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* *
朝のビビアナ半島は、夜とはまた違った賑わいをみせていた。
道幅の広い舗道の両側には薔薇色をした石造りの建物が並び、趣向を凝らした吊り看板が日光を反射してきらきらと光っている。
そんな石壁の街にあって、目立つのは女性の姿だ。オープンテラスで声を弾ませる若い女性たちや、露店で店主と楽し気に話す貴婦人、男性ももちろんいるが、圧倒的に女性が多い。それは、勇者の人気を物語っていた。
(勇者ブルネット・ライラックか)
自然と視線が足元に落ちた。
勇者は、たくさんの守護天使の命を奪った人間だ。メイにとっては決して許すことのできない存在で……だから、そんな人物がこうやって支持されている現実を目の当たりにすると、苦い気持ちになる。それに、今ここに集っている人々は『命』を簡単に奪うことについて何とも思わないのだろうか。
同族ではないから?
自分たちが悪魔の脅威から解放されて、必要なくなったから?
考えてみるけれど答えは出ない。それに、理解したくもなかった。
(……だけど、勇者がどんな人なのか興味はある。肖像画をちゃんと見たことがないから、顔もよく知らないし)
ふと、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
顔を上げると、少し先にある店に人だかりができている。あたたかみのあるオレンジ色の吊り看板に描かれているのは、麦の穂と卵が入ったバスケットを手ににっこり微笑む少女の絵だ。どうやら、サブレ―の専門店らしい。
「ねえ! ブルネット様御用達のお店ってあそこじゃない? ほら、故郷には麦畑があって、亡くなった奥様がよく麦の穂で焼き菓子を作ってくれたってお話聞いたことがあるでしょう?」
「きっとそうだわ! わたしたちも行ってみましょう!」
秋らしいボルドーとブラウンのワンピースを着た女性が二人、小走りでメイたちの横を通過していく。彼女たちは、あっという間に人だかりに飲まれていった。
(……ステラちゃんも、お菓子を焼くのが上手だった。昔、お母さんに教えてもらったんだって……そう言って……)
彼女の、はにかんだ笑顔が蘇る。鼻の奥がツンと痛むのをごまかすように小さく鼻をすすったメイの耳に、またすれ違う人々の会話が飛び込んできた。
勇者ブルネットは愛妻家として有名で、亡くなった妻を今でも深く愛している。子どもはなく一人きりだが、新しい妻をめとる気はない――というものだ。
妻が天使だったという話は出てこないまま「一途に思われていてうらやましい!」とはしゃいだ声を最後に会話が遠ざかっていき、メイの胸は大きく痛んだ。
(……それに、どうしてステラちゃんとジュジュさんがいないことに……)
「――嘘ばっかりだ」
ふいに聞こえきた声に、メイは「え?」と顔を上げた。今のは、たしかにエルの声だった。
「ああ、ごめんな。勇者って、城にぎょうさん女連れ込んどるって噂やん? 火のないところに煙は立たん言うから、色狂いは嘘じゃないんやろうなって個人的に考えてて。……俺、嘘つきって嫌いやねん」
「……! そう、ですか……」
嘘つき――。
まるで自分のことを言われたようで、絞り出した声が
(本当のわたしを知ったら、エルさんはきっと幻滅する……)
彼が好きだと言ってくれているのは、『ただの人間の女の子』であるメイだ。
背中にある透明な翼が見えていたとしても、まっすぐな彼のことだから、介抱したことについて感謝してくれたかもしれない。しかし、それ以上近づいてはこなかっただろう。
(……本当に、嘘ばっかり……)
ネリネ村で共に過ごした日々も、宿で過ごした夜も、今隣を歩いていることも。全て、メイがついた嘘で塗り固められた幻だ。
どうしてだろう。
そのことが悲しくて、エルに『大嫌い』と言われたことがとても苦しい。
(……あれ?)
