていた。


「柴田さん、問題は四ノ宮が君を襲う事じゃない。TKエネルギー開発社の人間として、四ノ宮が警察に捕まる方が問題なんだよ。それがどれだけインパクトあるか考えた?」


「あ……」


柴田は藍野に指摘されて初めて思い至った。

四ノ宮がストーカーとして捕まれば、マスコミに報道され、依頼人である高坂社長やTKエネルギー開発社の体面に傷がつく。

場合によっては株価にも影響を及ぼし、会社の価値すら下げてしまう。

プロとしてあってはいけない大失態だ。


「……私、高坂社長や会社の事、全然考えず、一人で何とかしようと。もっと早く相談すべきで軽率でした。本当に申し訳ありません」


目に見えて落ち込む柴田に藍野は頭を掻き毟り、何とか柴田を浮上させようと精一杯の空元気を込めた。


「あーっ! そんなに落ち込まないでよ!! 幸い狙いは柴田さんだけだし、要は俺たちの護衛が終了するまで四ノ宮を抑えればいいんだよ。何とかして今日、解決しよう! ね!!」


幸い組織も壊滅させることができ、公安の撤退確認後は高坂家の警戒ランク引き下げが決定している。

あと少しで自分や柴田は別のチームと交代となる。

ストーカー規制法は改正されて、もう親告罪ではないから、この時点で柴田以外でも誰かが警察に訴えれば逮捕させる事ができてしまうが、この事を知るのは柴田以外には藍野と水谷くらい。

狙われているのは柴田だが、彼女なら身の危険を回避する事は容易だ。

まだ、ボールはこちらが持っている、藍野はそう考えていた。


「だけど、今回で四ノ宮が引かないなら、俺はこの件を百瀬さんと高坂社長に報告の上、柴田さんをこの案件から降ろす。本当にごめん」


柴田と四ノ宮、選ぶなら自社の柴田しか選べない。

案件を途中で降ろせば今期の査定にも響いてしまう。

庇いきれなくて本当に申し訳ない、と藍野は謝った。


「藍野さん、謝らないで下さい。今回で四ノ宮が引けば問題ないし、たとえ報告する羽目になっても懲罰履歴に残るよりはるかにマシです。私はそれで構いません」


柴田は頭を振って、藍野の申し出を肯定した。

高坂社長や会社の対面に傷をつけて懲罰履歴に残れば、その期間は依頼人や案件統括からの評価は確実に落ちてしまい、今後の案件はリーダーで受けられなくなってしまう。

査定ならせいぜい4半期、3ヶ月程給料が減るくらいだ。

どちらがマシか自ずと答えは決まっていた。


「よし! じゃあ次は作戦立案。確実に四ノ宮を引かせる演技しよう!」


笑顔が戻ってきた柴田に演技指導を頼み、


作・総合演出:柴田燈李。

出演:柴田・藍野・四ノ宮。


で、横浜駅西口で『さよなら、四ノ宮さん』の幕が上がることとなった。


※ ※ ※


予定通り柴田は四ノ宮をおびき寄せる事に成功し、遠目に藍野の車を確認していた。

作戦としては四ノ宮を怒らせて殴りかかる状況を作り、それをねじ伏せて証言を録音すればもう手を出して来ないだろうと柴田は考えていた。


(問題は藍野さんがちゃんとできるかよね)


2課は人を育てるのがメインで嘘をつき慣れてなどいない。

何が起きても自分がフォローしないと。

柴田は一つ深呼吸して、失敗できない一発勝負の大芝居に集中する。

できなければ案件を降ろされる。

柴田はどの案件よりも緊張していた。

拳を握りしめて気合いを入れると、柴田は気配を探りながら、偶然を装って声を掛けた。


「あれ? 四ノ宮さん。偶然ですね、こちらに用事ですか?」


私服の四ノ宮は、チノパンにカッターシャツを合わせ、長めな丈の上着を羽織ったラフなスタイルだ。

突然声をかけた柴田に動揺もせず、


「ちょっと見たい美術展があってね。柴田さんは?」


「今日は藍野さんとデートなんですよ。ねえ、四ノ宮さん。私、この服似合ってますか。こういうのが藍野さんの好みって聞いたんですが、ちょっと心配で……」


ふふっと笑って、その場でくるりと回って見せると、深いパープル色のベロアのプリーツスカートがひらりと翻り、手触りの良さそうなふわふわした毛足の長い白いニットも四ノ宮の好みだった。


