序章5

(――嘘、でしょう?)


 緊迫した声で語られた内容に、ガツンと頭を殴られたような衝撃が走った。

 惨劇に見舞われたのは、ル二カ教会だけではなかったのだ。


 天使狩りだ。人間界では今、各地の守護天使と、彼女たちを慕い庇った人間が次々と殺戮されている。狩りを実行する人間たちが先回りしていたため、『白百合の扉』から逃げ帰ってこようとした天使たちは次々と翼を切り落とされてしまったという。


 それを聞いた瞬間、背筋が凍った。

 永遠とわの森で耳にした声は、天使を狩るために『扉』に向かっていた人間たちのものだったのだと気づいたからだ。真冬に狩りなんてしても、獣は出てこない。


「人間界にいて助かったのは……ここにいる、あなたたち蕾の子らだけなのですよ」


 副天使長の声が揺れ、みなのすすり泣きが大きくなる。

 幼なじみたちも、人間界で共に過ごした家族を失ったのだ。きっと、命からがら逃げ延びたところを、天使長が派遣したペガサスに助けられたのだろう。惨劇が起きている間森で迷っていたメイよりも、ずっと恐ろしい目に遭ったに違いない。


 蕾の子は、透明な翼しか持たない。天使の特徴である色鮮やかな髪色にも、幸いみな当てはまっていなかった。唯一珍しい色味なのはメイくらいなもので、人間の少女と何ら変わらない姿をしているため天使だと気づかれなかったのだろう。

 それでも、命を落としてしまう可能性は十分にあった。自分たちは、ただ運がよかったのだ。

 しかし、喜ぶことなんてできるはずがない。


(……わたしたちしか、助からなかった……)


 いつもメイの世話を焼き、愛してくれた守護天使たちの笑顔が蘇る。

 怒りをあらわにした副天使長が、ギリッと歯を合わせた。


「同胞たちは、翼を大きく傷つけられ亡骸なきがらとなりました。……今回の首謀者は勇者であり、奴はどういうわけか、私たち一族の弱点を知っていた」

「――!? 待ってくださいっ!」


 突然声を上げたメイに、みなの視線が一斉に集まる。


「勇者が首謀者だなんて、そんなはずないです! だって……」


 メイははっと言葉を飲み込んだ。天使を確実に殺す方法を指示できたのは、彼以外にありえないと気づいてしまったのだ。


(一族の秘密を知っていたのは、奥さんが天使だったから……)


 不老長寿である天使は外傷に強く、傷の治りがとても早い。短くとも百余年ある寿命を全うせずに命を落とすのは、ステラの母のような特殊な場合を除くと、命の源である翼が大きく傷ついた場合だけ。


(この情報は、決して漏らしてはいけないことになってる。だけど、深く愛した男性になら話してもいいって……きっと、ステラちゃんのお母さんは思ったんだ)


「メイフィア? 一体どうしたというのです?」


 すでにこの世を去った彼女の罪をとがめられたくなくて、メイは口をつぐんだ。


「なんでも、ありません……」


 副天使長の問い詰めるような目から視線をらし、小さくうつむく。「それならいいですが」と彼女が話を再開したが、何も耳に入ってこない。


(どうして天使を殺すことにしたの? 愛した奥さんの仲間なのに、どうして? 教会にいるステラちゃんのことは考えなかったの?)


 こみ上げてきたのは強い怒りだ。

 どうして、どうして。それだけが頭の中をぐるぐると回る。


 気持ちをぶつける場所を求めて握りつぶすようにしてローブの生地をたぐりよせたとき、ポケットの内側に何か入っていることに気づいた。入れ込んだ指に触れた感触に、メイは静かに息をのむ。

 そこにあったのは、『鍵』だった。教会に忘れてなどいなかったのだ。


「今後、『白百合の扉』の使用は固く禁じます。創造主のご意志がない限り人間界との繋がりを経つことは不可能ですから、『扉』自体の効力をなくすことはできませんが……決して近づかないこと。さあ、『鍵』を私に」


 青白い顔をした幼なじみたちが、自分の『鍵』を手に副天使長の元へと向かう。

 その光景を瞳に映しながら、メイは静かに一歩後ずさった。手首についたブレスレットが揺れて、微かに肌を打つ。


(わたしが、ステラちゃんの代わりに……!)


 素早く身をひるがえし、メイは一気に駆け出した。

 向かう先は、薄桃色をした不思議な泉。天から流れ落ちる滝の向こうにそびえ立つ、人間界のものよりもずっと大きな『白百合の扉』だ。


「メイ!?」


 幼なじみたちの声が飛んでくる。


「メイフィア! 何をしているの! 戻りなさい!」


 副天使長の制止を振り切るようにして、メイは泉に駆け込んだ。じゃぶじゃぶと音を立てて滝に入り、桃色に染まった水に打たれながら、浅い呼吸でぶつけるようにして『鍵』を『扉』に押し当てる。


 ぎぃぃ、と音を立て開いていく両開きの扉。

 メイは身を滑らすようにして、その向こうへと消えていったのだった。 

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