1-3

 たてつけの悪い扉を開けて入ってきたのは、二十歳ほどの黒髪の青年だ。一言で表すなら、「風変わりな人」という言葉がしっくりくる。


 彼が身につけているのは、なんの変哲もない麻布の服に、あちこちが傷んだ皮の胸当て。薄汚れたズボンに履き古したブーツ。そして、汚れたのか元々その色味だったのか判断が難しい、赤茶けたマントだ。

 服装からして、旅人であることは明らかなのだが……問題は彼の顔である。


 前髪が鼻頭で切り揃えられているため瞳が隠れており、大きな火傷の跡が顔の左半分を覆っている。一目見たら忘れられないくらい強烈で、独特の雰囲気だ。

 そして、何よりも特徴的なのが――。


「おはようさん!」


 その怪しげな風貌からは想像できないくらい、明るくてはつらつとしているところである。よっ! と片手を上げた姿は案外幼くて、どこか可愛らしい。


「お、噂をすれば」


 ケビンとトムが、にやりと笑って耳打ちし合う。


「おっさんら、また来とるんかいな。暇やなあ~」


 特徴的な地方なまりは、以前そのあたりで働いていたメイが聞いていた中でも、かなり癖の強いものだ。声音もとびきり明るく、彼と初めて会話した時は、見た目とのギャップに本当に驚いた。


「エル、お前にだけは言われたくない」

「そうだ。いつまでこの村に居座るつもりなんだよ」


 まるで数年来の友人のように冗談を言い合っているが、この三人が出会ったのはほんのひと月前。それを感じさせないほど、青年――エルはとても社交的で親しみやすいのだ。


「いつまで? 野暮やぼな質問すんなや」


 エルがこちらに顔を向けた。

 はっとした時にはもう遅い。胸下くらいまでの長さがある黒髪をさらりと揺らし、ブーツのかかとを鳴らしながら、彼は意気揚々と近づいてくる。


「お、来るぞ来るぞ」


 常連客二人がニヤニヤと笑っているが、メイにそれを指摘する余裕はない。トレイを胸に抱いたまま、一歩後ずさった。


(ぼんやり眺めてる場合じゃなかった……!)


 メイは彼が苦手だ。なぜなら――。


「メイちゃん! 今日こそ、俺と付き合っ」

「ごめんなさい」

「え、まだ途中なんやけ」

「ごめんなさいっ!」


 勢いよく頭を下げると、「三十連敗や……」とエルが床に崩れ落ちた。

 あはは! と店内に明るい笑い声が響き渡る。調理場で店長まで笑っているのがわかった。


「そろそろ諦めたらどうだ? うちの看板娘は、お前みたいな『見るからに怪しいヤツ』は願い下げだってよ」

「ち、違うんです! 店長っ! エルさんに問題があるわけじゃなくて……」


(はっ!) 


 床に座り込んだままのエルが、こちらを見上げている。

 重たい前髪で隠れてしまっているため確認できないが、なんとなく期待に輝く瞳で見つめられてる気がしていたたまれない。

 メイはそんな彼からぱっと目を逸らすと、「ええと」と口ごもった。


(わたしは天使だもの。好き云々うんぬんはともかく、深く関わって迷惑をかけるわけにはいかない)


 どう言葉を繋げようか悶々もんもんとしていると、店長が助け舟を出してくれた。


「ほら、エル。いつまでもそんなところに座り込んでないで、さっさと席につきな。傷心しょうしん三十回記念に、お代サービスしてやるからよ」

「……おっさん、あんたいい人やなあ」


 エルはよろめきながら立ち上がり、ふらふらとした足取りで入口近くの席へと腰を下ろした。同時に、大きな大きなため息が聞こえてくる。


(……ごめんなさい、エルさん。いつもまっすぐ想いを伝えてくれるのに、わたしは不誠実な返事しかできていない)


 だから、告白してもらう度に心が痛む。身勝手だが、それが彼を苦手とする理由だ。

 それともう一つ。想いを伝えられても素直に喜べないのには別の理由もあった。


「メイちゃんも大変だな。毎日毎日」

「いえ、むしろ申し訳なくって……」


 ちらりとエルに目をやると、彼は形のいい薄い唇に革紐をくわえ、肩から流れ落ちている長い髪を慣れた手つきで一つにくくっていた。


(どうしてわたしなんだろう?)


