第一話『転生したと思ったら……?』
サワサワと葉が揺れる音につられ、意識が浮上する。ゆっくりと瞼を開いた。緑の木々に縁どられた雲一つ無い青空が視界いっぱいに広がる。
————ああ。今日はいい天気だな。
そう、口に出したつもりだった。
「ああ。んうぅうう……う?」
一瞬思考が停止する。もう一度、今度はゆっくりと喋ってみる。
「ああ。ううぅ……いいああああ」
うむ。まともに喋れていないようだな。それと、もう一つ思い出したことがある。吾輩の記憶が正しければ、吾輩は先程死んだばかりの筈だ。そう、死にたてほやほやだ。だが、どうやら吾輩は生きているらしい。
生き返ったというよりは『転生した』のだろう。小さな予感に心が躍る。青空を掴むように腕を突き出した。視界に小さなぷくぷくとした手が見える。
「あぁーう!」
思わず興奮で叫んでしまった。ぐーぱーぐーぱーする手を見つめながら顔がにやけるのを止められない。
吾輩の死に際の願い事が神に届いたらしい! ……魔王が神頼みというのも可笑しな話だが。今回ばかりは感謝しようではないか。すん、と鼻を鳴らす。
————いや、さすがに
誰もいないことをいいことに「ぐふぐふ」と赤子らしからぬ笑いを零していると、ふとある事に気が付いた。
そういえば、何故吾輩はこのような森の中に一人でいるのだろうか。母親や父親はどうした? 人間の赤子というのは誰かしらが側についているものではないのか?
……嫌な予感がしてきたぞ。いや、まさか、そんな。吾輩が捨て子なんてそんなわけは……。
悩んだ末、ひとまず泣き叫び人を呼び寄せることにした。この小さな身体では満足に移動も出来ないからな。意を決して空気をしっかりと吸い込み、泣いた。
「ふぇええええええええええええええぇぇぇん!?」
泣いてはみたものの、その声の大きさに自分自身で驚く。魔王時代だって、こんな大きな声を上げたことはない。そして、すごく声が伸びる。なんだこれはすごいぞ! ……ちょっと楽しくなってきた。
「ぇぇええええええええ~ああぁぁあああああああ~」
強弱もつけてみる。いくら声を出しても疲れないとは不思議なものだ。本来の目的をすっかりと忘れて一頻り楽しんだ後に気付く。
誰も来ないんだが……。まさか、本当に吾輩が捨て子だと言うのか?! そんな馬鹿な! せっかく転生したというのに、人間の赤子がこんな森に一人置き去りにされるなど死亡フラグではないか! 転生して直ぐに死ぬなど……先程の言葉は撤回するぞ神よ!
前世での死に際、視界の端に入ってきた
仕方がないではないか! 今の我輩は人間の赤子なのだぞ。悔しいがやれることは限られているのだ。
心の中でベリアル相手に暴れ狂っていると、ガサガサと木々が大きく揺れる音が聞こえてきた。
「ぶ?」
おお! ようやく迎えが来たのか。遅いではないか。だが、許してやろう。吾輩は心が広いからな。サービスで笑顔もつけてやろう。存分に堪能するがいい。このあざと可愛い笑顔をな! まだ、吾輩は自分の顔を見てはいないが、可愛くないわけがないからな。
あざと可愛い声もオプションでつけて、何とか音がした方へと顔を向けた。
「ゔ……?」
足が見えた。
毛むくじゃらな前足が。せめてふわふわであってくれればいいのに、どう見ても硬そうな毛並みの前足が。
よだれをぽたぽたと地面に垂れ流し、ギンギンの目で吾輩を捉えている……狼が木々の間から姿を現した。
いや、おい、まて。お前は呼んでいないぞ?! 確かに、ふくふくとした肉付きの良い赤子は旨いと魔物達が話していたが、我輩は不味いぞ! 何せこんなところに捨てられていた赤子だ。まともに食事を与えられていたわけがない。故に不味い! 不味くてたまらないはずだ。だからやめろ! こっちに来るな-!
「ば、ぶぅぅぅぅぅうううううううううううう!」
必死に叫んで手を伸ばして待ったをかけたが、そんなことが通用する相手ではない。狼は大きな口をあけて飛びかかってきた。
――――はい。吾輩、終了のお知らせです。
諦めて潔く目を閉じた。ところが、しばらく待っても痛みはやってこない。その代わり、今世で初めて感じる人肌の温もりと、魂を揺さぶる声が降ってきた。
「ぎゃあぎゃあうるせぇよ。おかげで目が覚めちまったじゃねぇか」
目を見開いた。眼前には無防備に晒された立派な胸筋があった。思わず手を伸ばして触れる。
――――実戦でついた柔軟性も兼ね備えたイイ筋肉だ。
何度もペチペチと叩いていると、真上からまたもや深みがあるバリトンボイスが降ってきた。
「おい。泣き止んだと思ったら腹が減ったのか? 俺の乳からミルクはでねぇぞ。……ヤギの乳なら家にあるが飲むか? ん?」
男が吾輩を覗き込むようにしてきたおかげで、顔がよく見えた。
一瞬、呼吸するのを忘れた。
あの時よりも多少歳を重ねたようだが、間違いなく
まさか、こんなにも早く会えるとは……。現実なのだと確かめたくて、アランの頬に手を伸ばした。
「そうか、ちょっと待ってろ。すぐに用意してやるから。……にしても、赤ん坊をこんなところに捨てやがって。やっぱり、人間なんてろくなもんじゃねぇな」
アランは溜息を吐くと、吾輩を抱きかかえたまま腰を上げた。視線の高さが変わる前にちらりと確認する。アランの足元に先程襲いかかってきた狼が倒れていた。一撃で仕留めている。やはり、この者はアランなのだ。自覚すると一層胸が高鳴った。タラリと鼻からナニカが伝う。
む……鼻水か、と思ったのだが、アランは吾輩の顔を見た途端慌てふためきだした。
「鼻血?! どこか、ぶつけていたのか?! おい、大丈夫か?!」
先程までの余裕はどこへやら、アランは走り出し、その風圧で吾輩は目を閉じた。安定感抜群のアランの腕の中は安心感も抜群で気が付けばそのまま寝ていた。
目を開くと青空……ではなく、見知らぬ家の天井があった。人の気配を感じて隣を見るとアランの顔がドアップで飛び込んできた。思わずもう一度目を閉じた。深呼吸をしてから目を開き、辺りに視線を彷徨わせる。どうやら、ここはベッドの上のようだ。そして、おそらくアランは吾輩の様子を見守っている間に眠りについてしまったのだろう。
まさか、こうしてまた
嬉しくなって手を伸ばすが、まだ短いこの手では届かない。寝返りをうつことさえままならない。けれど、吾輩は嬉しくてたまらない。今度はアランと戦う必要はないのだ。同じ人間として、共にいれるのだ。否、いてみせる。
――――なるほど、神よ。このために吾輩は今世で捨てられたのだな。少しだけ、両親というものがどういうものか気にはなったが、アランを前にすればそんなことは些細なこと。
あの時、『魔王』を捨てたのは正解だったのだ。吾輩は間違っていなかった。なぁ、そうだろうアラン。
「ああん」
名前を呼べば、アランの瞼が震え少しだけ持ち上がった。吸い込まれそうな碧眼と視線がぶつかる。
アランがフッと笑い、大きな手で吾輩の頭を撫でた。瞬間、身体中を熱いナニカが駆け巡り、声にならない叫びを上げた。
再び鼻から血を垂れ流した吾輩はベッドを汚し、寝起きのアランに迷惑をかけてしまったのである。
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