15
「司、遅いよ。早く早く」
急斜面に立つルカが、楽しそうに叫ぶ。
俺は強烈な硫黄の匂いに顔をしかめながらも、追いつこうと必死に足を動かした。
海のデートの次は山だとばかりに箱根まで来ていた。平日なので観光客は少なめで、どこへ行ってもそれほどの混雑がないのが救いだ。
デート自体は回を重ねていたものの、遠出をするのは久し振りなので、ルカは朝からはしゃいでいた。深まる秋の気配に合わせた重ね着した姿のルカはモデルのようで、その上で笑顔を振り撒くものだから、擦れ違う人々の注目をどうしても浴びてしまう。「芸能人かな」だの「かわいいね」だの、すっかり耳慣れたセリフを流しつつも、俺は内心、鼻高々だ。
ようやく頂上に達すると、名物の黒たまごを買って二人で食べる。
「これで七年長生きできるんだって」
袋に書いてある説明文を、ルカが読んだ。
「残りは全部あげようか?」
佳人薄命という言葉が浮かんで、半ば本気で言った。
「司と分ける。二人で長生きしたいから」
感動に胸が打ち震えた。こういう恥ずかしいやりとりも楽しくて仕方ない。これまでは女の子のご機嫌をとって、いかにベッドへ誘いこめるか苦心していたのに。あの日々がとてもバカらしく思えた。
ルカの笑顔があればそれでいい。その為ならなんだってできる。こんな熱量が自分の中に眠っていたなんて驚きだ。
芦ノ湖まで足を延ばした俺達は、せっかくだから遊覧船に乗ることにした。ユニオン・ジャックをペイントしたビクトリア号に乗船するや、デッキの先端を陣取って出発を待つ。
汽笛と共に動きだした船体は、ゆっくりと湖面を遊覧していった。
見事に色づく紅葉に囲まれた景色は、油絵のようにくっきりと鮮やかだ。
「山の紅葉ってきれいだね。今の時期に見にきてよかった」
ルカは、うっとりとした口調で感想を述べた。
俺自身は家族や友人と何度か訪れていたけど、同じくらいに素直に感動していた。好きな相手といると、そう感じるものなのだろうか。
さすがに、十一月に風を切るのは寒かった。他にもいたはずの乗客が、気づくと下の船室へ移動していた。ここぞとばかりに、俺はルカの身体を背後から包んだ。華奢な身体を少しでも冷たい風から守ろうと、両腕で抱きしめる。
「あったかい」
ルカは呟き、俺の腕を自分の両手で掴み、身を任せる。
「司とこうしていられる時間が、何よりも嬉しい。ずっと続くといいなって、いつも願ってる」
「ルカが望むなら、俺はずっと傍にいるから。約束する」
俺は、ルカの頭のてっぺんにキスを落とした。
身も心もポカポカ。そう言いたいところだけど現実は甘くなく、沈みかける夕日を背景に下船した俺達は、同時に身震いした。なんといっても、ここは山だ。平地よりも気温は格段に低い。
「ここって確か、日帰り温泉もあるはずなんだ。ちょっと入っていかないか?」
俺の提案にルカの顔色が変わったのを見て、はっとした。下心からではないと慌てて証明する。
「冷えた身体を温めたいと思っただけなんだ。別に変な意味はないから」
「うん。それはわかってる。でも、俺は遠慮するよ。司だけ入ってきなよ。待つのは構わないから」
「いい、いい。そんな気遣わないで。予定どおり、このまま帰ろう」
「ごめんね、司……」
ルカは、ずっと下を向いていた。
俺は単に、人前で裸になるのが嫌なだけだと思ってた。だから明るく笑って受け流した。それでもルカの表情は完全には晴れず、途中、何度か思いつめたまなざしで口を開こうとした。この時に察してやれば、この後の展開は違っていたのだろうか。いや、そうは思えない。結局は、別れが早まっただけになっていただろう。何故なら、俺にはそれほどの度量がなかったから。ルカのすべてを受け入れられるほどの度量が――。
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