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 ここで彼女は一呼吸置いた。それはつまり、ここから彼女の話が大きく動くことを暗に示していた。

「そうしてわたしに一つの転機が訪れました。日向野くんと初めて出かけたとき、あの日初めて『綺麗な』写真を撮ることに成功したとき、あれがわたしの分岐点でした」

 あの日、今日と同じように彼女とここに来た日。綺麗な流星群を写真に収め、本浄は初めて<法則>を発動させてしまったのだろう。それは今の僕にも予想できていた。

「あの日の写真は、わたしが初めて生み出した価値だったんです。世界さえ価値を認めてくれた、わたしにはもったいないくらいに綺麗な流星群の写真でした」

 かつて本浄は言っていた。写真の価値は、自分自身の技量だけでなく、被写体の美しさがメインなのだと。だからいつも自信のない彼女も、良い写真を撮ったことだけに関しては自信を持てていたのだ。

「理屈はわかりませんが、その時わたしはひとつの事実に気が付きました。『もっともっと綺麗なものを残すことができたら、代償としてわたし自身が消えてしまう』ということを直感しました。天啓のようにしてそれに気付くと、わたしはすぐに納得しました。だってわたしはとても汚い存在なんですから。そのことが何よりの証明になるような気がしました」

 彼女が綺麗なものを残せば、本浄瑠璃自身が消えてしまう。この世界の<法則>に則るならば、彼女はとても汚いということだ。そして彼女はそんな事実をあっさりと受け入れた。<世界>が彼女にそうであると言い続けてきたからだ。

「そして同時に、わたしは思い出してしまいました。そんな楽しそうにする資格なんてないって。それならやっぱり、綺麗な写真をとって、その代償に自分が消えていくぐらいが丁度いいんだと思いました。そんな仕組みにしてしまうだなんて、世界はよくできていますよね。わたしが消えたいと思ったから、そんな仕組みにしてくれたのかも。だとしたら、世界はむしろ、とても優しいのかもしれません」

 彼女は世界を皮肉った。


「けれども日向野くんといる時間は、ひとりぼっちになってからのわたしの人生の中で一番楽しい時間でした。いや、ひとりぼっちになる前から、生まれたときから考えても一番の瞬間なのだと思います。<世界>からはみ出された孤独がもう一人いて、わたしの手を取ってくれました。日向野くんは、暗闇の中で過ごすわたしに与えられた、小さな一本のマッチでした。それは果てのない闇を照らすには小さすぎる灯でしたが、それでもわたしにとってはかけがえのない暖かさでした」

 そんな日々を手放したくない、と思ったのは紛れもない事実です。そう彼女は続けた。消えるべき自分と、他者と一緒に居られる事実。この二つの板挟みに合っていたということ。

「だからわたしはこうすることにしました。日向野くんと一緒に、わたしが消えるための写真を撮りに行こう、と。そうすればあと少しだけ、わたしが消える間だけ、日向野くんと一緒にいられるから」

 彼女はそんな選択を、自分にとって都合のいい折衷案であると言った。

「わたしはそういう狡猾な人間なんです。人に迷惑をかけたくないだなんて偽善です。あなたを同じひとりぼっちだと決めつけて、それならば自分の幸せのために利用しても構わない、なんてことを考えるんです。きっとわたしが消えてしまうのは、そんな醜さを持っているからです」

 だから、こんな汚いわたしは消えてしまうくらいが丁度いいんです。そう彼女は何度も何度も口にした。僕は何も言葉を返せなかった。

「生きていけばいつか、なんてことを信じるには、わたしは色々なものを失いすぎてきました。苦しい時間は、とても長く感じるんです。十七歳のわたしは、これほど長く苦しんだ時間がたった十七年でしかないことに気付き、更に深く絶望しました。そしてこの苦しみはあと六十三年ぐらい続くんです。永遠みたいな時間です。それなら、それなら私は、」


 汚い永遠よりも、綺麗な一瞬を求めたいんです。

 彼女が言うよりも前に、その言葉は僕の頭の奥に浮かんでいた。



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