第三話
午前中から続いているハドリーの視察は、順調に各教室を回り、午後も昼食を挟んで行われる予定になっている。
突然の軍部の視察に、生徒たちの噂は救世主の伴侶探しで持ち切りになっていた。誰がその候補に挙がっているのかは情報そのものが入って来ず、学業と軍部を兼務するフランセスが有力だと益々噂は盛り上がっていた。
そうなると当然、フランセスは皆の注目の的になる。
広い食堂でフランセスとその取り巻き達がテラス席でのんびりと昼食を摂っていても尚、突き刺さるような視線は絶えずそこへと注がれていた。
「よう、旨そうだな」
ふいに声が割って入り、フランセス達は声の主へと目を向ける。
そこには救世主の姿があった。
学園の食堂に軍服は非常に目立つが、当の救世主は気にした風でもない。テラス席で昼食を摂っていた生徒たちはその姿を見たとたん、直ぐに黙りこみ、騒がしかった食堂は一気に静まり返った。
一瞬呆けた後、ハッと我に返り勢い良く立ち上がったフランセスは軍人としての礼を取った。それに頷き、救世主はもう一度テーブルに置かれた料理に目をやった。
「元帥……昼食はまだお済ではないのですか?」
料理を観察している救世主に、フランセスはやや緊張しながら問いかけた。朝礼後、セラフィーナへと向けたハドリーの言葉を思い返し、いつもよりも慎重に対応する。
「さっき食ってきた。それにしても、貴族様の昼飯は庶民とは比べ物にならねえほど豪華だな」
テーブルに並べられた様々な食材に、救世主の目が眇められる。学園で出される昼食はおよそ庶民が手を出せるような代物ではない。それを見て元庶民の救世主は、大きなため息を吐き出した。
フランセスを始め、その場にいた生徒たちは凍り付いたように救世主の言葉を受け止め、息をするのも忘れるくらいに緊張した。
だがそれ以上の小言もなく、本題に入った救世主に、生徒たちはほっと胸を撫でおろした。
「ところでよ、パトリシアって奴を探してんだが、どこにいるか知らねえか?」
一瞬、何を聞かれているのか分からなかったフランセスは、返事を直ぐに返せなかった。だが生憎と、フランセスはその質問の答えを持ち合わせていなかった為、取り巻き達へと目を向ける。
それに応えるように立ち上がった取り巻きの一人は救世主に向かって淑女の礼をとり、自己紹介をする。
「お初にお目にかかります……」
「ああ、そういうのはいい、質問にだけ答えろ」
今朝のハドリーの言葉もあり、丁寧にお辞儀をし、先ずは自己紹介からと緊張しながら応じれば、そう切って捨てられた。対して大きな声ではなかったが、苛立ちが含まれる声音に益々緊張が高まった。
「は、はい。パトリシア様は、いつも中庭の方で昼食を摂られているようです」
フランセスの縋るような眼差しを受け、取り巻きの一人が上ずった声でそう答えると、救世主はまた違う女生徒の名前を口にした。
「それじゃあ、アンバーとマリーは?」
フランセス達は答えに窮した。その名前の女生徒は三学年では二人ずつ居たからだ。他の学年も合わせれば、もっと居るのかもしれないとフランセスは考えた。
「その方たちの姓はお分かりになりますか?」
とりあえず姓が分かれば何かしら答えられるだろうと聞いてみれば、救世主はなんとも言えない顔をした。
「はあ……、面倒だな」
その言葉と共に懐から一枚の紙を取り出し、フランセスへと手渡した。それを受け取ると、取り巻き達も覗き込むようにして書かれている名前を確認する。するとそこには、五人の名前が書かれていた。皆、上流貴族ばかりだが、なぜか文官の家のものばかりだった。
「皆さん、三学年の方達ですね。でも生憎と、食堂にはいらっしゃらないようです」
テラス席と食堂の屋内に目をやり、ざっと探すも、その姿は見当たらなかった。だからといって親しくもない者達がどこで昼食を摂っているかは知らないのでこれ以上の返答は出来なかった。
「そうか……探すのも面倒だな」
うんざりとした表情で、救世主は手渡した紙を返してもらいながら呟いた。
「聞き捨てならないですね。お相手探しを言い出したのは元帥なのですから、張り切って探して頂かねば、こちらとしても困ります」
またもや割って入って来た声に、フランセス達は顔をそちらに向ける。そこには満面の笑みを称えたハドリーがいた。
そんなハドリーの言葉に益々うんざりとした表情で、救世主は大きな溜息を吐き出した。
「お前、こんな所で何やってんだ? 仕事はどうした?」
「これが仕事です。元帥の監視ですよ」
「監視って、俺は午前中ずっと仕事で魔物退治に駆り出されてたんだぞ。その間お前はどこにいたんだよ」
「ずっとこの学園にいました。監視は元帥の伴侶探しのです。今みたいに面倒がって遅々として進まないのではないかと思いましてね、監視役を私が買って出たんですよ。午前中は元帥がこの学園で伴侶探しをする為の情報収集をしていました」
