1-9 7/21(iii)

「そう言えばさ、本浄はどうして写真を撮るのが好きなの」

 そう尋ねると、「うーん、そうですね」という声とともに本浄が上を向いた。まるで夜空から何か記憶のかけらが落ちてくるのを待っているかのように。そうやってしばらく考える仕草を見せた後、何かを懐かしむように微笑んだ。

「そうですね、わたしが小さいころ、カメラマンの叔父さんがよく撮影に連れて行ってくれました。実を言うと、わたしが写真を撮りたくなったのも、その人の影響なんです」

 そう言って彼女が自分のカメラに視線を向ける。

「というか、そもそも、持っているレンズの殆どが、叔父さんがくれたものなんですけどね」

「なるほど、親しい人の影響なんだね」

「はい、そうです。日向野くんは……ピアノをやっていたんでしたっけ。それは、誰かの影響ですか」

 話せば長くなる、そう思って少し躊躇ったが、ふいに僕は思い直して話す気になった。夜空の下に寝そべっていると、身の上話のひとつやふたつ、さらけ出してしまいたくなるものだ。そのことを今日はじめて知った。


「日向野って苗字さ、他にどこで聞いたことがあるかな」

「そうですね……」と言いながら思案し、本浄が挙げたのは美術の教科書だった。そしてしばらくしてから、小さく息を吞む。まさかそれが本当に関係しているとは、少しも考えていなかったのだろう。

「そう、日本で一、二を争う芸術家が僕の祖父なんだ。すぐ近くにあんな偉人がいるからさ。周りはしばしば美術の道に進むことを薦めてきたよ」

 本浄が驚いた表情をする。この話をしてこんな表情を見るのはいつ以来だろうか。家族の話をするのが億劫になってしまった小学三年生のころが最後だっただろうか。

「でも……その話の流れなら、美術の道に進むのが自然ではないですか」

 そう考えるのはきっと妥当なことなのだろう。しかし悲しいことに、昔の僕はそんな風に憧れを持つことはできなかった。

「あの頃の僕も、今と大差ないような人間でさ。あまり夢がなかったんだ。おそらくどれだけ努力しても自分の祖父を超えることは不可能だろう、そう思ってた。だから美術は初めから諦めていた。それでたまたま習っていたピアノに力を入れていた。それだけなんだ」

 つまり、絵を諦めた後、逃避の先にピアノがあっただけなんだ。僕がそう言うと、彼女はそれを否定した。

「それは逃避ではなく、別の夢を追いかける道を選んだ、という事ではないのですか。何かしら自分の価値を残さんとするために、幸せになるために」

「確かに、そういう受け止め方をするならば、僕は今より少しは野心的だったのかもしれないね」

 でも、そうであるならば今も続けているはずなんだけれど。

「いろんな形があれど、やっぱり周りの大人ってわたしたちの成長に大きく影響してきますね、良くも悪くも」

 周りの大人。本浄にとっての叔父であり、僕にとっての祖父であり、その他大勢の大人たち全員を指す言葉だ。

 そうかもしれないね、と曖昧な返答をした。

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