尽きぬ夢幻の夜想曲

卯月白華

プロローグ

 ――――2015年10月31日 土曜日

 渋谷のスクランブル交差点は、ハロウィンと休日が重なって、まだ昼前という時間帯でもコスプレした人達と見物人で大いに賑わっていた。

 そんな騒々しさを気にも止めず、巨大な大型街頭ビジョンにさえ目も暮れず、「初めてで不慣れな貴女でも待ち合わせしても大丈夫」そう友人に言われた通りにハチ公像の近くで佇みながら、視線をスマホと人混みを行ったり来たりさせているのは、まだ小学生だろうに人目を惹きつけてやまない小柄な少女。

 見渡す限りの衆目を集めている事に無頓着な彼女は、あまりに注目を浴び過ぎているからこそ逆に安全になっている事にも気が付かない。

 一瞬でも視界に入ったのならば、問答無用で老若男女問わず魅了することの危険さにも少女は無知だった。

 思わず触れたくなる長い艶やかな射干玉色の髪と、吸い込まれそうな澄んだ同色の瞳。

 何より1000人いれば1000人が見惚れるどうしようもなく正統派に整ってしまっている綺麗な美貌。

 仮装している人の波にあって、とろみ素材の淡いベージュ色のエレガントなAラインプリーツワンピース、濃いチョコレート色をした太いヒールブーツと、白色の小さなハンドバッグという彼女は、平素でも人目を引いて止まないだろうに、今は余計に衆目を集めている要因になっていた。

 不安そうな表情さえ眼を奪う程に愛らしいその少女の顔が、花が咲いた様に突如ほころんだ。

 喧騒が静かになり周囲がもらす感嘆のため息がひどく鮮明に聞こえる中、少女の前に立ったのは――――これまた1000人がいれば1000人を確実に狂気を抱かせながらも虜にする、どこか引きずり込まれそうに危険な匂いが漂う、恐ろしささえ後々備える事を確信してしまうほどには、あまりに妖艶で底なしの闇を感じさせる絶世の容姿をした、同い年と思われる少年。

 グレーのイタリアンカラーのニットジャケットと白のVネックのニットシャツ、黒いパンツと同色のブーツ、濃いグレーのレザーだろうボディバッグが良く似合っている。

 陽を照り返す絹糸を思わせる烏羽色の髪に同色の瞳を珍しく優しく細めて、少女を見つめながら嬉しそうに話し出す。

 少女の前以外では彫像の様に動かない冷たい無表情も、いまは温かみを感じる。

 声変わりはまだなのか、聞き惚れるボーイソプラノはこれまた優しさと温かさに満ちていた。


「遅くなった」


 答える少女の天使を思わせる透き通った美声も嬉しさを隠しきれない。


「大丈夫。今来たところだから」


 そこで少女はハタっと気が付く。


「あれ? 紫苑と一緒に律も来ると聞いていたけれど……」


 少年は少年でいつもの眉間の皺を復活させつつ首を傾げる。


「俺は瑠華は詩と共にいると聞いていたが」


 瞳を瞬かせ首を振る少女、瑠華の様子に、少年、紫苑はため息を吐いて事態を察した。


「アイツらは来ないな。俺と瑠華でという事だろう、おそら――――」


 そこで言葉を突然切った紫苑は、躊躇なく瑠華を強く抱きしめて身を屈める。

 瞬間襲ったのは、立っていられず地面にしがみつくしかない程の揺れ。

 上下左右に出鱈目に動く大地に皆が悲鳴をあげながら蹲ったり這いつくばる。

 近くで断末魔の様な叫びと騒乱が起きても、体は地面の激しい揺さぶりで身動きできない。

 永遠を思わせる揺れは実際には数分。

 だが世界が一変するには十分な時間。


 ――――地を破った様な底無しに見える巨大な穴。

 今まであった交差点はほぼ消滅し、在るのはただただ大きな何処までも続くように見える穴。

 何故かは皆目分からないが……入りやすいように見える、なだらかな下り坂となっているソレ。


 次いでまるで地獄が溢れ出した様に穴から飛び出してきたのは、周囲のビルに引けを取らない馬鹿でかい醜悪な怪物。

 一つ目と露出した背骨。

 全身を覆う黒く長い毛。

 奇怪な大悪魔めいた頭の側面から生える2本の大角。

 涎を垂らす口から覗くビッシリ生えた、肉食以外の何ものでもないと主張する鋭く大きな牙。

 簡単にビルさえ引き千切りそうな太い手足。

 垂らした涎はアスファルトを瞬時に溶かして地面に穴が開き、その吐く息がかかったらしい自動車さえ不思議と原形を留めないほど瓦解しだす。


 余計に皆が凍りついて固まり、動けない中、既存の動物で分類するならば熊といえるだろうその怪物は、踏み潰した人々にまったく関心なさげに鼻をひくつかせて匂いをしばし嗅いだ後、無関心ぶりが嘘の様に嗜虐の笑みを浮かべながら、体を獲物と狙い定めた相手へと向け、猛然と突進を開始した。

 獲物……即ち瑠華へと――――

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