12月8日【あかりとり】


 山頂まで、あとどれくらいあるでしょう。なんだか、どんなに歩いても先へ進んでいる気が全くしないのです。火口は相変わらず、遠目に紅い光を噴き出すばかり。

 もしかしたら、上へ上へと登っているのは錯覚で、本当は同じ場所で足踏みをしているだけなんじゃないか。そんな不安をかき消してくれるのは、足元から染み通ってくる山の熱です。地面が、次第に温かくなってきているのです。それこそが、実浦くんが確実に山頂へ近づいている証拠なのでした。

 それを火灯し妖精に教えてあげると、彼女はひらりとカンテラの外に踊り出ました。「本当かしら」と呟いて、小さな小さな足で石の上に降り立ちます。そして「わあ」と、その顔いっぱいに笑みを広げました。

「本当だわ。本当に温かい。一日中おひさまに照らされていたみたい」

『本当に? ぼくも、ぼくも触ってみたい』

 珍しくカンテラもはしゃいだので、実浦くんはカンテラを地面の上に置きました。『わあ』と、カンテラも歓声を上げました。

『本当に温かいねえ。では、この下にはマグマというものがあるんだ』

 三人はしばらく黙って、マグマという熱の塊が自分たちのすぐ足元に息づいている神秘に、めいめい思いを馳せました。そしてまた実浦くんはカンテラを持ち上げて、火灯し妖精はカンテラのなかにちょこんと座って、火山を登り始めるのです。



 実浦くんが立ち止まったのは、行く先に不思議な動きを見付けたためでした。何か白くて細長いものが、メトロノームの針のように左右に振れています。その軌跡が白く残って、まるで宙に浮かび上がった半透明の扇子のようです。

 実浦くんが見つめている間に二度、白い細長いものは動きを止めました。まるで誰かに声をかけられたかのように、ひたりと突然に動きを止めて、そしてまた誰かに「動きなさい」と命令されたかのように、突然に動き始めるのでした。

 意図の分からない不規則で規則的な動きは、実浦くんには不気味に感ぜられました。あれがなんなのか、全く見当もつかないのでなおさらです。けれど、立ち止まって見ていても仕方がありません。

 ――行った先に何があるかなんて、行く前から分かっていることがあるかしら。

 そう言ったのは、すずらんの小道で出会った、確か尾びれのある方の少年でした。実浦くんはまばたきもせず白い細いものを見つめながら、じりじり前へ進みます。


 どんどん近づくと、次第にそれの正体が明らかになってきました。まず、白い細長いもののもとに、誰かがいることが分かりました。その人が白い細長いものを持って、ぶんぶん振り回しているのでした。

 次に分かったのは、それが女の子だということでした。火灯し妖精のように、手のひらに乗っかってしまうほどの小さな女の子ではなく、実浦くんとそう大きさの変わらない女の子です。女の子が、彼女の背の二倍も三倍もあろうかという白い棒を振り回すたびに、青い吊りスカートがひらひら揺れています。

 もっと近づいて、いよいよ挨拶をしなければならない距離にまで来たとき、ようやく実浦くんは、彼女が振り回しているのが長い長いタモ網であることに気が付きました。

「こんにちは」

 実浦くんが挨拶をしますと、女の子は「こんばんは」と言いました。確かに、真っ暗なのでこんばんはの方が適しているかも知れません。実浦くんは恥ずかしく思いましたが、カンテラが「おはようございます」と言って、火灯し妖精が『ごきげんよう』と言ったので、挨拶の種類なんてどうでもよくなったのでした。


「なにか捕れるんですか」

 実浦くんが尋ねますと、女の子は返事もせず空に円を描くようにタモ網を回しまして、それから長い柄を引っ張って、網の部分を引き寄せました。そこには、金色や橙色や深い赤色の、様々な光の粒が捕らえられていました。

「灯りを捕ってるんです。地面に落ちる前に捕らないと、混じりけのない灯りが捕れませんから。こうして」

 吊りスカートの女の子は、そう言いながらまたタモ網を構えて、空の高いところでぐるぐる回しました。火口から噴き上げられて漂っていた光たちが、たちまち網の中にひしめきます。

「灯りを捕って、どうするんですか」

「たくさんあるものは売り物にします。貴重なものは持ち帰って、標本にします」

 灯り捕り、どうやらそれが彼女の仕事であるようです。


 吊りスカートの女の子は、手に持っているタモ網もそうなのですが、彼女には大きすぎるものをたくさん身につけていました。

 まず、大きすぎる上着。彼女の指先は袖の先から爪だけ見えているだけで、丈もくるぶしへ届くほど長いのです。そして、大きすぎる帽子と大きすぎる靴。さらに、大きすぎる鞄。中に一体何が入っているのでしょう。捕った灯りが、山ほど詰まっているのでしょうか。

