22
明くる日の夕方、ようやくルカが姿を見せた。交代時間を狙ってきたのは、みんなに一遍に挨拶ができるからだとすぐにわかった。ルカは支配人室から出てくると、集まっていた小糸さん、高島さん、坂井ちゃんに囲まれ、別れを惜しむ言葉を次々とかけられた。
俺は輪に加われず遠巻きに見ているしかできなかったが、漏れ聞こえてきた話の内容はおおよそわかった。日本に来て以来、ろくに連絡もしていなかった両親に帰ってくるよう説得され、四日後に発つことにしたのだという。
薄々予期していたとはいえ、頭が真っ白になった俺に、坂井ちゃんの冷たい一言が飛んでくる。
「最後くらい何か言ったら。かける言葉もないほどの薄情じゃないでしょ」
背景を知らず、おろおろする高島さんと小糸さんをよそに、坂井ちゃんは腕組みをして睨んできた。
「やめて、坂井ちゃん」
ルカは坂井ちゃんをなだめると、俺の前にやって来た。
「嫌かもしれないけど、仕事終わりに、裏の公園まで来てもらえる? 待ってるから」
それは懇願だった。
タイムカードを押してオリオン座を後にすると、重い足取りで公園へと向かった。暗くなりかけた園内には、寒さのせいもあってか人影は見当たらない。たったひとつを除いては。
大木の下にあるベンチで待つルカの所へ進みながら、以前この場所で腐っていた自分を思い出す。あの時は今と逆でルカの方が俺を避けようとしていた。これ以上、俺に惹かれたくないと言って。ルカには、この結末が見えていたに違いない。
「来てくれて、ありがとう」
ルカが礼を述べる。
俺は頷き、少し離れて腰を下ろした。気まずさに視線が泳ぐ。
「司は聞きたくもないだろうけど、ちゃんと告白しないでいなくなるのは嫌だったんだ」
ぽつりぽつりと、ルカは過去を打ち明け始めた。冷静な口調で。
「タトゥーの名前の相手、ジェイソン・テイラーとは、ライヴハウスで知り合ったんだ。バンドやってて、ベースを弾いてた。見た目はいかにもパンクって感じなのに、話し方は柔らかくて、面白い人だった。そのギャップに惹かれたし、話をするうちにお互い同じ種類の人間だっていうのがわかって、自然とそういう関係になった。出会ってから一ヶ月もしないうちに同棲を始めて……」
ここでルカは一旦、口をつぐんだ。俺が思いきって視線をやると、その横顔は苦笑していた。
「俺は十八になったばかりだったし、子供だったんだよね。初めての相手に完全にのぼせ上がっちゃって、周りなんて見えなくなってた。ジェイソンへの想いを表現したくて、彼の名前と彼の好きな蛇を胸に刻んだ。彼も喜んでくれて、一生離さないって、そう言ってくれたのに」
ルカの右手が憎むようにきつく心臓を掴んだ。
「たった一年しか続かなかった。俺達の部屋に浮気相手をつれこんで、それを責めると、俺にはもう飽きたって」
ずっと平常心を保っていたルカも、とうとう堪えきれなくなったようだ。声が震え、時折、唾を飲む音が混じり始めた。
「別れてからは一人で暮らしてた。忘れようと必死になったけど、いつもこのタトゥーがじゃまして。それで、アルコールに逃げるようになったんだ。その時に通ってたパブで介抱してくれた人といい感じになれて、うまくいきそうに思えたけど」
ルカは両手を打った。シャボン玉でも割るような仕種だった。
「司ならわかるよね。だから、いいんだ。司は何も悪くない。こうなるってわかってたのに、少しでも一緒にいたくて、打ち明けるのを先延ばしにしてた俺が悪いんだ」
俺は必死で口を開こうと試みた。けれど、いくら探しても言葉が見つからない。
「一人じゃ抱えきれなくなって、両親に相談した」
再び、ルカの告白が続く。
「父さんには、バカなことをしてって怒鳴られて、母さんはただ号泣してた。それを見ているのがつらくて、日本に逃げてきたんだ」
すべて吐きだしてすっきりしたというように、ルカはすっくと立ち上がった。見上げる俺をまっすぐみつめる。
「俺、司には感謝しかないよ。一緒にいられて凄く楽しかった。いい思い出、いっぱい作ってくれてありがとうね」
ルカはそう言い残すと、走り去ってしまった。その背中がぼやける。
「なんで……」
握った拳に涙が落ちた。
「なんで、そんなふうに言えるんだよ……」
無力な自分が悔しくて、何度も何度も自分の膝に拳を打ちつけた。
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