カーチェイス・テクニカルズ
吟野慶隆
第01/11話 スタート・オブ・コンバット
生成(きなり)牙玖(がく)は、サイドブレーキをかけながら、ハンドルを切った。運転しているSUVを、左へドリフトさせ始める。その直後、車の右斜め後方あたりの地面が、どおん、という音を立てて爆ぜた。
「……!」
何も、地雷の類いが埋められていた、というわけではない。現在の戦闘の相手である、「マルーン平穏党」に属する兵士が、後ろからロケットを撃ってきて、それが地面に着弾したのだ。もし、左へドリフトしていなかったら、直撃していたところだった。
「く……!」
牙玖はその後も、SUVをドリフトさせ続けた。百八十度ほどの方向転換を終えたところで、ハンドルを元に戻す。車を、前方へと発進させた。
彼は今、いわゆる岩石砂漠にいた。地面はどこも、赤茶色をした砂で覆われており、ところどころに、黒い岩や、切り立った台地などがある。鋭い棘を全身に有しているサボテンが生えていたり、枯れ草の丸い塊が風を受けて転がっていたりしていた。
牙玖が運転しているSUVから数十メートル前方に離れた所には、マルーン平穏党の戦闘部隊がいた。こちらめがけて、走ってきている。
実質的な反政府軍であるせいか、兵士たちの装備は、きちんとした軍隊然とはしていない。中でも特徴的なのは、彼らがみな、戦車だの自走砲だのといった、戦闘専用に造られた車両ではなく、一般に販売されている車両を改造した物──いわゆる「テクニカル」に乗っていることだ。セダンの助手席に、ヘビーマシンガンを据えつけたり、ピックアップトラックの荷台に、ミサイルランチャーを載せたり、ワンボックスカーの屋根に、戦闘機から取り外したと思われる多連装ロケットポッドを設置したりしていた。
もっとも、それは、牙玖のほうも同じだった。彼が運転しているのも、民生用のSUVだ。いわゆるツーボックスカーで、ボディは全体的に丸みを帯びており、スポーティーな印象を受ける。運転席は、進行方向に対して右側に位置していた。
どのウインドウにも、ガラスが嵌め込まれていない。ボディは、ろくに洗われておらず、土砂でひどく汚れている。
「頼んだぞ、卯美(うみ)!」
「お任せください!」助手席に座る胡粉(ごふん)卯美は、そう返事をした。
彼女は、膝まで届くほどの銀髪を、蝶々結びにした白いリボンで纏め、ツインテールにしていた。黒い半袖ブラウスにミニスカート、フリルの付いた白いエプロンにヘッドドレスというような、いわゆるメイド服を着用していた。
卯美の眼前、ダッシュボードの上には、ライトマシンガンが据えつけられていた。彼女はそれのストックを左手で、グリップを右手で握っていた。
「食らいなさいな!」卯美はトリガーを、かちり、と引いた。
たたたたた、という音とともに、大量の弾丸が放たれた。それらは、数十メートル前方にいる、マルーン平穏党の部隊のテクニカルのうち、向かって左端に位置する一台――セダンの助手席にヘビーマシンガンを設置してある物――に、どどどどど、と命中した。
ボディやタイヤ、ホイール、さらには、運転席でハンドルを握っている男性兵士や、助手席で重機関銃のスペードグリップを握っている男性兵士が、あっという間に穴だらけになった。金属片や燃料、塗装、肉片、血液、内蔵などが辺りに撒き散らされた。
テクニカルは、その後、ふらりふらり、と左へよろめいていくと、地面の凸凹でバウンドし、ずしゃ、と横転した。
「やりました!」卯美は嬉しそうな声を上げた。
牙玖は、ぐるぐる、とハンドルを回した。SUVを左に曲がらせると、再度、まっすぐに走りだす。後ろから、マルーン平穏党の部隊も、右折し、こちらを追いかけてきた。
「それじゃ、次はおれの番だ!」
牙玖は、ブレーキペダルを踏み込んだ。SUVが、ざざざざざ、という、タイヤと地面との摩擦音を響かせながら、急減速していく。
マルーン平穏党の部隊のテクニカルのうち一台が、右隣を通りがかった。ピックアップトラックの荷台に、ミサイルランチャーを積んだ物だ。
牙玖は、ブレーキペダルから足を離すと、アクセルペダルを踏み込んだ。スピードを上げ、トラックの左隣を並走し始める。荷台に立っている男性兵士が、ミサイルランチャーを動かし、砲口をこちらに向けてきたのがわかった。
「とりゃ!」
牙玖は、ぐるぐる、と、ハンドルを右に回した。テクニカルに、がつん、と、体当たりを食らわせる。
