最強の魚屋
刃が肉を切断する音とともに、大きな断末魔が響き渡り、巨大な体が地面に伏した。
勇者が、魔王を倒した瞬間であった。
魔王に従っていた魔物たちはその力を失い、皆人間に危害を加えることはなくなった。
こうして、世界に平和が訪れたのだった。
勇者は魔王が死んだことを確認すると、どこへともなく姿を消した。
その後、勇者の行方を知る者はいないという……。
とある王国の下町にある商店街は、今日も賑わいを見せていた。
中でも、ひと際繁盛している店が一軒あった。
「らっしゃーせー!!新鮮な魚が今日も大量だよー!ぜひ寄ってってくれー!」
ひと際繁盛している店である、魚屋の店主が、今日も元気に声を張り上げていた。
店主の名前はダイゴ。ダイゴがこの王国で魚屋を開いたのはつい1年前の話である。当時、王国の下町はさびれていた。魔王が倒されて間もなくのころで、魔物の襲撃こそ止んだものの、その被害は立て直すのが困難なほどに甚大なものだった。
そんな中、街をどうにか活気づけたいと立ち上がったのが、ダイゴだった。自身が過去に旅をしていた経験を活かし、各国から魚を集め、それを売りに出し始めた。ダイゴは、自身の店を盛り上げるにとどまらず、周りの店への支援を惜しまなかった。時には、自身が稼いだほんのわずかな売り上げを、すべて街の復興のために寄付してしまうこともあった。
ダイゴ一人に助けてもらうわけにもいかないと、徐々に周りの人々も活気づき、今では下町、いや王国一賑わいを見せる商店街へと変貌したのだった。
「よっ、今日も元気だねぇダイゴの親父、魚売ってくれよ!」
「おはようございます、ダイゴさん、今日も魚買いに来ましたよ。」
「ダイゴのおじちゃん、僕もおさかなほしいよ~!」
こんな感じで、ひっきりなしに来る客を苦にせず捌きまくるダイゴは、もはやこの下町の名物店主となっていた。
「ダイゴさん、ちょっといいですか?」
客の波が途切れた少しの間に、店員がダイゴに声をかけた。
「ん?どうかしたかい?」
「魚のデリバリー依頼が来てるみたいなんですけど。」
ダイゴの店は、店に直接これない客のために、魚のデリバリーも行っていた。チュモンを受けた後に魚を釣って、新鮮なまま客に届ける。このサービスも、なかなか人気があった。
「おう、デリバリーか、どこの客からだい?」
「それが、ちょっと妙なんですよ。客は名前は名乗らないし、ほしい魚きいても何でもいいからっていうし。あと、届け先がナンネー草原だっていうんですよ。」
ナンネー草原とは、王国の西部、森を抜けた先にある草原である。その草原は、かつて魔物が闊歩していた時期があり、人間が立ち寄ることはなかった。その名残から、人工物も何もない、一面緑が広がっている草原である。
「確かに、妙な話だな。」
「それと、必ずダイゴさんにきてほしいっていうんですよ。」
ダイゴはこの町ではかなり人気者で、デリバリーにダイゴさんが来てほしいという要求も珍しくはない。だが、今回のような奇妙な依頼はダイゴにも初めての事だった。
「まぁ、奇妙だろうと何だろうと、客は客だ。どれ、ひとっ走り言ってくるとするか!店のことは頼んだぜ!」
そういって、ダイゴはナンネー草原へと足を向けた。
魚を釣り終わり、ナンネー草原についたダイゴの前に、一人の男が立っていた。帽子を目深にかぶっており、男の顔を見ることはできない。
「お待たせしましたー!あなたが、注文したお客さんで間違いないですか!?」
そう声をかけるも、男は沈黙を保ったままだ。
「えっと、この魚どこに置けばいいですかね?あと、お会計の方はどうします?」
なおも沈黙を保つ男。
「あのねお客さん、黙ってないで-」
さすがにむっとなって男に一歩近づいた次の瞬間。
シュッと何かがダイゴの顔をかすめた。何かは見えなかった。だが、顔から滴る血が、何か鋭利な刃物であることをダイゴに知らせた。