「うん、とても素敵……」


全部を言い終える前に見知らぬ車が一台近づいて止まり、運転席から藍野が降りて来た。

せっかくいいところなのに、邪魔者がやって来たと四ノ宮は思った。

自分達ほどレベルの高い業務でも給与でもない、ただの警備屋の癖に社長のお気に入りで、時々社長のプライベートまで呼ばれてズカズカと入り込む。

本当に邪魔臭い奴だ。


「燈李! お待たせ。おや四ノ宮さん、どちらにお出かけですか?」

「おはよ、湊! さっきそこで会ったのよ。これから美術展に行くんですって」

四ノ宮はじろじろと藍野を眺め回した。

この男の私服を初めて見た。

ネイビーブルーのボーダーカットソーにオフホワイトの細めなジーンズ。

紺色より少し濃いめなダーク色の柔らかそうな生地のジャケットを合わせていた。

全体的に横浜デートを意識しているのだろう。

社長室前に突っ立っている時は図体がでかいだけの男かと思っていたが、普段鍛えてるだけに意外とバランスがいい。

雰囲気イケメンという奴だ。

欠点が見当たらないので、車に目を向けた。

マセラティの黒、ミドルクラスくらいか?

ナンバーがレンタカーじゃないから自前なんだろうが、コイツにイタリア車なんてもったいないと四ノ宮は心底思った。


「随分いい車乗ってますね、マセラティとは。藍野さんは車が趣味ですか?」


四ノ宮は嫌味のつもりで言った。

マセラティは最低クラスでも800万円台から、ミドルクラスなら1000万円は下らない。

社長秘書でそこそこ貰っている自負はあったが、警護員とやらはそれ程収入のいい仕事なのかと四ノ宮は考えた。


「へぇ、四ノ宮さんも車、お好きですか? 私は社宅住まいであまり使い道もないのでついこちらへ……」


照れ臭そうに藍野は7割程、嘘を混ぜて返した。

車は確かに趣味で私物だが、実は会社に社用登録もしてある。

会社が必要な時、提供するという契約だ。

登録すると購入時に会社が半額負担してくれるので、購入時は半額引きで買えてしまう。

そのため、藍野はちょっといい日本車程度の金額と毎月の維持費しか払っていない。


「お二人はこれからどちらへ?」

「今日は燈李のリクエストの店で食事と横浜観光ですよ。何やら行きたい所があるそうです」


そう言って柴田を愛情込めた眼差して見つめる。

実際、柴田を見る目も詩織を見る目も同じだが、嫉妬に駆られる四ノ宮には恋人同士の余裕にしか見えていなかった。

藍野ははたと気づき、ジャケットから指輪を取り出した。


「ほら燈李。この前、ウチの洗面台に置き忘れたろ?」


藍野はごく自然に柴田の左手を取り、誕生石入りの指輪を嵌めてやった。


「洗面、台?」


四ノ宮の片眉が上がった。

お互い大人だ、それが何を意味するか分かった。


「ごめんなさい。でも濡らしたくないからつい……」


そう言いながら、柴田は一瞬予定外の表情をした。

打ち合わせではここでピアスが出てくる筈だった。

だが、ここで演技を止める訳にもいかずそのまま流れに乗った。


「ああでも、この指輪は右手用にサイズ直ししないと、かな?」


藍野はジャケットのポケットから指輪の入ったケースを取り出して蓋を開けて、片膝をついた。


「柴田燈李さん、俺と結婚して下さい!」


藍野の手には打ち合わせになかったダイヤの婚約指輪がケース付きで差し出されていた。

柴田は違う意味で驚かされ、うっかり素で聞いてしまった。


「藍野さん……これって……?」


柴田はどこから持ってきたのかと言う言葉を遮るように、藍野は返事を促した。


「燈李、返事は?」

「はい……。はい! お受けします!」


藍野は立ち上がって、柴田の左手薬指に返した誕生石の指輪を外して、ダイヤの指輪と差し替えた。

少し緩めだが、抜け落ちる程ではなかった。


「ああ、やっぱり少し緩くなってしまったね。だから言ったろう、百瀬さんに相談した方がいいって」


そう言って藍野は四ノ宮に冷たい一暼をくれてやると、四ノ宮は激昂して口汚く罵った。


「おいテメェ、何調子こいてんだよ! 燈李は俺のもんだよ! 社長のお気に入りだか何だか知らねぇが、弾除け警備員ごときが汚ねぇ手を出すんじゃねぇよ。この立ちんぼ野郎!!」


