第四話

 昼近くになり、救世主は昨日と同様に王立学園へ転移魔法で移動をしようとしていた。そこへハドリーが慌てた様子で駆け寄って来る。


「元帥、今から学園に行くのでしょう? 私もお供します」

「来なくていい」

「ですが、令嬢の顔が分からなければ探すのに苦労しますよ」

「大丈夫だ。映像魔法で顔は分かる」


 そう言って懐から魔石を取り出すと、魔力を流した。次々と鮮明に映し出された令嬢の顔は、皆良い笑顔をしていた。


「それに、あの女⋯⋯名前なんだったかなあ?」

「フランセス・バラクロフですか?」


 相変わらず人に興味がなく、名前を覚えないなと思いながら、すかさずフランセスの名を口にした。そんな救世主に、自分の名前も覚えてもらえていないのではないかと訝しむハドリーだった。


「そうその女が、候補者の昼飯を食っている場所を調べてメモしてくれた」


 そう言って懐から今度は一枚の紙を取り出す。だがハドリーには見せることなく、直ぐに懐にしまってしまう。


「そういや、その女が言ってたが、候補者の連中は皆文官の娘なんだってな」

「はい。おそらく、文官の娘ならば大人しい性格の者が多いと思ってのことでしょう」

「へえ~、そうなのか? まあ、今日行って見れば判るか」


 既に昨日、ひどい性格の令嬢を目の当たりにした筈のハドリーは、そこには一切触れることはなかった。


「では、私もご一緒します」

「だから、来るなって言ってんだろ」

「ですが⋯⋯」

「来たいのならば自力で来い」


 それだけ言うと救世主はすぐに転移をしてしまう。軍の本部から王立学園までは早馬で行っても三十分は掛かる。昼休みは一時間しかないので往復するだけで終わってしまうのだ。また、転移魔法は膨大な魔力を必要とするため、使える者はほとんどいない。かくゆうハドリーも転移魔法は使えなかった。


「まいったな⋯⋯」


 大きな溜め息と共に、今回の監視を命令して来た人物へと報告しに行くべくハドリーは、その場を立ち去った。




 重厚な扉の前では、二人の衛兵が仁王立ちしていた。それを珍しいなと横目に見ながら、扉をノックする。


「ハドリー・カルヴァードです」


 少し大き目の声で自分の名を告げる。中からの返事がないことに首を傾げるも、扉の両脇にいる衛兵達が在室だと物語っている。ほんの少しの間があって、ゆっくりと扉が開かれた。だが扉を開けたのはその部屋の主ではなく衛兵の制服を来た者だった。


「失礼します」


 大きな声でそう言い、入室するとハドリーは、はっと息を呑む。

 この部屋の主である人物は、両手首を拘束され床に跪かされていたからだ。


「総督!」


 思わずといった感じで駆け寄ろうとしたハドリーは、先ほど扉を開けた衛兵に手で制される。 部屋を見渡せば、そこには複数の衛兵達がいた。

 その中の一人、一番身分の高い人物を認め、ハドリーはキッと睨みつける。 


「グレイアム中将、これはどういうことですか! なぜ総督が捕らえられているのです!」

「威勢が良いのは結構だが、この状況で察せられない辺り、卿の父親も随分と甘い育て方をしたものだ」


 なぜと問うておきながら、ハドリーはこうなることは予想していた。だが、ここまで厳しい『処遇』になるとは思っていなかった。総督の方へ目を向ければ、魂の脱け殻のような表情で、ただただ項垂れていた。手首を拘束しているものは、魔封じの腕輪であり、言葉さえも封じるものだ。そして、手の甲には『焼き印』が押されている。その焼き印は救世主に不興を買った者が押される追放の焼き印だった。


「軍の決定だ。心当たりはあるだろう?」


 それは学園での、元帥への監視のことだと理解している。軍において最高の地位にある者を部下が監視するなどあってはならないことだ。だがそれは、救世主をこの国に留めたいが為の伴侶探しの手伝いをするという国の意向を汲んだものであって、断罪されるものではないとハドリーは思っていた。

 それでも救世主の性格を考えれば、こうなることも必然ではあった。なにせ、国ごと魔物に襲われ滅ぼされた二つ隣の国は、救世主の出動を再三にわたって要請したが、その国の国王が気に入らないという理由だけで退けたのだ。結果、彼の大国は亡国になった訳だが、それを思えば、救世主の気分次第で何もかもが決まってしまうのだとハドリーは改めて思った。

 それでもたかが監視で総督を拘束し、罰するのはどうかと、ハドリーは強い口調でグレアムへと言い放つ


「たったあれだけのことで、国外追放とは少々やり過ぎではありませんか?」

「軍法会議の判決では一族朗党、斬首だったところを何とか国外追放にまで減刑してもらった。私の努力に感謝してもらいたいところだな。とはいえ、死刑になった方が良かったと思うかもしれないがな」


