『煩悩』に目覚めた魔王は転生して隠居勇者に拾われる

黒木メイ

プロローグ

 目の前に迫りくる剣を間一髪で避けた。しかし、完全には避けきれず、切られた前髪がはらりと落ちる。

 ――――吾輩の前髪が……。

 つい目で追ってしまったが、そんな余裕はなかったと我に返る。またもや際どいタイミングで剣先を避けた。相手は僅かな隙を見過ごすような輩ではない。舌打ちが聞こえてきた。

 ――――すまぬな。吾輩も痛い思いはしたくないのだ。

 今度は油断せずに間合いを取り、軽いステップで相手の攻撃をかわしていく。

 

 何度も繰り返しているうちに、相手の顔に隠し切れない疲労の色が浮かんできた。よくよく見てみれば、本来は艶があった筈の金髪も、男らしい端正な顔も、勇者らしい立派な装備もだいぶ汚れている。きっと、に辿り着くまでに何度も死闘を繰り広げてきたのだろう。

 

 何だかここで悠々と待っていた自分が狡く思えてきたが、それでも大人しく切られるわけにはいかない。

 いくら吾輩が歴代最強の魔王とはいえ、相手が勇者でその手に持っているのが聖剣となれば軽い怪我ではすまないだろう。……いや、まず、逃げずに戦うべきなのだろうが。


 自分でもわかってはいるのだ。何度も腰に下げた魔剣に手をかけた。でも、引き抜くことができなかった。

 呪いをかけられたわけではない。

 

 ただ、何となく戦う気分になれないのだ。そんな自分に己が一番驚いている。ここにベリアルやシュベルツがいたのならばあまりの不甲斐なさに笑われていたかもしれない。心底、あいつらがここにいなくて良かったと思う。


 自分で自分がわからない。


 こんなことは初めてだった。

 勇者と戦うのはこれが初めてなわけではない。むしろ、何十、何百回と返り討ちにしてきた。


 ――――もしや、歳をとったせいで性格が丸くなってきたのだろうか……。


 と思ったが、頭の中で過去に葬ってきたやつらが即座に否定してきた。ならば何故目の前の勇者を倒す気が一向に起きないのか。目の前の勇者と今までの勇者、いったい何が違うというのか。

 その原因が知りたくて勇者をジッと見つめる。


「はぁっ!」


 ガキン


 勇者が振り下ろした聖剣を鞘をつけたままの魔剣で受け止める。勇者の元々つり上がり気味の目がさらにつり上がった。勇者が苛立たし気に叫ぶ。


「何故だ! 何故、剣を抜こうとしない!」

「さて、な。それは吾輩も知りたいところだ」

「俺とは戦う価値も無いと言うのか?! クソッ! その余裕な態度絶対に後悔させてやるっ!」


 勇者の目の奥で炎が揺らめいだ気がした。思わずその瞳に見惚れる。今、勇者の瞳には吾輩しか映っていない。知らずのうちに口角が上がる。気づけば、剣を抜いていた。鞘をそこらへんに放り投げる。ようやくやる気を見せたのかと勇者の口元にも笑みが浮かんだ。


 キンッ!


 剣と剣がぶつかり合う金属音が響く。剣を弾き、後ろに一度跳ぶと助走をつけて再び振り下ろす。疲労が滲んでいたはずの勇者の動きは全く落ちていない。むしろ、どんどんと冴えわたっている。所謂、トランス状態に入っているのだろう。

 対して、吾輩は未だかつてない高揚感を覚えていた。


 ――――なんだこれは! 楽しい! 楽しくてたまらない! この時間が永遠に続けば良い!


 感情のままに剣を振るう。勇者は吾輩の振るうった剣を弾き返そうとした。その瞬間、足元に落ちた汗で足が掬われた勇者が体勢を崩した。このままでは急所を切ってしまう。

 そう直感した瞬間、軌道を変えていた。それでも剣先は勇者の装備を切り裂き、その下の肌を掠めていく。その感触が手にも微かに伝わってきて、思わず後ろに下がって距離を取った。

 勇者は垂れてきた汗を腕で豪快に拭くと胸元の出血している箇所を押さえながら、戸惑った表情を浮かべて吾輩を見た。

 その表情を、その姿を見て今までに感じた事の無い衝撃が吾輩の全身を駆け巡った。


 そう、まるで雷に打たれた時のような衝撃が!


