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「…出版社から本を出さないかって連絡が来た」


 俺は昼前に麻薙を伴って新宿のマルイのレストランフロアの一角のカフェに入っていた。こいつはフリーランス(ドラッグのブローカーをそう呼んでよければだが)なので平日でも時間の都合はつけられる。


 麻薙はアイスコーヒーの中に入れたクリームとガムシロップをかき混ぜながらぱっと顔を明るくした。


「ホンマか!?やったやん!!」


 俺は先日の小説投稿サイトで裏社会をテーマにした小説作品を投稿したことを麻薙に話した。麻薙は我が事の様に目を輝かせていた。

 

「出版したら教えてくれや、めっちゃ自慢したろ」


「…まだ決まった話じゃねえよ、書籍化が頓挫した話なんてそれこそ掃いて捨てるほど聞くし…」


「なんやねん藤生さんノリわるいわ…それに今時本なんか自分で作って出版したらええやん?献本届いたら俺にも貸してや」


「てめえ買わねえのかよ…」


「…で、なんでそんな死にそうな顔しとるんや?」


 俺は少しだけ動揺する。麻薙が俺に寄越したのは、まるで俺のすべてを見透かすような眼差しだった。


「なんでって…」


「何かあったんやろ?短期間でそんなにやつれたら誰だっておかしいと思うやろ」


 鉛を流し込まれたみたいに胸の奥が詰まった。


 俺の脳裏に奴賀の顔が浮かんだ。動悸が激しくなる。


 決まってるだろう、そんなこと。


 ―俺は人殺しだから…犯罪人だから


 そうこいつに言えれば少しは楽になれるのだろうか。


 視線を泳がせて窓の外を見ると、晴天に照らされて黒光りするアスファルトが、行き交う人の苛立たし気な顔が、視界に入る何もかもが俺の内の仄暗い感情に拍車をかけていく気がした。

 

「…ないんだ…」


「…なんて?」


「俺は…何者でもないし…どこにも行けない…これからもずっと…」


 スーツ姿のあいつが、俺が殺した名前も知らないあいつの顔が、俺を犯したあいつらの顔が、何度も何度も何度も何度も……俺の脳裏をよぎる。


 俺の浅はかな希望の一切は絶望に塗り潰されて、世界は足場を失い沈んでいく。


 傍らを飛んでいく土気色の顔をした俺をいくつも複眼に映している蝿に。


 ハンバーグの形をしたピンク色の肉塊に。


 カフェオレ色の汚濁に。


 店員の笑顔にこびりついた人間の匂いのする浅ましさに。


 世界の真実みたいな顔をして醜さが散りばめられていた。


 世界は、俺の視界のあらゆる欺瞞をはぎ取り、俺に望まない真実を突きつけようとしていた。


 まるで、真っ逆さまに落ちていくようだ。


 おい、やめろ。落ち着けよ。ただのパニック状態を伴った揺り戻しだ。


「藤生さん……?」


 視界は真っ暗になっていた。気が付けば俺は過呼吸でテーブルに突っ伏していた。


「……触んじゃねえッッ……」


 俺は麻薙の手を力任せに払った。視界の端に写った麻薙の表情は一瞬恐れに似た感情を映していた。


「汚ねえッ…手でッ…触るんじゃねえ…!クソが…!腰を振るしか能がねえ性欲にまみれたクソ豚がッッッッ!」


 世界は醜い、俺と同じくらいに。そして俺も醜い。


 すべては汚物だ。糞だまりだ。


 俺は静寂の圧力に耐え切れず自ら声を上げるほかなかった。


「やめろ…やめろ…!俺をそんな目でみるんじゃねえ!何の価値もねえゴミ共が…畜生が!!!」


 ―やめいや!頭おかしくなったんか!?


 何もかもが遠い。なのに、俺に突き刺さる視線はどこまでも生々しく刃となって俺を引き裂いてく。悪意が、恐怖が、侮蔑が、ありとあらゆる絶望が、俺を捉え覆っていく。


 …きもちわりぃ


 俺は前後不覚になり、あらゆる壁や人に衝突しながらも近くのトイレに駆け込み個室になんとかたどり着くとそこの便器で一頻り吐いた。


 到底救いがたい、俺は。


 スマホが鳴動している。


 ディスプレイには奴賀の名前が表示されていた。


「…もし、もし」


「ああ、もしもし藤生?今夜も仕事決まったんでよろしく、場所は…」


 上滑りしそうになる情報を俺は脳内に辛うじてとどめようとした。一通り聞いた後絶え絶えの息で一つだけ質問する。


「………きょ、凶器は」


「………」


 電話口の向こうからはしばらくの沈黙。身が切れそうな緊張感の後、奴賀はぼそりと言った。


「……○○ビルの三階のトイレの右から二つ目の個室に拳銃隠してある…失敗したりサツにチクったら殺すけど…もう分かってるよな?」

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