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[N/A]


 本浄瑠璃が居なくなってから、また一人で勉強するだけの生活を始めた。

 彼女が行方をくらませたこと、それから僕が暫く学校を休んでいたこと、それらを無関係と思う人間はいなかった。数日間クラスメイトが騒いだ後に、また元通りの日々が帰ってきた。皆は本浄瑠璃が精神的に追い詰められ、転校していったのだと考えていた。誰一人として本浄が本当に<法則>によって消えたとは思っていなかったようだ。あの日本浄のことを傷つけたやつですら、そうだった。本浄瑠璃を心の底から汚い存在だと思っていた人間は、このクラスにはいなかったのだ。そのことがこんな形で明かされた。


 それから何年か経って、僕は彼女のいない高校を卒業し、何度も何度も同じ季節を繰り返した。相変わらず寝ても覚めても勉強の本ばかり開いていたし、シャーペンばかり握っていた。これまで以上にそれだけに打ち込む僕を心配する<世界>の声もあったが、すぐに僕を見放していった。それすら気にせず僕は生きていた。


 何も考えないことと、何か一つのことだけを考え続けることは、ひょっとしたらほとんど同じではないか、そう思うことがある。どちらもスイッチの切り替えをせず、一つの状態を続けるだけでいい。0と1は同じなんだ。同じはずなんだ。なのに、どうして前者はとても楽で、後者はとても苦しいのだろう。僕は本浄瑠璃だけのことを考え続けていた。彼女と約束をしたような気がする。世界に手を伸ばすと誓ったような気がする。けれども僕は未だに孤独だ。僕のどうしようもないくらいひとりぽっちの自己は<世界>に到底手を伸ばせていない。あの日たまたま交差したふたつの<個人>が、奇跡のように重なり合った孤独と孤独が、その美しさが忘れられない。だからそれに拘泥したまんまだ。


 ある日、通学途中、電車の広告に一冊の詩集の紹介が載っていることに気が付いた。表紙の写真には見覚えがあった。彼女があの日撮影して、その後、僕が父に手渡したものの一つだ。意外なことに、電車の中のカップルがその広告を指さして「この写真、いいよね」なんてことを話していた。

 そう言えば本浄とゴッホの話をしたような気がする。ゴッホには到底なれなかったかもしれないけれど、本浄の写真は、彼女が消えた後に少しだけみんなに認められたみたいだ。ちなみにゴッホは生前売れなくて苦しんだわけじゃなくて、死ぬまでの10年しか画家をやっていなかっただけらしい。画家がたった10年で地位を築けるはずがない、きっとゴッホは売れないから死んだんじゃなくて、売れる前に死んだだけなのだろう、と思う。君もそうなのかもしれないよ、なんて呟いてみた。彼女はきっとそれを否定する。「無理ですよ。わたしは誰よりもこの世界に見放されていたのですから」そう言って諦めながら、薄幸そうな笑みを浮かべるのだろう。


 本浄瑠璃は親族の間で行方不明という扱いになっているらしい。

 もちろん僕は彼女について色んな人間に根掘り葉掘り問いただされた。それでも本当のことは何一つ言わなかった。言ったところで本浄の親族はきっと煙たがるだろうし、そんな風にして騒ぎ立てることをきっと彼女は望んじゃいない。本当は誰にも言わず消えようとしていた彼女なのだから、わざわざ騒ぎ立てることに意味はないのだろう。彼女の望んだとおり、僕は彼女のことを、初めからこの世界にいなかったものとして扱おうとした。

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