 吾輩はどうしたというのだろうか。心臓がドクドクいっている。そうか、もしや……これがトランス状態というものなのか。吾輩は、今酷く興奮している。


 荒々しい呼吸。紅潮している頬。滴る汗。切られた胸元から覗く、程よく日に焼けた肌。そこに滲む傷は先程吾輩がつけたもの。そこから血が滲んでいる。


「うむ。すごく、イイ」

「は? というか、お前最初からなんかおかしいと思っていたが体調が悪かったのか? ……鼻血がでているぞ」

「む?」


 ――――どんな敵に殴られようとも鼻血など出したことの無い吾輩が鼻血を? そんな馬鹿な。

 勇者の戯言を鼻で笑い、鼻を手の甲でこすってみる。そこにはベッタリと血が付いていた。


「……」


 何度瞬きしてみようとも、ソレは間違いなく鼻血だった。


「……よし、戦いを再開しよう」

「いや、今お前無かったことにしただろう」

「来い! 勇者! ……と呼ぶのは味気ないな。歴代勇者の中でも圧倒的なその強さに免じて聞いてやる。な、名は何という?」


 少々語尾が震えた気がするが、相手には気づかれていないようなのでセーフだ。勇者は認められたことが嬉しいのかニヤリと笑って告げた。


「俺の名は、アラン。お前を倒す者だ。しっかりと覚えておけよ!」

「アラン、アランだな。いい響きだ。よし、アラン! ではいくぞ!」


 アランの名を呼びながら襲いかかる。アランは怪我して尚、吾輩の剣を受け止めてみせた。まだ戦えるということに安堵する。次いで、剣を弾き、虚を衝いて蹴りをいれてみた。その蹴りにも対応して見せるアラン。


「すごい! すごいぞ!」


 気付けば、心の声が口から飛び出ていた。アランはその瞬間距離を取り、剣を下ろしてしまった。困惑して吾輩も剣を下ろす。


「ど、どうしたのだ?」

「……」

「……そういえば、今気づいたのだが。なぜ、アランはここまで一人できたのだ?」

「は?」

「いや、歴代勇者といえば、こうズラズラと仲間を引き連れて来るやつらばかりだったからな。その点、アランはすごいやつだ! 誰の力も必要とせず、こうして己の力だけで吾輩のところまで来たのだからな!」


 まるで、吾輩のようだ。周りに担がれるまま力を振るい、結局自分の力だけを頼りに目的を成し遂げる姿勢が自分に似ている。だからこそ、惹かれているのかもしれない。

 ようやく、腑に落ちた。そうか……これが、この気持ちが……。


「おい。また、鼻血が垂れてるぞ」

「む? おお! 本当だ」

「……魔王、お前やっぱり」

「なんだ?」


 勇者が口を開こうとした時、ここにアイツが近づいてきている気配がした。

 それは咄嗟の判断だった。別に自殺願望があったわけではない。ただ、そうしなければと思った。王座の間の扉が開かれる前に吾輩は勇者に向かって剣を振りかぶった。

 勇者は反射的にその剣を弾き返そうとして、吾輩の心臓を刺した。否、というのが正しい。

 勇者の目が大きく見開かれる。その頬に思わず手を伸ばした。


「ゆうしゃ、次はお前と共に……ごほっ」

「おま、なんで」

「魔王様!?」

「ベリアル! 来るな!」

「ま、魔王様なぜ」

「吾輩は魔王の座を降りる。これが最初で最後のお前への頼みだ。後は頼んだ。勇者は逃がしてやってく、れっぐっ」


 聖剣が身体の内側から吾輩の全てを破壊していく。想像よりも酷い痛みに膝をついた。何とか痛みに耐え、聖剣を引き抜く。茫然としている勇者に押しつけるように返した。


「じゃあな、ゆうしゃ」


 それだけを言って吾輩は勇者の胸元へと倒れ込んだ。薄れていく意識の中、ベリアルが吾輩を呼ぶ声と、勇者が『魔王』と呼ぶ声が聞こえた。残念ながら答える気力は無かったので、代わりに勇者の胸元に顔を擦り付けておいた。

 来世の為にも勇者の匂いを覚えておこうと残った気力を振り絞った結果力尽きた……というのは二人にバレなかったと思いたい。



 『魔王』としての吾輩はここで終わりだ。来世では『魔王』ではなく、アランと同じ人間になってみせる。そして、吾輩も吾輩だけの名前を呼んでもらうのだ。ああ、想像しただけで……鼻血が出そうだ。


 吾輩の意識はそこで途絶えた。

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