第3話

 現在の世界における最高クラスの高級車に乗りながら、瑠華はどうにも居心地が悪い。

 両脇を白鴉と霧虹に挟まれているだけではそうでもなかっただろう。

 だが二人の車内での位置はどう考えても彼女に近すぎるのだ。

 品の良い車の中が狭いという事は一切なく、座り心地が抜群の座席はとても広い。

 であるにも拘らず、彼等は瑠華に密着しているのだからさもありなん。


「いつも思うが……瑠華ちゃんが可哀そうなのでは……彼女ももう高校生な訳ですし、距離感をですね……」


 重低音な呆れた声を白鴉と霧虹にかけているのは、車を運転している『トランセンダー』であり昔からの馴染みでもある鬼丸おにまる壱騎いっき

 名前通りの”THE 筋肉”という印象の強面で背も高い偉丈夫にしか見えないが、気を抜くと女性的な言葉になる内面は可愛いものが大好きな乙女である。

 ちなみに、瑠華にとっての鬼丸は大好きな育ての母以外の何者でもない。

 ……鬼丸と親しい者の中でも、彼は心が乙女なだけであって、性的志向においては異性愛者であるという事を知る者は多くはない事で、日に日に鬼丸の心労は増えるばかり。

 これ等が教職を辞そうかと常に考える由縁となっているのが、鬼丸の生真面目さを表していた。


「そうは言うがね、やはり"『地獄インフェルノ』最初期"において、寝食を共にしながら戦場を連れ立って駆け回った同士としての彼女の印象が強い。当時の幼い彼女が脳裏に刻み込まれているからこそ、僅かでも彼女から離れた場合にどうなるかも知っているのだから、この行動は必然だろう」


 白鴉が忸怩たる色を瞳に宿らせながらも、声音だけは優しく鬼丸に語りかける。

 それを言われてしまえば鬼丸としても納得であり口を噤んだ。

迷宮ダンジョン』、『モンスター』が出現した時から、大半の人類が文化的かつ平穏な生活を遅れるようになるまでの間を、『地獄インフェルノ』と世界的に称するようになっていた。

地獄インフェルノ』と言われる時期において”まさに地獄があふれた”、そう生き残った皆が口にする、特に凄惨を極めた『最初期』と言われる期間、大半の国は国の体をなさぬほどの混乱と虐殺が横行したのだ。

 それは『モンスター』によるものであったかもしれないし、人の手によるものであったのかもしれない。

 大半の人類は、隣人の暴虐を記憶の底に封じて生きている。

 ――――封じられない者もまた少なくはなく、報復や復讐に手を血で染めるのを厭わぬ者達も後を絶たない。

 だからこその薄氷の平和だと知ってはいても、多くはそれにしがみついていた。

 同時に国への不信感もまた根強く、特に『トランセンダー』は自分達に首輪を嵌めようとするただの人間共への嫌悪を隠そうともしなくなっている。


「鬼丸さんも憶えていらっしゃるでしょう? 『最初期』は……本当に呼ばれる通りの地獄でしたから。何せ人類の兵器は通じない等という理解の範疇外でしたし。あれこそ想定外と言うべきですよ。その地獄で背中を預け合った、命を預け合ったのですよ、我々は。勿論、鬼丸さんも。。分かっているでしょうに」


 霧虹は苦笑と共に、隣で居た堪れなさに俯いている瑠華の頭を撫でる。


「こういう話も気をつけなきゃいけないんだろ? ”機密”って奴なんだから」


 暁は悪戯っぽい笑みを浮かべながら振り返って後部座席へと視線を向けるも、やはり瞳は笑ってはいない。


「ええ。ですから瑠華君。目立たないように細心の注意を払って下さい。もしかするとどこかのスパイなりが紛れ込んでいないとも言えませんし」


 白鴉が優し気に微笑みながら瑠華の顔を覗き込む。


「分かりました。気をつけますね」


 何度も肯いている瑠華を見詰めながら、霧虹は大きくため息を吐いた。


「紛れ込んでいる確信はあられる訳ですね、白鴉様」


 暁も面倒そうに口を開く。


「あれだろ? 紫苑様を餌にする気だろ? ま、瑠華様を餌にしたらだから良いんじゃね」


 瑠華が弾かれた様に白鴉の顔を見ると、彼は苦笑するだけで沈黙する。

 それがおそらく一番確実だとはわかっていても、彼女の表情が覿面に曇った。

 瑠華にとって、紫苑は大切な大切な幼馴染だ。

『最初期』を共に生き延びた戦友でもある。

 ――――どんなことをしても償うと決めてしまっている人物でもあるのだ。


 だというのに、紫苑が危険な任務を達成すればするほど、瑠華の命は万全になっていく。

 そのことが彼女の心を常に焼いていた。

 今の学校はどこもいざという時の対応を含めた戦闘訓練を課すからこそ、学校に通えば瑠華も紫苑の役に立つのではと考え、楽しみにしていたのだ。


 何せ彼女と共に居る護衛の皆が皆、異常な過保護の極みであり、瑠華としてもどうにか大事な皆の力になりたいというのに叶わない。

 そう彼女は信じていた。



 まるで伝説のエルフの住む里を思わせる木を主体とした建物が綺麗に立ち並ぶ中、美しく整った碁盤の目のように真っ直ぐに伸びる広い道路を走る。

 いつの間にか見渡す限りの広大な湖の前に車は止まった。

 どうやら上位ではないにしても『トランセンダー』であるらしい青系の軍服の守衛から許可を受け、巨大な門を潜りながら瑠華は頑丈な橋の上を通りながらも高い塀に目を丸くする。

 学校の守衛に『トランセンダー』という貴重な戦力を配置する事に驚いたのだ。

 まるで要塞の様に隔離された湖の中の島に学校があるらしい事にも。


 周りの所為と元々の性格から、彼女は自分の価値に対して非常に疎く、ここに来てようやく『アーカス』という存在の重要性と脆さに気が付いた。

 彼女は『アーカス』であった期間がほぼほぼなく、『トランセンダー』としてすぐに覚醒したのと、周りには貴重かつ強力な上位『トランセンダー』しか居なかったのも手伝い、『アーカス』という存在の不安定さと弱さに無知だったのだ。

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