トラックは、大きく右方によろめいた。荷台にいる兵士は、振り落とされこそしなかったものの、さすがにミサイルランチャーを操作している場合ではなかったらしく、しゃがみ込んでいた。
数秒後、テクニカルは、進路上にあった、高さ二メートルほどの岩に、どがしゃあん、と衝突して、そのまま動かなくなった。
「よし!」
牙玖はガッツポーズをした。首を回して、視線を、リアウインドウからフロントウインドウに移す。
背後で、ぼしゅうっ、という音が鳴った。再度、リアウインドウのほうを向き、それの聞こえてきたほうに視線を遣る。
さきほど岩に衝突したトラックの荷台に、兵士が立っていた。頭頂部から流れ出ている血で、顔が真っ赤に染まっている。どうやら、車両がクラッシュした時、怪我を負いはしたものの、死にはしなかったらしい。
彼は、ミサイルランチャーのスペードグリップを握っており、砲口をこちらに向けていた。そこから発射されたらしいミサイルが、白煙の尾を引きながら、牙玖たちめがけて宙を飛んできているところだった。
「ぐう……!」彼は視線を前方に戻した。「あれ、撃ち落とせるか、卯美?!」
「もちろんです!」
「頼む!」
牙玖は、サイドブレーキをかけながら、ハンドルを、ぐるぐるぐる、と限界まで右に回した。SUVを百八十度ターンさせると、間髪入れずに、バックし始める。
卯美は、右手でグリップ、左手でフォアグリップを握ると、がば、とライトマシンガンを持ち上げた。銃口をミサイルに向けると、すかさずトリガーを引く。
たたたたた、という音とともに、大量の弾丸が発射された。その後一秒もしないうちに、ミサイルが、空中で、ぼおん、と爆発した。
「命中しました!」卯美はライトマシンガンを元の位置に戻した。
「やった!」牙玖は、視線を、爆発したミサイルから、前方へと移した。「残りのテクニカルは、あと、三台か……」SUVを、再度、百八十度ターンさせると、前進し始めた。「全滅させてやるよ」
「まったく、おれたちも有名になったもんだよなあ……」
牙玖は、レストランの駐車場を、自分の車を停めてあるスペースに向かって歩きながら、そう呟いた。
彼は、短い黒髪を、ワックスを使って、爽やかな印象を与えるような形に固めていた。グレーの半袖シャツを着、ベージュのスラックスを穿いている。
「そうですね……まさか、『サインをくれ』『一緒に写真を撮ってくれ』って言われるだなんて、思いもしませんでしたよ。わたしたち、芸能人でもないのに。予約の電話を入れた時、名前を聴いて気づいた、って仰ってましたね」
卯美は、ふふ、と苦笑した。彼女はいつもどおり、髪をツインテールに纏めており、メイド服を着ていた。
「おれもだよ。今まで、数年にわたって、テクニカル専門のドライバーとして、傭兵活動をやってきたが……あんなことは、初めてだ。びっくりした」
しばらく歩くと、車の前に着いた。いわゆる、クーペタイプのスポーツカーだ。平べったい直方体の中央に、角錐台をしたキャビンを載せたような見た目をしている。乗降口は2ドアで、ボディはスカイブルーに塗装されていた。「リトポン」という名前の車種だ。運転席は、進行方向に対し、右側に位置している。
「卯美も、驚いただろ? お前も、今まで、おれと一緒に活動してきた中で、あんなことは初めてだったはずだ」
牙玖は、がちゃ、とドアを開け、運転席に腰を下ろした。卯美も、リトポンの反対側に回り込むと、助手席に座った。二人して、シートベルトを締め終えた後、エンジンをかける。
「ええ」彼女は、こく、と頷いた。「まあ、しかし、有名になってきているのではないか、という思いはありました。戦場で、ご主人さまの運転されるテクニカルに乗って、武器を操縦している時、遭遇した敵兵が、明らかに、わたしたちのことを知っているような反応を見せたことが、何度かありましたし。それに、最近は、ほら、マルーン平穏党が、わたしたちの殺害に懸賞金を設定した、という噂もあるじゃないですか」
牙玖はサイドブレーキを解除すると、アクセルペダルを踏み込み、リトポンを発進させた。駐車場を出て、右折し、道路に入る。日本とは異なり、この国では右側通行だ。
「ああ……そういや、そんな噂を聞いたっけな」彼は数秒間、黙り込んだ。「……なあ、卯美。お前、これからも、おれについてきていいのか? 別に構わないんだぞ、お前だけでも、日本に戻っても。身の安全を重視するのは、恥ずべきことじゃない。人間として、とうぜんの本能だ。
まあ、そりゃ、おれとしては、これからも、お前と一緒に、傭兵として活動していきたいがな。おれが興味があるのは、あくまで、テクニカルの運転だけ。営業だの契約内容の交渉だのといった雑事を、お前が一手に引き受けてくれているのは、とても助かってるからさ」