「ふ、今のを避けるか。」
ようやく男が口を開いた。ダイゴは、この男が自分を攻撃してきたことを確信した。
「…あんた、なにもんだ?」
「名乗る名前なんてものはない。」
ただ、と男は付け加える。
「勇者に恨みを持つものと言えば、なんとなくわかるだろう。」
「……何のことかわからんねぇ」
「とぼけても無駄だ。わが不可視の風を見切ったのが何よりの証拠ではないか。」
「……」
「我々魔族は、皆魔王様のもとでこの世界を征服すると誓った。だが、貴様によってそれを阻止された。そんな主の仇がまさか、辺鄙な下町で魚屋を営んでるなんてな。それを知った時は、あきれを通り越して怒りすら沸いたよ。」
「敵討ちってわけだな?」
「無論、そうだとも。逃げようとしても無駄だ。もし逃げたら、俺はこのままあの王国を襲う。弱体化しているとはいえ、平和ボケし始めてる国を一つ滅ぼすなんて、俺には訳ないことだ。」
そういって、男は構える。
ダイゴは、この男の技を知っている。対峙こそしてはいないものの、魔王軍の中でもかなりの実力者として名をはせていたからだ。
風をつかさどる魔族、ウィンド。それがあの男の名だ。
ウィンドは、その実力もさることながら、戦う前に入念に準備をすることで知られていた。自身から風を放つのはもちろん、自身の周り、あるいは線上のいたるところに結界を張り、そこに踏み入れたものを自動的に切り裂く罠をも用意する。その厄介さから、戦うのを裂けていた相手だ。ダイゴは直感していた。自身が訪れたナイネー草原、この見渡す限り緑の大地が、すべて自分の敵と化していることを。
ダイゴが一歩足を踏み出す。次の瞬間、またしても見えない風がダイゴを襲う。事前にこの男のことを知っていたがゆえにかろうじてかわせるものの、捉えられるのも時間の問題だった。反撃しようにも、ダイゴが持っているのはクーラーボックスのみ。攻撃手段はない。
ウィンドは勝利を確信して、余裕のこもった笑みを浮かべている。
「・・・はぁ、しかたねぇ」
そういって、ダイゴは手に持っていたクーラーボックスを地面に置いた。早くも観念したか、ウィンドはそう思ったが、次のダイゴの行動は予測していなかった。
ダイゴは、クーラーボックスを開けて、その中から魚を取り出していた。
ウィンドは理解できなかった。何故魚を取り出す?投擲でもする気か?魚程度、切り裂くなんてわけない。それを理解していないやつでもあるまい。なんだ、次はその魚の尾の部分を、両手に持って、構えた?まるで今から剣を振るうかのようじゃないか。いや、ようじゃない。大きく振りかぶった。一体それで何を切る気—。
一閃。
次の瞬間、草原が縦に切れていた。
「………は?」
唖然とするしかないウィンド。それはそうだ。自分の横を何かが通ったと思ったら、通った先が割れたのだ。訳が分からない。
「いやー本気出せば切れるもんだな。」
切った当人は何とも暢気な言い方なのがさらにわけがわからない。
ダイゴが?魚で?草原を?縦に?切った?
何度反芻しても理解が追いつかなかった。
だがその間に、ダイゴはウィンドに近づいていく。罠は草原ごと切られていて、もはや何の意味もなさなかった。
ウィンドの前に立つダイゴ。ウィンドは「あ、終わった」と死を悟った。
そんなウィンドにダイゴは
「よし、それじゃあ確かに届けたからな!」
そういって持っていたクーラーボックスを渡してきた。思わず受け取ってしまうウィンド。
「いやーここまでデリバリ来るのは初めてだからなー、さすがに疲れたぜー。」
そういいながら、最強の元勇者、ダイゴは帰っていった。
ウィンドは、もう2度とダイゴを狙おうとしないと、強く心に誓ったのだった。
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