「監視ねえ。それは気を利かせたつもりか? 皆が魔物退治をしている間、お前は学園でおままごとか? 良いご身分だな」
救世主の言葉にハドリーはひくりと頬を引きつらせた。誰のせいでこんなことをしているのだと反論したい気持ちになる。
昨日救世主が学園内で魔法を使用し、生徒たちを危険に晒したことは既に軍内部でも問題視されている。学園側からも悲痛な声が上がっているが、救世主が相手では何も対処は出来ない。声を上げればその時点で処刑か国外追放が待っている。この国だけでなく、世界中の人々は救世主によって『生かされている』のだ。彼がいなければ、人類はとっくに魔物に喰われて滅んでしまっている。それだけこの救世主が人類にとって欠かせない存在なのだと思えば、学園内での出来事などに目くじらを立てる方がおかしいのだと、ハドリーは何とか気持ちを落ち着かせた。
「元帥の伴侶探しの為に、私がやらなければならないことが多々あるのですよ」
溜息まじりにそう言って、今朝方学園長をなだめるのに苦労したことを思い出す。基本的に、救世主の起こした騒動は側近に丸投げだった。対応は主にハドリーが担当していたが、毎回の尻ぬぐいに嫌気も指すと言うものだ。
元々救世主の結婚相手は決まっていたのだが、気に入らないからと破談にしたのは先月のことだった。救世主本人の確認も取らずに話を纏めたことが余程気に入らなかったのか、相手は自分で探すと言い出してからは、何の進展もない。この国に救世主を留めておきたい国の上層部はその事にやきもきしていた。
そんな中、持ち上がったのが貴族の子女達が通う王立学園の生徒から選んではどうかという話だった。一ヶ所に大勢の子女達がいる場所ならば、よりどりみどりだ。だがそれでも、上流貴族の娘の方が国にとっても有益だと、予め救世主に候補者の名簿を渡しておいた。自分で選ぶと言っても取っ掛かりは必要だろうとの配慮だが、救世主にとってはただの面倒ごとでしかない。それでもこの学園に足を運んだのは救世主自身も身を固めたいと思っているからだ。
そういうお年頃なのだ。救世主はハドリーの一つ下、二十一歳だ。
「誰もそんなことは頼んでねえ。自分で探すって言ってるだろ。こんな所で油を売っ
てないで仕事に戻れ」
否応なく切り捨てる救世主に苛立ちを隠せないハドリーは、それでも何とか食い下がる。
「分かりました。ではせめて、そこに書かれている令嬢たちを紹介させて下さい」
「紹介はいい。取り敢えずどんな女か遠目で見る。それで気に入れば後日会って話をする」
昼休みが終わる前に、何とか五人に引き合わせたいと考えていたハドリーだが、それもままならいほどにあっさりと却下されてしまう。
「……分かりました。時間が勿体ないので歩きながら各令嬢の情報をお伝えします。では行きましょう」
そう言って歩き出したハドリーに、救世主は渋々といった感じで後をついて行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ところで、人形にはもう会いましたか?」
「人形?」
ハドリーの言葉に、救世主は首を傾げた。しばし考えて、昨日学園で見かけた奇妙な雰囲気の少女の姿を思い出す。そして、妙に印象に残っていることに気づいた。だがあの見目なら当然かと、救世主はひとり頷く。
「……ああ、あの女か」
作り物のような美しさに感情のない表情、それはまさに『動く人形』だった。言い得て妙だと思いながら、納得した。
「彼女に元帥へ謝罪するように今朝言いましたが、謝罪を受けましたか?」
「いや、つか、さっき来たばかりで会うもクソもねえだろ」
「そうですか。そういえば、先程の食堂にもいませんでしたね。フランセスの取り巻きの一人の筈ですが」
その返事にハドリーはおやっと思う。普段『人』に余り興味を見せない救世主が、『人形』という言葉だけで誰のことなのか理解したことにほくそ笑む。
王立学園に来たらまず、軍属であるフランセスへと声をかけてはどうかと提案したのはハドリーだった。その取り巻きに『人形』がいることを知り、接点を少しでも多く持つための策だった。あれほどの見目に異様な雰囲気ならば、救世主の目に必ず留まるだろうとは思っていた。それでもただ、取り巻きの一人として流されてしまう可能性もあった。だからこそ、セラフィーナに謝罪をさせ、しっかりとした接点を持たせようとしたのだが。まさか救世主が、セラフィーナのことをしっかりと認識しているとは思いもしなかった。
これは良い傾向だと思う反面、攻撃魔法を放つなど騒動もしっかりと起こしてくれた救世主には少々呆れていた。
「なあ、謝罪って何のだ?」
「昨日元帥に挨拶もなく立ち去ったことへのです」
「挨拶しなかった奴は他にもいたが?」