 それは上流貴族だった者が奴隷にも匹敵する劣悪な環境に身を落とし、生きていかなければならないことを嘆いてのことだろうとハドリーは理解した。近隣諸国で救世主の不興をかった者を招き入れるところは皆無といっていい。そんな者を受け入れてしまえば、何かあったときに救世主の助けはおろか、話さえ聞く耳を持ってもらえないからだ。だとすれば国境付近で魔物の脅威に怯えながら自給自足の日々を送る以外に道はない。あの焼き印があるかぎり、周囲の人間もまた手を差し伸べる者はいないのだから。


「ああそれと、カルヴァード卿。貴殿の爵位も二つほど落ちることになった。今現在の軍での士官からも落ち、一兵卒になる。まあこれは国王陛下からの命によるものだがな。三大貴族の一つとされている人間が関わっていたのであれば、流石に見過ごすことは出来ないだろう。陛下も元帥に殺されたくはないだろうしな」


 その言葉に、ハドリーは絶句する。確かに自分も監視役として救世主に張り付いていたが、それはあくまでも命令であったからだ、と。そんな建前の意見を述べようとしたが、既に決定事項として出されたものを覆す手段はない。


「こちらとしては、退役をお勧めすが如何か?」


 ハドリーは、ぎりっと奥歯を噛み締めた。それでもここで潔く引いた方が懸命だろうと、小さく頷いた。


「賢い選択だな。では、直ぐに手続きに移る」


 そう言って嫌な顔で笑ったグレアムは、総督の椅子へとどさりと音を立てて腰かけた。



◇ ◇ ◇ ◇  ◇



 王立学園の裏門へと転移した救世主は、早速懐から紙と魔石を取り出した。そこに書かれた令嬢の名前と、昼食を摂っているであろう場所を確認する。そこには裏門からの地図まで添えられていた。なかなかに親切なフランセスに好感を持った救世主だったが、それとは対照的に、紹介された令嬢達は酷いものだった。


 学園の屋根へと跳躍し、全体を見渡した救世主は地図に沿ってそれぞれの場所を確認した。そして遠見魔法を展開する。同時に音を収音する魔法を展開し、令嬢達の普段の様子を観察した。そして後悔する。見聞きしなければこれほどまでに不快な思いをせずに済んだのにと。

 一人目は昨日の時点で相性が最悪だと判明していたが、残る四人も同様だった。昼食中、取り巻き達に怒鳴り散らす者、自分の容姿を絶えず褒めさせる者、自慢話ばかりで人の話を聞かない者、男子生徒ばかりを侍らせて下品な話をする者、そしてなにより全員が魔力の波長が合わなかったのだ。


「まともなのがいるのかどうか、怪しくなってきたな」


 溜め息混じりにそう呟いて、救世主は頭を振った。気を取りなおして他の令嬢達にも目を向けた。だが救世主のお眼鏡にかなう者はいなかった。

 仕方がないと学園での伴侶探しは諦め、軍本部へ戻ろうとしたときに、救世主の目は、一昨日出会ったおかしな女生徒を見つけた。


「あれは確か、ハドリーが言っていた⋯⋯」


 人形と揶揄された少女を見やり、観察する。校舎裏にある小さな庭のような場所で、小さな椅子に腰掛け、手には本を持っている。静かに一人で読書をする少女を見て、救世主は昨日のハドリーとの会話を思い出していた。

 『呪われ人』そんな言葉が脳裏をよぎる。少女の感情がないのは一昨日会っただけでは完全にそうだとは言い切れなかった。生きている以上、どんなに表情に出なかったとしても、感情がないなどということはありあえない、そう考えていた。ならば確かめてみるかと、救世主は少女の許へと足を向ける。


 近くまで来て、より慎重に観察する。校舎裏ということもあり、辺りは日陰になっていて、木々もどこか鬱蒼としていた。だが、そこに少女がいるだけで、その陰鬱さを跳ね除けてしまっているような錯覚に陥る。

 本へと目を落とし、先ほどから同じ姿勢でじっと動かない少女は、その美しさも相まって美術館に鎮座する展示物のように思えた。だが、小さな音とともに捲られた本の頁に、彼女が生きた人間なのだと救世主は現実に引き戻された。


 緑の中をゆっくりと歩み、威圧しないように救世主は少女の前へと進むと、あちらも気が付いたようで顔を上げる。その顔には驚きも畏怖も何もなく、ただ静かな銀の瞳が見返してくるだけだった。

