スニークレヴェルジャズハイム

エリー.ファー

スニークレヴェルジャズハイム

 この町でジャズを奏でて、二年以上が経過した。

 時間はまるで水滴のようであり、落下する度に自分の寿命が短くなったことを感じる。実際は、生きている限り、寿命を消費しているわけで、何か特別な隔たりをそこに感じる必要はないわけである。

 人間というのはかように面白い生き物であると言える。

 そうやって、自分を分析して分かったような気になることで不安を遠ざけるのだ。本物の不安というのは、ジャズをやっても、分析をしても、対策をしても避けることのできないものだということを知っているというのに。

 ジャズの音はこの町に降る雨がよく似合う。正確には雨の香りと言った方がいい。

 誰もがこの町のジャズと、雨に憧れる。

 それは積み重ねられたこの町の空気が作り出したかけがえのない財産である。

 ガラスというのは、高級なものほど向こう側の景色が歪まず、厚さも一定である。しかし、私がジャズを奏でるこの場所から見える景色は雨でも晴れでも歪んでいる。外の音がよく聞こえ、たまに指の先が濡れたり、土臭くなったりする。

 扉が開く。

 客が入ってくる。

 少し濡れていた。

「あの、すみません。ここにあると聞いて来たのですが」

「傘は」

「え」

「傘をさしてこなかったのか」

「いえ、傘はさしてきたんですけれど、風がちょっと強くって、傘は外に置いてありますの」

「どこに置いたのかは聞いていない」

「あ、その。すみません」

 私はジャズから少しばかり遠ざかる。

 音が消える。

 部屋からでも、耳の中からでもない。

 音が空気となって、そして雰囲気から霧散する。

「私、向こうにある屋敷の」

「夫人が何か御用か」

「えぇと、その、わたくしのティアラがなくなってしまったの。亡くなった主人がプレゼントしてくれた大事なもので」

「あなたの主人が亡くなったのはいつ頃か」

「え」

「いつ頃なのか教えて欲しい」

「えぇと、その、二週間前に交通事故で」

「どこで」

「サンティエルの向いにある並木道の」

「あそこか。どうも。ご主人がティアラを買った店はその近くだと思うが、いかがか」

「えぇ、その近くのお店で」

「あのあたりは、そういう高価なものを売る店が多い」

「えぇ、そうですわね。生前は夫婦でよく通っておりましたの」

「あの近くにパン屋がある。火事になった」

「かなり昔のことです。それが何か」

「かなり昔のことではない。同じ二週間前ですよ」

 私はそこで少しだけ息を長めに吐いた。

 間が生まれる。

「そ、そうだったかしら」

 魔がいる。

 私は微笑む。

「あのパン屋に良い噂はありません」

「美味しいパン屋だったと思うのですけれど」

「麻薬」

「え」

「例えばですよ、麻薬を売っていたなんて噂を聞いたことがあります」

「わ、私は聞いたこともありませんわ」

「では、今ここで聞いたということで。それよりも、ティアラの話ですが、お幾らでしたか」

「そんなに高価なものでは」

「具体的に」

「シラヌバの郊外に庭付きの家を買えるくらいかしら」

「随分と高価なティアラで」

「ごめんなさい。ただ、嫌味ではないの」

「嫌味とは、発言をした者ではなく、その発言を聞いた者が決めるのです」

 私は近くにあった安楽椅子に座り、パイプをふかし、夫人を見つめる。

「あの、もう結構です。あなたのような失礼な探偵に依頼はしません」

「本当ですか」

「えぇ、うんざりです」

「私はもう見つけたというのに」

 夫人が驚いた表情で見つめる。

 私はパイプをふかして見せる。

 たぶん、この夫人は隣の探偵事務所とただのニートである私の家を間違えている。

 あと二時間は遊べるな、と思った。

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