12月10日【火口の淵】


 どどどど、と地面が揺れました。これまで、火山がとどろく低い音は何度も聞いたのですが、それに合わせて揺れるというのは初めてのことで、実浦くんは思わず身を固くして立ち止まりました。どどど、どどど。音と振動はしばらく続き、小さな黃水晶がいくつか山道を転げていきます。

 やがて揺れがおさまると、実浦くんは前方を歩いていた子供たちに手を振りました。

「おおい、大丈夫ですかあ」

「だいじょうぶ!」「びっくりしたけどね」「でも、ぼくあれ好きだ。とっても懐かしいような気がするもの」

 子供たちは、実浦くんが心配するほど怖がってはいないようでした。実浦くんはほっと胸をなでおろして、再び歩き出します。

 ほの温かかった山道は、いまや立ち止まっていると熱く感じるほどで、いよいよ山頂に近づいていることが分かります。 


 どどどど、ごごごご。山が唸りを上げるにつれて、子供たちは元気が良くなるようでした。わあい、と叫んで駆け出した子があり、何人かがそれに続きます。火灯し妖精は、兄さんや姉さんたちについて行けそうにない一番小さな女の子の、小さな背中を押してあげていました。

「えい、えい。頑張るのよ。大丈夫。あなた小さいって言ったって、私と比べればずいぶん大きいんだから」

 一番小さな子は、うんうん唸りながら一生懸命登っています。もう山頂はすぐそこです。実浦くんも、長かった山登りの終わりを感じ、一歩一歩を大切に踏みしめます。


 そしてとうとう、実浦くんは火山の山頂に辿り着いたのです。

 誰かが「ここが山頂だよ」と宣言してくれるわけでもなく、山頂であるという立て看板があるわけでもなく、険しい過程のわりに達成した感慨の浅い、実に素朴な結実でした。

 なんといっても、実浦くんが辺りを見回して、ああもうここより高いところはないのだなあと確認し、それでようやく山頂だと分かったのです。長い道のりの果てとは、案外そういうものなのかも知れません。

 実浦くんのほかの人々もそうであったようで、子供たちなんかはキョトンとして、次はどの坂を登ればよいのか迷っているようですらありました。


 ですが、もっと何かないものかと高く飛び上がった火灯し妖精は、果たして次の瞬間「ああっ」と驚嘆したのです。

「なんてこと、紅い光の池があるわ」

 火灯し妖精が見たものは、山体を貫いて頂上へ大きく開口した、マグマの噴出孔でした。それは山頂からは少し落ち窪んたところに開いていて、身を乗り出さなければ見えません。実浦くんたちは、火口の淵に立っていたのです。

「落ちないように、危ないですから」

 実浦くんは子供たちを後ろへ下がらせて、自分は注意深くすり足になって、そうっと火口を覗き込みました。


 それは火灯し妖精の言う通り、紅い光の池でした。心臓のように脈打って、ときおり灼熱のため息をぼうっと吐き出します。そうしますと、ため息の吐き出された場所から、燃える虫の群れが飛び立ちます。虫たちは火口の外縁をぐるりと周回したかと思うと、再びマグマの中へ飛び込んでいくのでした。

「あれは何の虫だろう」

 実浦くんが目を細めながら言いますと、実浦くんの肩にいたカタツムリが『あれはヒトリガだよ』と教えてくれました。そしてカタツムリは、渦巻く銀河のような殻の中に頭を引っ込めました。そのままぐぐっと小さくなったかと思うと、火の粉のようにぱっと破裂して、火口を飛ぶ虫と同じような姿になりました。

『ヒトリガとは、こういう姿の虫だよ。あれらは光に魅せられていて、遠いお空のお月さまでも、熱く燃えさかる炎でも、同じように愛するんだ』

「では、私もあのヒトリガたちに好かれるかしら」

 火灯し妖精が言いますと、カタツムリだったヒトリガは実浦くんの肩から飛び立って、火灯し妖精の頭にとまりました。ヒトリガが大きく羽を広げますと、それはちょうど青白いリボンのようになって素敵です。