 だが、セラフィーナの心の中は大変なことになっていた。ハドリーに言われ、謝罪をと考えていたセラフィーナだったが、こんなにも突然、しかも向こうからやってくるなど、予想もしていなかったからだ。昨日のハドリーの強い謝罪を求める声に、セラフィーナはフランセスに救世主が来たら連絡をしてほしいと、連絡用の魔石を渡していた。だがその魔石は未だ光らず、救世主との楽しい時間を満喫しているのだろうと思っていた。救世主がフランセスと少しでも長く一緒にいたいという理由で学園に顔を出しているという噂を聞いていたセラフィーナは、今日謝罪するのは無理だろうと諦めていた。そんなときに現れた救世主に心の準備が出来ていないセラフィーナは大いに慌てふためいた。もちろんその動揺は、傀儡魔法のせいで全く表情には出ないのだが。

 ゆっくりと距離を縮めてくる救世主に、セラフィーナは一度小さく会釈をする。そしてその場で立ち上がった。失礼のないように自己紹介をしようと、心の中でこの後の謝罪の言葉を組み立てていく。

 そんな心情な知りもしない救世主は、改めてセラフィーナを観察した。慌てる様子も一切なく、落ち着き払ったその態度に若干の違和感を覚える。人間、誰しも必ず感情の機微はあるものだ。だがその欠片も見つけれられないことに、本当に動く人形なのではと錯覚しそうになった。


「よう、一昨日会ったな」


  そう声を掛けられて、セラフィーナは心の中で酷く緊張しながら、口を開いた。


「はじめまして、私はセラフィーナ・プラチフォードと申します。先日は大変申し訳ございませんでした」


 深々と頭を下げるセラフィーナに、救世主は怪訝な顔をする。

 謝っているのにもかかわらず、無表情と抑揚のない言葉遣いにその誠意が全く伝わって来ない。だがそれもまた彼女が人形と呼ばれる一因になっているのだろうと救世主は納得する。


「何について、謝ってるんだ?」

「先日、救世主様に挨拶もなく、その場を立ち去ってしまったことへの謝罪です」


 淡々と告げるセラフィーナには、感情の欠片も感じない。本当に謝るつもりがあるのかと、救世主は訝しんだ。


「ハドリーに言われたから、謝ってんのか?」


 先日ハドリーから聞いた通りの謝罪内容に、益々怪訝な表情になる。


「⋯⋯確かにカルヴァード様に言われて大変失礼なことをしてしまったことに、今更ながら気が付きました。ですから深く反省し、謝罪をしなければと思いました」

「そうか⋯⋯じゃあ、詫びをしてもらわなけりゃならないなあ」


 にやりと嫌な笑みを浮かべた救世主を見て、セラフィーナは心の中で震えあがる。だが、傀儡魔法のせいでその感情が表に出ることは一切ない。

 救世主は大股でセラフィーナへと距離を縮めると、徐にむんずとセラフィーナの左胸を鷲掴んだ。先程から、小柄ながらその存在を主張する膨らみに、ついつい目が行ってしまった救世主は、その欲望のままに行動へと移してみた。


「⋯⋯⋯⋯」


 一瞬、何が起こったのか分からず、セラフィーナは固まる。が次の瞬間、心の中で絶叫した。


 『ひぃひゃあああああああーーーー!』

 だがもちろん、その声や感情が身体に現れることはない。

 そして、救世主もまた驚く。

 掴まれたことによる身体の反射もなければ、感情もない。全くの無反応に、流石の救世主も首を傾げる。ここまで何の反応もないのは、明らかに不自然だと考える。

 そしてハドリーの言葉を思い出した。『精霊の呪われ人』それがしっくりくるくらいには、セラフィーナの人間としての機能は著しく欠けていた。


「⋯⋯放していただけますか⋯⋯」


『ひぃいいいい、手をどけてくださーーーい!』と心の中で叫び、自分自身に『手を放すように言って』と命令する。

 だがやはり出てきた言葉は、感情の機微さえも感じさせないものだった。


「なかなかだな」


 そう呟きながら手を放した救世主に、セラフィーナは激高した。

 『なかなかって、何についての感想ですか!感触?大きさ?形?』非常に混乱しているセラフィーナだった。

 そんなセラフィーナを他所に、救世主はセラフィーナが立っている直ぐ後ろにある小さな椅子へとどかりと腰を下ろした。

 その行動にセラフィーナはぎょっとする。

 このまま謝罪を受け入れて、一応のお詫び?もしたのだから立ち去ってくれるものだと思っていたからだ。それが椅子に腰を下ろし、足を組んで背もたれに腕を乗せている救世主を見て、唖然としてしまった。


