5-3 10/15(ii)

 それから近くの喫茶店に入った。好きに注文してくれ、と言われ、僕はアイスティーとチーズケーキを頼んだ。父はコーヒーを頼んでいた。

「どこから話せば良いだろうか」

 注文した品が全て揃ったところで、父が話し始める。

「知っているだろう。世界で最初に<法則>が発動した日のことくらいは」

 知っているよ、と僕は答える。

「僕のお祖父ちゃんがあの絵を完成させると同時に、隣で落書きをしていた子供の書いていた落書きが消えた。その子供があなたのことだったんでしょ」

「そう、あの日は完成間近で、マスコミが大勢駆けつけていたからな。その瞬間を多くの人が目撃して、それから世界中で少しずつ似たような話が取り上げられるようになって、そして親父は芸術家をやめた」

 やはり僕の知っている通りのことだった。けれども本人から言われると、それがどこか他人事ではないように感じる。もちろん、家族にまつわる話なので元々他人事ではないのだけれど。


 訊きたいことがあるから来たんだろう。そう父は言った。

 一番知りたいことから尋ねるのはよした方がいい、そう思った僕は、まず当り障りのない質問から始めようとした。

「今は、何の仕事をしているの」

「文字を書く仕事だよ」と言って彼は壁を指差した。入り口付近の窓ガラスに、詩集の広告が張られていた。僕はその名前に見覚えがあった。いつだったか、本浄瑠璃との電車の中で同じ広告を見た気がする。まさかそれが自分の父の書いたものであるとは。まったく見当もつかなかった。

「やっぱり、お祖父ちゃんと同じ絵を選ばなかったことには理由があるの」

 僕はそう尋ねた。その質問をしたのは、僕自身がそうだったからからだ。ピアノを選んだのは、祖父と比較されてしまうからだった。だから、きっと父も同じなのだろうと思っていた。けれども彼の答えは微妙に違っていた。

「親父が芸術から足を洗ったのは、俺のせいだと思ったんだ。ある日、親父が絵をやめた日のことを知った。幼い頃のことだったから、俺は忘れていたんだ。忘れて『親父のような芸術家になるんだ』って息巻いていた。だから、それを思い出してからは荒れたよ。親父から仕事を奪った俺は、絵を描く資格なんてないと思った。だから絵を描かないようにしていたし、アトリエには近付かないようにしていた」

 それでも何かを創りたいという思いがあったのだと父は言った。それは血が争えなかったからなのだろうか。

「けれどもう絵は書かない、そう決めていた。だから言葉にした。絵を取り上げられて、たまたまそこに残っていたものを使っただけだったんだが、どうも俺には合っていたようだ」

 とは言っても、親父には遠く及ばないけどな。そう言って少しばかり自嘲する。

「今の仕事の経緯はこんなところだ」

 そう言って一つ目の質問が終わった。

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