17

 昨夜は着替えもせずにベッドに倒れこんだ後、あの入れ墨が頭から離れなくて、ちっとも眠くならなかった。どうしてあんなものを彫ったのか。しかも外見と全然、似合ってない。それをひた隠しにしていたのも許せない。裏切られた思いで胸がむかむかした。ようやく眠れたのは朝方だったから、母親の怒鳴り声で起こされた時は昼近かった。

「何回呼んだら起きるの!」

痺れを切らしてやって来た母が、乱暴にドアを開け放った。

「休みなんだから、好きなだけ寝かせてくれよ」

 布団に顔を埋めようとするが、容赦なく引っ剥がされる。

「ルカくんから電話よ。さっさと出なさい」

 今はその名前すら頭痛の種だ。

「いないって言ってくれ」

「ふざけたこと言ってないで、いいから出なさい。いつもなら、すっ飛んでいくくせに。一体どうしたっていうのよ」

「わかったよ。出ればいいんだろ」

 母親を恨みつつ渋々ベッドから離れ、一階へ下りた。重い受話器を取り上げ、耳に当てる。

「司? 夕べはごめんね。でも俺、どうしても、あのままにしたくなくて」

 それ以上は相手に言わせず口を挟む。

「俺に考える時間をくれないか。しばらく距離を置いた方がいいと思うんだ」

 淡々と言う。

 ルカは少しの間を空けて「わかった」と電話を切った。

 ため息をつき、もう一度寝ようとしたけど、すっかり目が覚めてしまった。遅い昼食を摂った後、部屋で天井を見上げているうちに、いつの間にかうたた寝していたところを再び母親に起こされる。

「今度は何?」

 うんざりして訊くと、母はにんまりと笑ってみせた。

「坂井さんって女の子が会いたいって来てるわよ」

 紹介しろとせっつく母親を無視して、俺は玄関へ向かった。坂井ちゃんが家に来たのは初めてだ。硬い表情で立っている。

「二人きりで話したいことがあるんだけど、いい?」

 有無を言わせない坂井ちゃんと一緒に、近くの河原まで来た。土手に腰を下ろして、流れる小川を眼下に、小鳥のさえずりを聞く。こんな状況じゃなきゃ、のどかでいい眺めなのに。

「話ならわかってるよ。ルカのことだろ」

 俺は先手を打った。

「ルカもいい性格してるな。早速、坂井ちゃんに泣きつくなんて」

「何その言い方。つかっちゃんらしくない」

 坂井ちゃんの顔に嫌悪が浮かぶ。俺を好きだったとしても、完全にその気は失せただろうな。

「ルカからは何も聞いてないよ。仕事中に様子が変だったから、つかっちゃんとケンカでもしたのかと思って確かめにきたの。どうやらそのとおりみたいね」

「坂井ちゃんもひどいよな。ルカのでっかい入れ墨のこと知ってたんだろ。どうして教えてくれなかったんだよ」

「入れ墨じゃない。タトゥーだよ。日本と違って海外ではファッションの一部で――」

「どういう言い方しようと、消えないのは一緒だろ」

 俺は苛立たしげに右手を振って遮った。

「あんなのあったんじゃ、温泉に入りたがらないはずだよな。泳ぎにも行けないか」

「つかっちゃん。まさか、ルカにもそんなこと言ったんじゃないでしょうね」

「言ってないよ。ショックで、ろくに口もきけなかったからな」

 吐き捨てるように言った。一晩経っても怒りは収まっていないようだ。

「ショックなのは、わからなくもないよ。でも、ルカのこと好きなんでしょ。好きなら、どんなことも受け入れてあげなきゃ」

「次元が違うんだよ、坂井ちゃん。好きだった男の名前まで彫ってあるんだ。そんな相手と付き合っていけるほど、俺は寛大じゃない」

 俺が言い終わるか終わらないかのうちに、強烈な平手打ちが飛んできた。

 目に涙を溜めた坂井ちゃんが立ち上がって全身で叫ぶ。

「最低‼ 誰よりも後悔してるのはルカ本人なんだよ‼ 信じてた人に裏切られて、凄く傷ついて。それなのに、つかっちゃんは突き放したんだね。あれだけ好きだって言ってたくせに‼」

 坂井ちゃんは一旦、目元を拭った。それから、また言い放つ。

「結局、つかっちゃんはルカの表面しか見てなかったってことだよ。見た目だけで判断して、勝手に理想を押しつけてただけ。そんな人だと思わなかった。もう口もききたくない」

 くるりと背を向け去っていく。

 一人残された俺は、悔し紛れに小石を掴んで川に投げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る