『きみは誰からも好かれるとも』

「そうかしら、そうかしら」

 火灯し妖精はしおらしく照れて、空中でくるりと一回転しました。そのせいで、ヒトリガは危うく火口に落っこちそうになりました。



 さて、光に魅せられているといえば、実浦くんの連れにも一人、そういう人物がいます。灯り捕りはさっそく、大きすぎる鞄をごそごそやって、いつか使っていたタモ網を取り出しました。

「これでマグマの灯りをすくおうと思います。少し熱いかも知れませんので、やけどをしないように気をつけないと」

 あの鞄に一体どう入っていたのやら、タモ網の柄はやっぱり灯り捕りの背の何倍も長く、なるほどこれを使えば、火口の淵からでもマグマに届きそうです。

 実浦くんは、灯り捕りの仕事の邪魔にならないように、そっと何歩か後ろに下がりました。子供たちも興味深そうに、灯り捕りのすることに注目しています。


 そこからは、まさに職人技とでも言うべき素晴らしい手順でした。

 まず灯り捕りはタモ網を火口に差し入れて、卵スープをかき混ぜるように、何度かぐるぐるっと回しました。そして素早くすくったかと思うと、実浦くんと初めて出会ったときしていたように、タモ網を空へ向けて大きく振り回したのです。

 そうしますと、熱いマグマは網をすり抜けて放り出され、火山弾となって山腹に落ちていきました。タモ網の中には、純粋なマグマの灯りだけが残ります。

「遠心分離です」

 灯り捕りはそう言うと、大きすぎる上着の内ポケットから鉛ガラスの小瓶を取り出して、分離したマグマの灯りを流し込みました。しっかり蓋をすれば、マグマの灯りは小瓶の中で波打って、もう灯り捕りのものです。


「わあ、すごいねえ」「もっとよく見せて」と、子供たちは大はしゃぎ。

「落っことして割らないように」と言ってから、灯り捕りはマグマの小瓶を子供たちに手渡しました。子供たちは慎重な手付きでそれを持ち上げ、夜闇に透かしてみたり、少し左右に振ってみたりして、マグマの灯りを楽しんでから、隣のきょうだいに手渡します。

 小瓶は実浦くんのところへも回ってきて、実浦くんは両手でそれを受け取りました。血液にも似た真紅の灯りは、ほんのり熱を持っています。

 火灯し妖精が小瓶に頬ずりをすると、マグマの灯りと火灯し妖精の灯りとが鉛ガラスの上で重なり合って、花びらのような不思議な模様を描きました。



『ねえ、ねえみんな』

 灯り捕りの仕事ぶりに感嘆していると、いつのまにか散歩に出ていた青白いヒトリガが、鱗粉をきらきら撒きながら戻ってきました。

『マグマのヒトリガたちに聞いたのだけど、火口のずっと反対側の方に、建物があるそうだよ。なんでもそれは、観測所だって』

 観測所と聞いて、子供たちはきょうだい同士で顔を見合わせました。実浦くんの言った通り、高い山の上からはいろいろなものが見えるので、観測所もあって当然なのです。

「観測所だって」「望遠鏡があるかしら」「最後のきょうだい、見つかるかしら」「行ってみよう」

 子供たちの提案に、異論があるわけがありませんでした。ヒトリガは『ぼくが案内するよ』と張り切っています。灯り捕りも仕事道具を片付けて、まだまだ一緒に来るつもりのようです。


「では、観測所へ行こう。火口へ落っこちないように、それだけ気をつけて」

 実浦くんが号令をしますと、子供たちはここまで登ってきた疲れも忘れて、またいきいきと歩き始めます。

 目指すは火口の観測所。そこからは、一体どんなものが見えるのでしょうか。


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