花を買う

花を買った。通りかかった花屋で真っ白な花をたった一輪買った。300円もしないがそれで財布は空になった。

紙に包まれた花をたった1本片手に持ちながら外を少し歩いた。花弁を陽に透かすと幾多の脈が浮いて見える。花は、確かに生きていた。

家に帰り奥底にしまい込んでいた薄汚れたガラスの花瓶に花を活けた。名前すら知らないその花は、決して華やかとは言えないが透き通るように儚げで美しい。顔を寄せれば清廉な香りが仄かにする。食事も睡眠もせずにその花を見つめ続けた。見れば見るほど引き寄せられるのだ。片時も傍を離れたくないと思った。瞬きをすることすら惜しい。花は、生きていた。少しだけ恐ろしいと思った。恐ろしいほどに、美しいのだ。

幾度夜明けと日暮れを繰り返しただろうか。花はだんだんと萎れてゆき下を向くようになった。ある朝花弁が一枚、ひらりと落ちた。どうしようもなく狼狽えた。ああ、私が、私が壊してしまったのだ。落ちた花弁を元に戻すことはできなかった。


初めて花弁が落ちてからまた幾許かの日が経ち、遂に最後の花弁が落ちた。茎葉は萎びきって酷く醜かった。見るに耐えなかった。花は、死んだのだ。こんなことがあっていいものかと神を恨んだ。今までどんな不幸も理不尽も忍んできたがこればかりは赦せなかった。神を殺しに行こうと思った。元より財布の金を使い切ったら死のうと思っていたのだ。



ある初夏の未明、独りの男が自宅で首を吊って死んでいるのが発見された。すぐ横にあった水の入った花瓶には一輪の白い造花が差さっていた。

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