 難しい顔で覗きこんだのは、飾りとして壁にかけられた小さな鏡だ。

 幼く見られがちな、どんぐりみたいにまん丸な茶色い瞳。染髪を繰り返しているせいで傷んできた金色のふわふわとした髪。肌は白いけれど、鼻も低いし唇はぽってりしている。それに、もちろん男性をとりこにするようなポロポーションをしているわけでもない。


(……やっぱり美人には程遠い)


 若干虚しい気持ちになりながら、メイはありのままの気持ちを口にした。


「エルさんには、もっとお似合いの方がいますよ」

「なに言ってんだ。あいつの外見を見て、そんなこと言うのはメイちゃんだけだよ。普通は気味悪がりそうなもんだろ?」

「? そんなことないと思いますけど」


 風変わりだとは思っても、それは否定的な意味ではない。むしろ個性があっていいと思うし、羨ましいくらいだ。

 メイは人と大きく異なった服装をしたことはないし、興味があってもきっとできない。

 自己主張が苦手であるため、なるべく目立ちたくないのだ。ほどよく暖かい日陰で、のんびり質素に過ごしていたい。


 それに、もしも自分が大火傷を顔に負ったとしたら、彼のように周囲の人々に明るく笑いかけることができるだろうか。

 きっと無理だ。外見を気にしてうまく笑えないに違いない。


(だけどエルさんは、周りの人みんなを笑顔にすることができる。なんて素敵なんだろう)


 決して口には出せないが、エルのいいところなら十は挙げることができるだろう。それくらいには、彼に愛着と親近感を抱いている。


「またまた。たしかにあいつは話してみれば面白い奴だけどさ、最初はやっぱりびびったよ」

「たしかになあ。俺だったら、あんな怪しい風貌ふうぼうの奴が森で倒れてたら、見て見ぬふりするね。メイちゃん、よく助ける気になったもんだって感心したんだから」


 エルとの出会いは、ひと月前。村の外れにある森の中で、倒れている彼を発見したときにさかのぼる。

 慌てて店長を呼びに行ってこの家まで運び、その後近くの町から呼び寄せた医者に診せたところ、特に外傷はなく精神的なものではないかという診断結果だったのだ。


(正直に言うと、少しだけ怖かったけど……。あの人みたいに、わたしも困っている人を助けようって決めてたから動けたんだ)


 迷子のメイに手を差し伸べてくれた少年の存在は、今も強く胸にある。再会が叶うとは思っていないが、彼に恥じない自分でいたいと思うのだ。


「意識を取り戻すまで、つきっきりで看病してやったんだってな。おやっさんが『仕事に集中してくれなくて困る』ってぼやいてたっけ」

「え! ……そうですよね。ごめんなさい。わたし、一つのことしかできなくって……」


 思い返すまでもなく、エルを村に運び込んだ日から目を覚ますまでの間、メイは夜通し彼のそばにいた。だから、日中はつい眠くなってしまって、ミスが多かったのだ。

 天使は人間と同じように睡眠を必要とするし、なかでもメイは眠るのが大好きで寝起きがとんでもなく悪い。


 すぐさま店長に謝りにいこうとしたメイを、常連客二人が腰を浮かせて慌てて止めた。


「ごめんごめん、冗談だよ! むしろ赤の他人にそこまで献身的になれるのがすごいって、みんなで話してたくらいなんだからさ。もちろん、おやっさんも一緒にね」

「よかったあ……」


 ほっと胸を撫でおろすと、トムが笑った。


「だけど、災難だったなあ。看病してやって目覚めたかと思えば、『命の恩人だ』とか『一目惚れだ』とか大騒ぎだもんな。ようやく宿に移ったからいいものの、最初は隣の部屋に寝泊まりしてたんだろ? ……その、色々大丈夫だったかい?」

「色々?」

「え、ああ、まあ……大丈夫そうならいいんだ」

「おい! おっさんたち、いつまでメイちゃんを独占するつもりなんや! さっさと帰れ!」


 遠くからエルの声が飛んできたため、二人は顔を見合わせて苦笑した。


「それじゃあな、メイちゃん」

「また村に遊びに来てくれよ。絶対だぞ?」

「はい! 本当に……本当に、お世話になりました!」


 メイは玄関先に出て、二人を見送った。楽しい思い出をたくさんくれたことに対する感謝を、心の中で何度も伝える。

 秋晴れの空の下、二人の姿が見えなくなるまで見送っていると、いつの間にか隣にエルが立っていた。


「メイちゃん。なんや今日は、いつもに増して丁寧やなあ」


 彼はメイが今日でこの店を辞めることを知らない。

 うまく切り出せなかったし、店長や常連客たちも「追って行きかねないから黙っておくよ」なんて気を遣ってくれたからだ。


(お別れの挨拶もしないなんて。本当に、最後まで申し訳ないな)


 珍しく静かなエルをこっそり盗み見ると、黒髪が日光をまとってきらきらと輝いていた。


(とっても綺麗……)


 重い前髪に隠された瞳を覗いてみたくなる。

 きっと澄んだ色をしてるんだろうと感じた瞬間、胸がぎゅっと熱くなった。


(……やっぱり、このままいなくなるなんてだめだ。エルさんにもお世話になったんだから、ちゃんとお別れを言わないと!)

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