実際、フランセスの取り巻き達は腰を抜かしたままで、挨拶などままならない状態だった。それに比べてあの場で全く平然とした態度をとっていたのは彼女だけだったと、救世主はそれを心の中で称賛していた。
「フランセスの取り巻きならば挨拶は当然するべきでしょう。フランセスが間に入って挨拶をさせるのも勿論のことですが、フランセスは元帥に昨日しっかりとそのことを謝罪したそうですからね、良しとしましょう。だが人形の方は謝罪をしなければいけません」
「だから、他の取り巻きも挨拶はしてねえだろ? その人形だけ挨拶しねえからって攻めるのはおかしいだろう。それに何で取り巻きだと挨拶しないといけないんだ? そんな決まりでもあるのか?」
「そういうものなのです!」
説明しても貴族出身ではない救世主には分からないだろうと、ハドリーは強引に話を打ち切った。ここで謝罪を受ける受けないで揉めるのは得策でないと判断したからだ。出来うるなら接点を持ってもらいと考えているハドリーは、とにかく話す切欠を作りたかった。
「何だよそれ。はあ、貴族ってのは面倒だな」
二言目には面倒だと零す救世主に、ハドリーは苛々を募らせる。それでも良い流れだと、とっておきの話を始めた。
「まあ余り、『呪われ人』には接触してほしくはありませんがね。それでもけじめはつけてもらわないといけませんから」
「呪われ人?」
神妙な面持ちを作り、そう話始めれば、何とか食いついてくれる。だが人に興味のない救世主が最後まで聞いてくれたとして、その後はどうなるのかは分からないと、ハドリーは慎重に話を進めた。
「ええ、あの人形に感情がないのは、精霊がかけた呪いのせいだと言われています」
「精霊?」
「昔、あの人形の父親が精霊を殺して手に入れた種がありました。それを植えたところ、たった一日で育ち実を成したそうです。その実は一口食べただけで体力と魔力を回復させました。そんなこともあり、あっという間にその噂が広まり奇跡の実と呼ばれるようになりました。その実は王に献上され、人形の父親は爵位を手に入れます。そしてその年に結婚をし、翌年には子宝にも恵まれます。さぞ幸せの絶頂だっだことでしょう。だが産まれて来た子供は、喜怒哀楽の感情が抜け落ちた、まさに動く人形だったのです。そんな経緯もあり、あの人形は『精霊の呪われ人』と呼ばれるようになりました。精霊を殺して得た栄誉の代償というわけです」
「作り話かよ」
「違います! 実話です!」
「やれやれ」
呆れたように返事を返す救世主に、ハドリーは意気消沈する。この話でもっと興味を持つかと思われたが、特に引っかかるものもなかったようだった。そんなハドリーの前に、ざわざわと人の話し声が耳に届く。たくさんの人の声はとても楽し気で、昼食を摂っている者が多いことを物語っていた。
角を曲がるとすぐ目の前に中庭が広がり、建物の陰に二人は身を潜めた。そしてハドリーが一人目の令嬢を指し示した。
「あそこにいるのが、パトリシアです」
「……あーあれかー……」
救世主の反応はすこぶる悪かった。
「どうですか?」
「駄目だな」
「どこがどう駄目なのでしょうか? 今後の参考にお聞かせください」
音を収音する魔法を展開し、令嬢の会話を盗み聞いた救世主はうんと顔を顰めた。人の悪口ばかりが絶え間なく口から飛び出し、大笑いをしている。よくこんなのを紹介しようと思ったものだと、救世主は呆れて物も言えない状態だった。
「何もかもだ。容姿も好みじゃないし、性格も最悪だ。なにより魔力が合わない」
「……そうですか」
魔力の波長が合わないのは致命的だと、ハドリーは直ぐに諦める。どんなに容姿が好みでも、波長が合わなければ一緒に居るのは難しい。それほどまでに魔力の波長は結婚において重要視されていた。だがそれは、高い魔力を有する者だけで、たいして魔力のないものは特に重要視はされない。
「では次に参りましょう」
「いや、時間切れだ」
「え? もうそんな時間ですか?」
その会話の後すぐに、学園の予鈴が鳴った。これは午後の授業開始十分前に鳴るものだ。昼食を摂っていた生徒たちも予鈴を聞き、いそいそとその場を後にする。
「お前も軍に戻れ。今後一切、軍の仕事以外はするな」
「これも軍の仕事です」
「俺が認めてないんだ、これは軍の仕事じゃない」
「では、個人的にならいいのですか?」
「なら、残業を増やすまでだ」
「……」
救世主の物言いにハドリーは押し黙る。実際、軍の上層部より命令を受けてここに来ていたのだが、軍の最高司令者である『元帥』の命令は絶対だ。
「分かりました」
仕方なくといった感じで返事をすれば、当然だと言わんばかりに救世主が頷いた。
「じゃあ、先に戻っている」
そう言って転移魔法でその場を去る。 後に残されたハドリーは重い溜息を吐き出した。
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