あの子は綺麗だった

肌に纏った熱気を振りほどくように裾を翻して 七月の夕暮れに昇華したあの子の粒子が喉に絡みついて もう幾年も空気に触れなかった肺には 白い睡蓮が咲いております。

緑色の水面を眺めながら

木造の廊下で鳴らしていた革靴のヒール

私の足首だけを見ていて欲しかった

肩に垂らした三つ編みは 私の首に巻きついて

あの子は首に赤い蝶を巻き付けて歌っていました。

本を西陽で焼きながら

鉄扉越しの歌を聴いて

私も気持ちの悪い女になる前に

睡蓮になろうと思います


唇の花弁が散って

あの子はきれいだった

美声の人魚姫は

声を失くした時がいちばん美しかった

濡れた鱗を剥がす時

私の喉だけに触れていて欲しかった

あなたに畏怖されるのが いちばん悲しいのです

ちっとも美しくない私を 細い舌先で溶かして欲しい

或いは水の泡にして欲しい


この頃全てが気持ち悪くて仕方がないのです。

人の精神世界に迷い込んでしまったように

どうにも気が狂いそうなのです。


私を舐めたらきっと 琥珀糖の味がする

陶器になった頬を撫でて

鎖骨に溜まった水に魚を飼おう

私の身体が真っ赤な薔薇になって咲けば

きっとみんな美しいと言ってくれるのでしょうけれど


肺がこぽこぽと音を立てている

切り揃えた髪の先を撫でて

その爪は桜貝だった

反射した熱に溶けて

その皮膚は薄氷だった


なにひとつ間違いなどありません。私が信じなければ あの子は本当に 本当に 本当に


どうか あなたにも憶えておいて欲しいのです

私たちのことを 忘れないで下さい








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