黙々と足を進めていたメイは、ふとエルの姿が見えないことに気づいた。慌てて周囲を見回してみると、振り返った先に彼はいた。
足を止め、何かを見上げてるようだ。
「エルさん?」
歩み寄って声をかけたというのに、返事はない。重たい前髪に隠れていてわからないが、その視線の先を想像で辿ってみた。
おそらく、すぐ近くに建つ店舗の二階部分だ。茶色で塗装された窓枠に飾られたプランターで、真っ赤な花が咲き誇っている。よく見てみると、どの建物にも同じようにしてその花が飾られていた。
「あれは、アネモネっていう花だよ」
横合いから聞こえてきた声に、エルの肩が小さく跳ねた。そろって声のした方に顔を向ける。
メイたちはちょうど、花屋の入り口を塞ぐようにして立ってしまっていたようだ。水の入ったバケツを「よいしょ」と降ろしたエプロン姿の若い男性店員が、
「勇者様の好きなお花らしくてね。生誕祭期間中ってこともあって、島中に飾られているんだ。近くで見るかい?」
彼は気さくにそう言い、メイたちに向かって手招きをした。
少しとはいえ営業の邪魔をしてしまっていたし、なによりメイは花が好きだ。天界にはたくさんの花が咲いているがアネモネは見たことがなかったため、正直、とても興味がある。
「あの……わたし、少し行ってきますね。エルさんは先に進んでいただいても結構で――」
「いや、一緒に行く」
「そうですか? じゃあ……」
返ってきた声が、いつもの彼のものより固い気がして。落ち着かない気持ちのまま並んで店内に足を踏み入れる。
すると、花の香りがふわっと鼻腔をくすぐった。不安げに揺れていた心がやさしく包み込まれた気がして、呼吸が少しだけ楽になる。
「これだよ」
男性店員が手で示したのは、たしかに街中の建物に飾られていた花と同じものだった。遠目から見た時には気付かなったが、よく見ると、三色から成っている。紫色の柱頭、その円状に広がる白、そして真っ赤な花弁。
他にも、異なる色合いのものが並んで咲き誇っていた。
「わあ……綺麗なお花ですね」
思わず感嘆の声をあげると、男性店員は「だろう?」と嬉しそうに笑った。
「赤のアネモネには、『あなたを愛している』っていう花言葉があるんだ。それもあって、島を訪れた恋人同士の間でアネモネを贈り合うのが、ちょっとした流行になっててね。……そうだ、お兄さんも一本どうだい? もちろん、特大の花束にしてもいいよ」
男性店員が冗談めかして、エルに笑いかける。いつもの彼だったら、「特大で頼むわ!」と言い出しそうなものだというのに、今日は違っていた。
「……せっかくやけど、この子にはもっと違うモンが似合うわ」
やはり様子がおかしい。
声は明るいが元気がないように思えて、「兄ちゃん、ちょっと付き合ってや」と店内の奥に進んでいったエルを止めることができなかった。
そわそわと毛先をもてあそびながら店頭の花を眺めていると、やがてエルが帰ってきた。
「ん。これ」
差し出された小さな花束に、メイの目が見開かれる。星型をした愛らしい薄水色の花は、最もなじみがあるものだったからだ。
(ブルースター……。わたしが、生まれた花……)
「あー。もしかして、気に入らへんかったかな」
「!? いえ! そうじゃなくて……」
それならよかった、と静かに笑うエルからブルースターの花束を受け取る。そっと胸に抱くと、まるで自分の一部分を取り戻したような気がしてほっとした。
「ありがとうございます。すごく嬉しい」
メイはやわらかく微笑んだ。久しぶりに、心からの笑顔を浮かべられた気がする。
エルが小さく息をのんだ気配がしたが、やってきた店員と大成功だなんだと盛り上がり始めたため、気のせいだったのだろう。元気になったようでほっとする。
「花言葉とか知らへんし聞かんかったから、完全にイメージで選んだだけやけど。いやあ~、やっぱり俺ってできる男やわ!」
「はは! 見た目は怪しいけど、お嬢さんの恋人は面白い人だね。それに、聞かなかったわりに、愛しい人に贈るにはぴったりの花なんだから只者じゃないよ」
「こら、怪しいは余計やろ!」
恋人じゃないと否定する気分にもならないくらい、今、メイの心はあたたかく包まれている。やがてゆっくり店から出ようとしたとき、男性店員がそっと耳打ちしてくれた。
「ブルースターの花言葉は、『信じ合う心』。お嬢さんたちも、そんな関係でいつづけてね。どうかお幸せに」
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