 実浦くんの顔のあちこちから、好奇心が漏れ出ていたのでしょう。吊りスカートの女の子は、くすりと笑いました。 

「ご覧になりますか」

 そう言って吊りスカートの女の子は、背中に負った大きな鞄の中から、これまた大きなスケッチブックを取り出しました。真っ黒な厚紙を紐で綴じた、奇妙なスケッチブックです。


 最初の頁を開きますと、そこには光の網目が広がっていました。真っ黒の中に、白とも淡い黄色ともとれる薄い光が、線香花火のようにぱちぱち明滅しています。

「綺麗ねえ」

 火灯し妖精がため息を漏らしました。

「これは、さんかく座銀河のずっと向こうの星に、密かに息づいていた知的生命体たちの灯りです。彼らは生命として生まれてから、何千年かのあいだ繁栄しましたが、やがて彼ら以外の誰にも認知されないままに絶滅の時を迎えました。これはその最期に燃やしたシナプスの灯りです」

 真っ黒な頁をめくります。今度は深く青い光が、紙面をゆったりと泳いでいます。

「これは、鯨が見た海の灯りです。その鯨は浅瀬に乗り上げてしまって、もう終わりを待つほかどうしようもありませんでした。私は海の灯りをいくらか捕って、鯨のもとへ持っていき、彼が終わってしまうまで、青い灯りを見せてやりました。これは、その時の余りです」

 また頁をめくります。透き通った緑色が、薄くなったり濃くなったりひらひら表情を変えています。「私、これが一番好き」と火灯し妖精が言いました。吊りスカートの女の子は、火灯し妖精ににっこり笑いかけました。

「これは、私の家の中庭の、どんぐりの木の木漏れ日です。木陰で休んでいて、あんまり気持ちが良かったものだから、思わず標本にしたものです」


 スケッチブックには、ほかにも色々の灯りが保存されていました。完全に冷えて停止してしまう直前の、震えるような白色矮星。生命も息づかない、氷に覆われた星に煌めいたつらら。産卵を終えた鮭の鱗。誰かの瞳に映った、銀色の満月……。

「ずいぶんあちこち巡って、灯りを捕っているんですね」

 実浦くんは感心して、褒めたつもりでそう言ったのですが、女の子は喜ぶよりも、むしろ思いつめたような顔をしました。

「そう。どこにだって行くんです。銀河の果ても、星の内部も、過去も未来も、次元を隔てたそのまた向こうも。急がなくては、光はすぐに消えてしまうから」

 吊りスカートの女の子は、深い悲しみをたたえた青い瞳で、スケッチブックを見つめます。

「たとえばこの山も、いつかは冷えて固まり、熱も光も失われてしまうでしょう。やがて山そのものも闇の中に没し、ここに火山があったことなど、誰も知らなくなるでしょう。でも標本として光を遺しておけば、私はいつでもここに戻って来られるのです」

「戻りたいの? 失われた光のところへ?」

 火灯し妖精が訊くと、女の子は苦しそうにうなずきました。

「諦めきれないのです。何かが失われていくことを、どうしても」


 それを聞いて、実浦くんはひどく悲しくなりました。吊りスカートの女の子が、どうしてなにもかも大きすぎるものを身につけているのか、その理由が分かったような気がしました。

 彼女の上着も帽子も、靴も鞄も、きっととてもとても重たいのでしょう。失われゆくものたちの重さをすべて伴いながら、彼女はなおもタモ網を振り回し、失われゆくものたちが失われる寸前の光を、集めようとしているのです。


「たいへんねえ」

 火灯し妖精は、あまり深刻には考えていないようです。呑気に言うと、女の子の帽子のつばにちょこんと腰かけました。帽子が、ふんわり薄い橙色に光ります。

「ねえ、あなた灯りを捕るんなら、山頂の灯りも捕りに行くの?」

「ええ。あの灯りは、この火山そのものの灯りですから」

「一緒に行きましょうよ」

 火灯し妖精が言いますと、吊りスカートの女の子は綻ぶように笑いました。実浦くんは、彼女の荷物のほんの少しを持ってあげることにして、水筒や羅針盤や小瓶の詰まったケースなんかを両手いっぱいに持ちました。

「少し軽くなりました」と、女の子が呟きます。


『では、ぼく、自分で歩こう』

 実浦くんが荷物をたくさん持って、カンテラを持てなくなりましたので、カンテラはぐぐっと背伸びをして、青白いライチョウの姿になりました。

「すごいですねえ、面白いですねえ」と、吊りスカートの女の子が手を叩いて喜びましたので、カンテラだったライチョウは照れくさくなって、山道をさっさと登っていってしまいました。



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