5-5 10/15(iv)

 それで話は終わると思っていたのだけれど、父は名残惜しそうな素振りをみせた。恐らく彼は会話の糸口を探していた。少しでも話せるように、どんなとりとめもない言葉でもいいから口に出そうと思っているみたいだ。その気持ちは僕にもよくわかった。つい最近、そんな経験をしたような気がする。詩人なんだったら言葉の一つや二つでもすぐに浮かんで欲しいものだが、なんてことを考えて、心の中で笑ってしまった。

「なあ、どうしてこんな法則が存在しているのか、どうして俺の親父が最初だったのか、わかるか?」

 思い悩んだ後、父が口に出した質問がそれだった。僕らの直接の話題ではないけれど、確かに大事な話だ。

「僕は知らないよ。わかったらそれなりに世紀の発見だしね。……けれども、少しくらいは考えたよ」

「聞かせてくれないか」と父が言う。


 それから僕は自分の仮説について説明し始めた。

 祖父の芸術が偉大であったことが関係している、とは思ったのだけれども、それでも人類の歴史上で一番であるとは到底思えない。かなり譲歩しても、この上から100番目に入るかどうか、という程度だ。だからそれが直接関係しているとはどうしても思えなかった。


 もしかしたらこの<法則>は、量子力学でいう観測問題のような側面があるのかもしれない。観測されない限りは何もないかのようにふるまうのだけれど、ふとした拍子に気付いた場合、それからはまるっきり違った挙動を取る。たまたま父や僕の祖父がそれに初めて気付いて、同時に世界中が観測したことによって、世界の法則の挙動がはっきりと目に見える形で変わったのかもしれない。

 もちろん、観測問題というもの自体、正解かどうかとても怪しい概念だ。だからこんな予想が正解であるとはまったく思えないけれど。


「驚いた。君は俺の知らないうちに、こんなに賢くなっていたのか」

話を聞き終えた後、父は驚いた表情を見せ、「俺も親父も、勉強はからっきしだったからな」と呟く。

「勉強が少しできるだけだよ。逆に、あなたやお祖父ちゃんみたいな才能はない」

 勉強だって立派な才能じゃないか、なんて言葉をかけて僕を励ます。その姿は少しだけ本当の父親に見えた。一瞬だけだったし、僕は本当の父親の姿をほとんど知らないのだけれど。


 それから僕は父に付き合い、とりとめのない質問を互いに投げかけ続けた。けれどもやはり物事には終わるタイミングがあって、僕たち二人はふいにそれを予感した。

「なあ……虫のいい話だとはわかっているが、一つだけお願いをしてもいいか」

 店を離れる直前になって、父がそう言った。僕は頷いた。

「君と会った証明が一つ欲しい。どんなものでも構わない。きっと俺は、この先も君と繋がることはできない。そんな権利もない。だから、一つの拠り所のようなものを貰えないだろうか」

 拠り所というよりは、お守りのようなものかもしれない。けれども父はそんな微かなものを求めている。僕は逡巡し、それから鞄を開けた。

「じゃあ、これだけ受け取ってくれないかな」

 そう言って僕は写真を手渡した。本浄瑠璃のカメラに入っていた写真、その中で一番<綺麗>だった写真だ。

綺麗な少女だな、と父は言った。

「表情の細部まではわからないけれど、それでも彼女がどれだけ幸せだったのかははっきりとわかる」

 父はそう言った。幸せだった、という言葉に僕は少し満足した。

「あなた一人の拠り所になんてしなくていいよ。いい写真だから、皆に見てもらわないと」

 綺麗な写真を見てもらうこと、それはきっと彼女も望んだことだろう。そこに映った自分自身も見られることは望んでいないだろうけど。

「そうだな、芸術は見てもらうためにある」

 そう言って父は笑った。僕が生まれてから初めて見た、父の笑った顔だった。


 そんなことがあって、僕はほんの少しだけ家族との関係性を取り戻した。

 家族を大切な存在だと思っていた本浄と一緒にいるうち、無意識のうちに僕の心境も変わっていたのだろうか。

 それを失った彼女を憐れむわけではないが、僕も言葉くらいは交わしておこうと思った。そしてやっと、それが達成された。何かが劇的に変わるというわけではないが、それでいいんだろう。


 色々なことが収束して、ひとつの形をぼんやりと作り始めていた。

 けれどもまだ、確かな姿というものは全然見えてこなかった。

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