「まあ、座れ」


 短くそう言われるも、椅子は少しばかり小さい。2人で座るには少し大きいかという程度で、大柄な救世主が座ってしまうと、うんと端に座ったとしても距離は近くなってしまう。だが、断ることも出来ず、セラフィーナは身体を縮こませて椅子へ腰かけた。もちろん、背もたれには背を預けずにだ。


「何の本を読んでたんだ?」


 唐突な問いかけに、一瞬何を聞かれたのか理解できなかったセラフィーナだったが、救世主の視線が自分の手元に行っていることに気づき、理解する。


「精霊に関する本です」


 内容まで細かく話す必要はないかと簡潔にそう言えば、救世主はほんの少しだけ驚いたような表情をした。何故そんな顔をするのかと疑問に思うも、次の問いかけで納得した。


「呪われているっていうのは、本当なのか?」


 ずいぶん前にそんな噂を立てられたこともあったなと、セラフィーナは心の中で溜息を吐き出した。今更その噂を出されるとは思ってもみなかったので、一瞬言葉に詰まった。

 その沈黙を肯定ととったのか、救世主はセラフィーナの返事を待たずに口を開いた。


「なんなら、解呪してやろうか?」

「いえ、結構です。呪われていませんから」


 解呪と聞いて、セラフィーナは大いに慌てた。もしここで否応なしに解呪をされれば、傀儡魔法も解除されてしまう危険性があったからだ。傀儡魔法を解除されて、普通に会話など絶対に出来ないと、狼狽えた。

 だがそう断ってから、少しばかり後悔する。 

 今までにも何回か呪われているのかと聞かれたことがあり、呪われてなどいないと答えると、次は病気かと聞かれた。それも違うと言えば、魔法でも掛けられているのかと、とにかく納得のいく答えを求めてくる者ばかりだった。救世主もまた、同じように納得がいくまで質問を繰り返すのだろうと思われた。

 もし解呪で傀儡魔法が解除されたとしても、すぐにかけなおせば済む話だ。この呪いは解けないと誤解されたままか、もしくは先天性のものだと思われた方が面倒はなかったのではないかとセラフィーナは即答したことを悔いた。

 それでも、解呪の際に傀儡魔法を使用していたことが露見する危険性もある。そう考えて、この判断は正しかったのだと、セラフィーナは自分自身を落ち着かせるように言いきかせた。


「なんだ、呪いじゃないのか⋯⋯」


 ずいぶんと残念そうにそう言うと、救世主はつまらなそうな顔をした。

 それ以上何も聞いてこないのは良かったが、セラフィーナにとっては何とも言えない後味の悪さを感じてしまう。もしこれが呪いだったなら、すんなりと解呪してくれたのかと、甚だ疑問に思うセラフィーナだった。


「なあ、さっきからどこ見て話してんだよ。人と話すときはちゃんと目を見て話せ」


 少し苛立ったように言う救世主に、ゆっくりと顔を向けた。特に話すこともないので見つめ合う形になり、セラフィーナは唯でさえ緊張しているのに、益々緊張が高まってしまう。そんなセラフィーナだが、もちろん表情には出ない。

 救世主はセラフィーナの銀の瞳を覗き込むように凝視すると、ある疑念を抱いた。

 それは、セラフィーナの瞳が余りにも光を映していなかったからだ。その瞳を救世主は見たことがあった。幼少の頃、傀儡魔法にかけられた者の瞳もこんなふうに何も映していなかったなと、思い出す。だが、それにしては違いが幾つかあった。傀儡魔法の特徴として、まず、話すことが出来ない。どんなに命令しても、人の複雑な脳を完全に支配しきることは出来ない。そして動きも同じように、制御は完璧には出来ない為、セラフィーナのように自然な動きが出来ず、足を引きずったり、直ぐに倒れてしまったりと、ここまで『人間らしく』振舞わせることは出来ないのだ。


 じっと自分を見つめる救世主の黒い目に、居たたまれなくなったセラフィーナはそれでも視線を外せば不敬になるのではないかとじっと耐えていた。そして自分が観察されていることに冷や汗をかく。隣に座って確信したのは、救世主の魔力の高さだ。先日会ったときは動転していて、魔力が高いことは分かったが、これほどまでだとは思っていなかった。そんな救世主ならば、自分の傀儡魔法を見破ってしまうのではないかと危惧した。


「そろそろ時間だな。謝罪は受け入れてやるよ、じゃあな」


 そう言って立ち上がった救世主に、セラフィーナも立ち上がる。大柄な救世主を見上げ「ありがとうございます」と礼を言うと、すぐに深く腰を折った。

 セラフィーナをそのままに、歩き始めた救世主は、転移魔法でその場を去る。それにほっと胸を撫でおろし、セラフィーナは小さく息を吐き出した。

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