「大丈夫ですよ、ご主人さま」卯美は、ふふ、と笑った。「わたしは、ご主人さまについていきますから。どこまでだって。……あ、あの交差点を右です」
彼女は、フロントウインドウの遠方を右手で指した。左手には、スマートホンを持っている。ちら、と見たところ、ディスプレイには、地図アプリが表示されているようだった。
牙玖も、くく、と笑った。「嬉しいよ」しばらくして、卯美が指定した交差点に着いたので、右折する。
少し、照れ臭くなった。話題を変えることにする。「……ええと、インディゴ社の事業所まで、所要時間は、どれくらいだ?」
卯美は、たたた、とスマートホンを操作すると、「あと、小一時間、というところでしょうか」と答えた。「距離は、それほど遠いわけではないのですが、何箇所か、小さな渋滞が発生しています」
「小一時間なら、打ち合わせの時刻には、じゅうぶん間に合うな。しかし、渋滞、ねえ……」牙玖は思わず、そう呟いた。「久しぶりだな、渋滞に遭うのは。先週まで、こことは違う町にいたが、ぜんぜん人がいなくて、道路もすかすかだったから」
「前の所は、戦闘地域のすぐ近くにありましたから。ここ、チャコール市は、戦闘地域からはだいぶ離れていますし、何より、町自体の規模が、ヴェンタ人民共和国の中でも、わりと大きいほうです。経済、ひいては交通が活発になるというものでしょう。人口も多いですし、観光名所も、たくさんありますしね。まあ、今は、紛争のせいで、観光客なんて、ほとんどいませんが……」
「観光名所?」
「ほら、数千年前にここら辺で栄えていたという古代文明、スレート帝国の遺跡ですよ」
「ああ……あれね。この国のあちこちにあるっていう……」
「ええ。世界遺産にも登録されています。紛争のせいで、学術的な調査は、ろくに行われていませんが」卯美は、ふう、と軽い溜め息を吐いた。「そのため、スレート帝国については、ほとんどが謎に包まれています。きわめて高い技術力を有していた、というのは事実みたいですがね。なんでも、離れた所に位置している二つの遺跡が、実は地下にある通路で繋がっていた、というケースもあったみたいです。その通路も、丈夫な造りになっていて、地面は平坦に舗装されているとか……」
「ふうん……」牙玖はしばし沈黙した。「その調査を進展させるためにも、早く紛争が解決すればいいんだがなあ。
まあ、といっても、大勢は決しているがな。今や、ヴェンタ人民共和国の八割を、おれたちを雇っている、チョーク源流党が統治している。まあ、本来、それが当たり前なんだが……マルーン平穏党は、残り二割を、勝手に牛耳っているだけだし」
「やつらは、国土すべての支配を、最終的な目標にしているらしいです。だからこそ、チョーク源流党との間で、争いが絶えないわけですが……」卯美は、はあ、と大きめの溜め息を吐いた。「本当、早く終わってほしいですね」
「まったくだ」牙玖は、うんうん、と頷いた。「ブランクのやつも、そんな愚痴を零していたっけな……この前、チョーク源流党との打ち合わせで会った時に」
「ブランクさま……大丈夫でしょうか?」卯美は心配するような表情になった。「ほら、一昨日の戦闘でお会いした時は、ずいぶんとやつれた顔をされていたじゃないですか」
「そうだなあ……やっぱり、ストレスが大きいんだろうな。小隊長という地位に就いているわけだし。
大丈夫だったら、いいんだがなあ。もし、倒れられたら、おれたちだって、困る。戦場では、基本的に、あいつの部隊と連携して活動しているわけなんだから……」
牙玖はそれからも、卯美のナビゲートに従い、リトポンを運転していった。二人はその間、他愛もない雑談を交わした。
やがて、車両は、チャコール市にあるスレート帝国遺跡のうちの一つ、ランプ神殿の前を通りがかった。道路の右側に四角い広場があり、それの中央部、道路から数十メートル離れた所に、神殿がある。直方体の上に、横倒しにした三角柱を載せたような見た目をしていた。
「──だとさ。つまり、過去の履歴から未来の変化を予測しよう、というわけだ」牙玖はブレーキペダルを踏み込み、赤色を点灯させている信号機の前でリトポンを停めた。「それに関して、こんな話もある。あるバスケットボールプレイヤーが、相手チームの選手と接触していないにもかかわらず、ファウルを宣告されたんだが──」
彼の台詞を遮って、どおおおおん、という、何かが爆発したかのような音が轟いた。