四ノ宮は無謀にも藍野の襟元を掴み殴ろうとしたが、手慣れている藍野は器用に避け、その手をそのまま捕まえ、後ろ手にひねり上げて押さえ込み、杜山や詩織でさえ聞いたことのない、心底怒っている氷点下声で話した。


「おかしな事を言う人ですね。燈李は私と付き合っているのですよ。それに私は4号警備この仕事に誇りもプライドもある。赤の他人の弾除けになる覚悟もないあなたに、そんな事を言われる筋合いはない!」


弾除け発言のせいでついうっかり力を込め、痛みのため苦悶に歪む四ノ宮の表情を見て、やり過ぎたかと締め上げた腕を少しだけ緩めて、耳元で囁いた。


「あなたをストーカーとして警察に突き出せば、高坂社長のメンツは丸つぶれですよ。四ノ宮さん、クビどころじゃ済みませんねぇ、どうしますか?」


四ノ宮は悪魔の囁きにさっと顔色を変えた。

高坂社長はこういった犯罪事にとても厳しい扱いをする事が簡単に予想できた。

藍野の言う通り、クビだけでなく会社に対する風評被害の損害賠償請求もされるだろうし、再就職先だって危うい。

権力だけはある高坂社長に刃向かおうものなら、内定先にも手を伸ばして取り消しする事だってするかもしれない。

本当はそこまでしないだろうが、押さえ込まれて腕力ではとても敵わない四ノ宮は『コイツの言う通り、八方塞がりだ』といつの間にか思わされ、追い詰められてまともな思考が出来なくなっていた。

藍野はカタカタと震え始めた頃合いを見て、締め上げていた手を離し、四ノ宮を地べたに転がして見下ろした。


「高坂社長に報告してクビか、燈李に二度と近づかないと約束するか、今ここで選べ!」


藍野は録音アプリを立ち上げたスマホを突き出した。

190オーバーの大男に威圧込みで睨まれながら言われれば、選択肢は一つしかなかった。


「に、二度と燈……柴田さんには近づきません、約束します!!」


藍野は録音アプリを止め、録音を確認すると顎をしゃくって立ち去れと指し示し、這々の体で四ノ宮は立ち去った。


後日、このプロポーズと立ち回りの写真がSNSに載ってしまい、水谷は片っ端から消していく作業に暫く追われる羽目になった。


※ ※ ※


「はぁ……つっかれたー。これで四ノ宮さん、諦めてくれるかなぁ」


藍野はやりきったのか、ハンドルに頭を乗せてぐったりしていた。

柴田は助手席で指輪を外して内側を確認すると『S to H』、とあった。

一つは翔のS、もう一つは奥さんのイニシャルだろう。

柴田はケースの中にある誕生石の指輪と交換し、指に嵌めて翳して、少ない口数を更に少なくして照れ臭そうにこれをくれた日の水谷を思い出した。

自分にはやっぱりこちらがしっくりくる。

柴田はそう思い、満足そうに微笑んだ。


「多分、諦めますよ。この指輪、紅谷さんの奥様からお借りしたんですか。これはちゃんとお礼しないといけませんね」

「二人ともサイズが似ていて助かったけど、これ、お礼っている?」


指輪なんてあくまで小道具で、ちょっと指に嵌めただけだし、綺麗に拭いて返せばいと藍野は軽く考えていた。


「当然必要ですよ。奥様、よく貸してくれましたね? もしかして強引に借りてきたんですか?」


指輪への思い入れなんて人それぞれだろうが、自分なら知らない女のつけた指輪なんてゴメンだ、と柴田は思った。

鈍感男は柴田の視線から逃げるように答えた。


「えーと……時間もなかったし、頼み込んで理由は詳しく話さなかった。やっぱり不味かったかな?」


借りた時、奥さんは特に嫌そうにはしていなかったと藍野は話したが、鈍感男フィルターがかかっているのでまるっと信用する訳にはいかないだろうと柴田は判断した。


「分かりました。じゃ私、30分位遅れて行くので、藍野さんは先に紅谷さんのお宅に行っててください」


柴田は指輪のケースをバックにしまい、助手席から降りた。


「いいけど……どこ行くの?」


「この指輪、そこの百貨店のショップでクリーニングに出して来ます。せめてそれくらいはしないと申し訳なくて返せません」


柴田はドアを閉めると近くの百貨店に向けて、少し速足で向かった。

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