魔王戦記
朝乃雨音
第1話 韋弦の佩
真っ白い天井とアルコールの匂い。腕から伸びる透明の管は点滴パックに繋がっており、私はそれを眺めていた。
齢43歳。私の人生は終わろうとしていたのである。
原因は裏切り者による基地爆破であった。
拡大を続ける中国軍をようやく食い止め和平条約を結ばせられる寸前まで行ったところで私のいた前線基地が爆破されたのである。
犯人は先月派遣されてきた30代の少尉であり、その目的は不明と本部から連絡があった。しかし、私にはこれが国の上層部にいる何者かによる策略であるという事が分かっていた。
恐らく官僚の五条直也辺りだろう。あの男は自己の利益に貪欲だ。自身の持つ中国への流通ルートが潰されることを嫌ったのだろう。全くもって反吐が出る。
私の望んだ平和がこんな形で潰されるとは。やはり先ずは内側を整理しておくべきだったのだ。
絶対に許さないと思ってももう後の祭り。後悔しかない。
最悪で最低なクソ野郎どもが。
本当にどうしてこうなってしまったのだろうか。
そうして私は虚しさと怒りの合間で深い眠りについたのであった。
目が覚めると、赤い天井が視界に入った。
樽に入ったワインのような暗い赤色の天井。
ゆっくりとベッドから起き上がると見慣れない部屋が目に飛び込む。
広い部屋。壁にかけられている絵画や施してある装飾はまるで高級ホテルのようで、先ほどまで病室に居たはずなのに何故私はこんな所で寝ているのだろうかと疑問に思う。
「ここは一体」
そう呟くと同時に酷い頭痛が私を襲った。
目が眩み頭を押さえながら荒い呼吸を整えようと深呼吸をすると急に記憶が鮮明になる。
「いや、違う」と、確かめるようにして私は思考を口に出す。
「ここは私の部屋で私はリゼスタ・カーヴァインだ」
一体何が起きたのか。
私は魔王ドルディアナ・カーヴァインの息子、カーヴァイン家第8王子であり第16王位継承資格者でもあるリゼスタ・カーヴァインである。しかし、ついさっきまでそれを忘れ、自分が日本出身の軍人、岡崎浩司であると信じて疑わなかったのだ。
寝起きで夢と混ざってしまっていたとも考えられるが、こうして起きた後も記憶に残る岡崎浩司としての人生がそれを否定していた。
これが夢ではないとすれば何なのか。おそらく、前世の記憶なのだろうと私は思う。
証拠はない。証拠はないが本能的直感があれは本物のお前の人生だと訴えているのだ。ならば考えられるのは前世しかない。
リゼスタ・カーヴァインとして生まれ今日で丁度10年、まるで夢を見るようにして私は前世の記憶を取り戻したのであった。
記憶を取り戻してから一週間。
一週間も経てば混乱していた頭も些か落ち着き状況にも慣れてきていた。
なんて事はない、ただ43年間の前世の記憶が追加されただけでありそれ以外は一切変わらないため、生活自体に変化は一切なかった。
大変だったのは記憶の混濁があった事だ。覚えている記憶が前世の物なのか現世の物なのか。そこに些か混乱があったのだが、しかしまあ、それも一週間で何とか整った。
私は窓辺に立って庭を見つめる。
朝露が光る庭の花々とその傍らで箒を動かす侍女。
さて、これからどうしたものかと私は考える。
代わり映えのない庭の風景だが、今の私の目から見るこのカーヴァインの屋敷は、以前の10歳の頃のリゼスタとして見ていた屋敷とは少し違って見えていた。
悪魔の血を継ぐ純血魔族。その中でも魔王として魔族の頂点に立つ【破壊】の悪魔の血を受け継ぐカーヴァイン一族において第8王子でありながらその血を最も濃く受け継いだ私は一族の間でも奇妙な立ち位置にいた。
10歳という幼さながらも圧倒的な力を秘めている私を狙う敵は多い。
父である魔王ドルディアナ・カーヴァインは純血主義なため血を濃く受け継ぐ私を大層可愛がってくれており、だからこそそんな私を妬む王位継承資格者も多いのだ。
近い将来、私が王位争いで最も手強い相手の1人になることを皆理解しているのである。
しかしながら、以前の私は王位継承などに微塵も興味はなく勉学に励むただの学徒であったため、誰も私に手を出さなかったのである。触らぬ神に祟りなし。他の王位継承者たちは藪を突いて蛇が出てくるのを恐れたのだ。
学徒として過ごし王位継承争いに出てこないのならば放っておこうという訳である。
つまりはこのまま勉学に励みひっそりと静かに暮らせば私は平穏で裕福な人生を送れるという訳である。
しかし、私は悩んでいた。
この世界は争いに満ちすぎているのだ。
こう見えても元は戦争終結のために尽力した軍人で在りその心根は変わらない。私は今もなお争いを憎んでいるのだ。
相手を思う気持ちさえあれば、相手のことも考えてあげる優しさがあれば争いは消えるはずなのに、自らの利益のみを求める人間がいるせいで争いはなくならない。
愚かな人間の欲望。それが私は大嫌いであった。だからそういった人間を排除し、世界を作り変えようと私は努力してきたのだ。優しい人間が損をする世界から優しさに満ち溢れた世界へ。それが私の願いだった。
そしてこの世界もまた愚かな人間の欲望で満ちていた。
多くの領土では世襲によって生まれた傲慢な領主が民を搾取し、国では人間と魔族が意味もなくいがみ合う。
そんなこの世界の現状に私は苛立ちを覚えていた。
領主には領民を幸せにし領土を豊かにする義務がある。しかし、魔王ドルディアナ・カーヴァインは人間との領土争いに専念しそれを疎かにしていたのである。
いや、ドルディアナ・カーヴァイン自体は魔王という魔族の象徴を体現していたが、その庇護下にある混血魔族の領主たちが好き勝手に暴れていたのだ。
政に興味がないドルディアナ・カーヴァインはそういった者達を野放しに、ただいたずらに魔族の領土を広げ続けている。
それが私には許せなかった。
魔王の力にあやかりながらより下の者達を酷使する領主とそれを咎めない魔王。その両者に腹が立つ。
そしてそんなクソみたいな世界の中で全てを変える力を持ちながら見て見ぬ振りをすることは私には出来なかった。
それが私という人間の性なのだ。
他の誰でもない。私にしか出来ない
私は使命を全うする。たとえ他の王位継承者、延いては魔王を敵に回すことになったとしても、私は魔王の称号を継承しこの世界を平和な優しい世界に変えなければならないのだ。
朝焼けの差し込む部屋で私はそう静かに決意する。
その時であった。コンコンッと、ドアをノックする音が部屋に響き私は目線を音の方へと動かす。
一刻の間をおいて「どうぞ」と、私がドアに向かって声をかけると黒いロングスカートを穿いた侍女の女が入ってきたのだった。
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