傭兵としての能力、と言うべきか。驚くよりも先に、音源を確認しなければ、という思いが体を動かした。ばっ、と、運転席側のウインドウに顔を向ける。
直後、ランプ神殿の正面にある出入り口から、しゅばっ、しゅばっ、と、何かが次々に飛び出してき始めた。
それらは、自動車だった。SUVやピックアップトラックなど、種類はまちまちだが、ヘビーマシンガンやロケットランチャーなど、兵器の類いが搭載されている点は共通している。いずれのボディにも、マルーン平穏党のシンボルマークが描かれていた。
「な……?!」
今度こそ、牙玖は驚いた。しかし、その失態も、わずか数秒のことだった。すぐさま、アクセルペダルを踏み込み、赤信号を無視して、リトポンを発進させる。左の道から走ってきていたセダンが、ぱああーっ、というクラクションを鳴らしながら急停止したが、気にしていられない。広場から、離れ始めた。
なぜ、ランプ神殿から、マルーン平穏党のテクニカルたちが飛び出してきたのか。それは理解できない。しかし、あそこにいたままでは、たちまちのうちにやつらに襲撃されてしまう。そうなれば、こちらはただのスポーツカーだ、あっという間に自分たちは殺されてしまうだろう。それは理解できた。
リトポンを走らせながら、ちら、と、バックミラーに視線を遣った。遺跡を飛び出した車両たちは、広場を横断し、道路に乗り込んでくると、左右にわかれた。数十台のマシンが、こちらに向かってくる。
それらのうち何台かは、途中で、交差点を折れたり、脇道に入ったりして、部隊から外れていった。しかし、相変わらず、十数台のテクニカルは、道を逸れずに、リトポンのいるほうめがけて走ってきていた。
「まさか……」
牙玖は、嫌な予感を覚えた。数秒後、リトポンが十字路に差し掛かった。
嫌な予感が的中しているかどうかを確認する、絶好のチャンスだ。サイドブレーキのレバーを引き、ハンドルを回す。ドリフトしながら、交差点を右折した。
嫌な予感は、的中していた。数秒後、テクニカルたちも、同じ十字路を右に曲がると、こちらを追いかけてきた。
「やっぱり……!」牙玖は、ぎり、と軽く歯を食い縛った。「あいつら、おれたちを狙っていやがる……なんとかして、振り切らないと……!」
牙玖は、右手親指を伸ばすと、ハンドルに三つ付いているナイトロ起動ボタン、「WEAK」「MEDIUM」「STRONG」のうち、「MEDIUM」を、がちり、と押した。
リトポンが急加速し、わずかにウイリーした。体が、慣性の法則に従い、シートに、ぐっ、と押しつけられる。思わず、呻きそうになった。
ある程度スピードが上がったところで、ボタンから、ぱっ、と、右手親指を離した。当たり前だが、ナイトロ用のガスは、無尽蔵というわけではない。「STRONG」を使えば、最も勢いよく速度が上がるが、ガスの消費量も一番大きいため、何度も使うわけにはいかない。ここぞ、というときのために、残しておかなければ。
リトポンの加速力が、目に見えて落ちていく。しかし、その頃にはすでに、こちらを追いかけてきているテクニカルたちとは、だいぶ距離を取ることができていた。この後はもう、車本来のエンジンパワーで事足りる、と判断したのだ。
「このまま、逃げきってやりましょう!」卯美が叫んだ。彼女はすでに、スマートホンをポケットにしまっていた。
牙玖はハンドルを、ぎゅっ、と握り締めた。視界の端で彼女の様子を確認したところ、右手でアームレストを、左手でアシストグリップを握っていた。
テクニカルたちのうち、大部分は、彼方に置き去りにすることに成功し、もう、バックミラー越しでも見えなくなっていた。しかし、何台かは、こちらのハイスピードに、ついてくることができていた。
それらは、家族での利用を想定したワンボックスカーだったり、業務での利用を想定したピックアップトラックだったり、単身での利用を想定したコンパクトカーだったりした。おそらくは、エンジンだのトランスミッションだのといった各種のパーツを改造することで、高い速度を出すことに成功しているのだろう。
「クソ……!」
牙玖は、もはや底まで踏み込んでいるアクセルペダルに、さらに力を込めた。もう一度、ナイトロを使おうか、とも考える。
しかし、遅かった。彼が迷っている間に、テクニカルたちのうち一台が、もう、数メートル後方にまで迫ってきていた。
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