姫と僕
明丸 丹一
姫と僕
豪奢な天蓋の付いた寝台の上、姫は眠っている。僕はその安らかなる寝顔を見て天使のようだと感じた。そして、次の瞬間にはその思いの不敬さに気付いて打ち払った。そもそも天使などというものは外国人の信じる神の使いに過ぎない。気高く、麗しき姫をそのような従者ごときに貶めてしまいそうになった自分を戒め、僕は頭のなかで間違いを正す。そこには女神がお眠りになっていた、と。そしてようやく本来の役目を思い出す。
「お起きになって下さいませ。殿下」
正式な教育など受けたことがない僕は、知りうる限りの礼節を尽くしてそう言った。姫は半ば目覚めた。しかしまだ心は現実と幽界の境界をさまよっていて、ううんと高貴なるも悩ましい声を上げた。そうやっていつも僕を困らせるのだ。それでも僕はなんとか眠り姫の覚醒を促す。そして寝間着を受け取り、部屋着に着せ替える。髪を梳かす。姫は起き上がったものの、いまだ夢見心地で、体重を預けて僕の好きにさせた。全て、毎朝いつものことである。
朝食を済ませ、姫は玉座に腰を掛ける。僕は御座所の下で跪いて、控えている。城から人の姿が消えて久しい。その理由は僕などにはとても推察することはできないが、たとえ一人になろうとも一生涯仕え続けることを決めている。器たる城は空虚になれども、姫はこの世の全ての価値そのものだ、と僕は考える。そうして今日も時間は過ぎていく。いついかなる時も平等に。この日、姫は思案に耽っていた。やはり、いつもと同じように。繰り返される日々。変わらない日常。いかなるときも賢く強靭で美しい姫。傅く僕。当然だが、僕は価値そのものである姫とは違う。僕に僕自身の考えなど必要ない。僕は姫に仕えることができるだけで満足しなくてはならないのだ。
「そろそろお開きにいたしましょう」
鈴を転がしたような声が響く。ちょうど陽が、地平の向こうへ下りてゆくところだった。その色が窓から差し込んでくる。次第に赤く染まる謁見の間を眺めながら、姫は言った。
「今日はもう、この城を訪ねてくる者もいないでしょう」
はい、と僕は答えた。このところずっと、城を訪れる者など無かった。僕はご夕食の支度を整えて参ります、とだけ伝えて謁見の間から下がる。
姫が長卓に着いたのを見て、僕は野菜の煮込みを並べた。その後、姫の後ろに回り、待機する。姫は料理を一口含んだ。そして、
「少し、熱いです」
と言う。姫は猫舌である。しかし煮込み料理を好んで食べた。僕は昔、冷ましてから出したことがあったが、姫はその時、こんな冷えた料理は食べられないと怒った。王族の誇りが邪魔をするのだ。しかし熱くては食べられない。それからというもの、僕に口で冷まさせた。二、三回息を吹きかけ、十分に冷めた煮込みを姫は口に運んでいった。
就寝の時刻になった。いつものように僕が寝間着に着替えさせている時、姫は小首を傾げながら問いかけた。
「当たり前のことを聞くけれど、お前はなぜ妾に尽してくれるの?」
「殿下。それは僕が僕であるということそのものに関わっているのです。そして、昨日に、一ヶ月前に、一年前にそうだったように、ずっと今までそうだったように、明日も来月も来年もその先も、僕であるということは揺るがないでしょう」
僕は姫に言う。そして着替えが終わり、姫は頷いた。このやりとりも長らく続く習慣なのだ。姫は寝床に就いた。そして目を閉じる前に、いつものようにその言葉を僕に聞かせる。
「本日もご苦労でありました。妾が僕よ。明日もまたお願いします」
「身に余る光栄です。僕の命のある限り仕えさせていただきます」
……。
たとえあなたの認識が逆転し、主観は放棄され、あるいは客観は意味を失ったとしても。それでも、明日になれば陽はまた昇るのだ。寂れた城の生活は続く。いつまでも。いつまでも。
僕は思う。姫に仕えることこそが、自分の使命だと。僕の命、それは一欠片残すことなく、ことごとく主たる姫のものだと考えている。決して卑屈にではなく、自信と誇りを持って。僕はそれでこの上もなく幸せなのだった。
ふと、窓から暁の光が漏れ出し始めたのを
了
姫と僕 明丸 丹一 @sakusaku3kaku
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