夢佳よりも
夏休みではあったが、電車は平日の昼間ということもあってすいていた。
利光は一番端の席に座って、頭上で揺れるつり革とその後ろにある永久脱毛の広告をぼうっと見つめている。
――異世界を救うったって、人殺しなんてできるわけないよなぁ。
あの日、どうしてあんなことを口走ってしまったのだろう。
言いわけをさせてもらえば、あれはみんながミッションを失敗したという前提で発した言葉だった。誰かが嘘をついていたなんて思わなかった。
なぁ、寛治。お前はどういう気持ちで……。
利光はずっと後悔している。あの時の自分の言葉が、寛治の心に深い傷をつけたのかもしれないと。寛治が奏平の父親を殺す覚悟を決めた過程に、自分の言葉が関係しているかもしれないと。
もしあの時に自分が別の言葉を言えていたら、寛治の心のケアができたかもしれない。こんなことみんなに相談したら、自意識過剰だと笑われるだろうか。
隣に座っていたサラリーマンが立ち上がったことで、利光はふっと我に返る。電車はすでに下車予定の駅に到着していた。慌てて電車を降りる。
「黄色の線の内側までお下がりください」
駅員の声が聞こえ、ふしゅーというドラゴンがブレスを吐いた後のような音と共にドアが閉まった。電車が動き出すと体が生暖かい風に包み込まれる。そのせいで心はさらに灰色に濁った。
デート、面倒くさいなぁ。
でもドタキャンするのは心証が悪いよなぁ。
利光は重い足を引きずって待ち合わせ場所の西口へ向かう。改札の向こうでは、彼女の一人である夢佳が「利光! こっち!」と大きく手を振っていた。
「おう」
利光は軽く手を上げてそれに応えたが、歩くスピードを速めることはしなかった。
理由は単純で、走ると暑いから。
改札をゆっくり通って、夢佳の前で立ち止まる。
「悪い。ちょっと遅れた」
「いいよ。こっちこそ忙しいのにごめんね」
「気にするなって。それより早く行こう」
「ゆっくり二人で歩くのでもいいけどね」
「そこは涼しい店で食べながらゆっくりしようぜ」
「それもそうだね」
二人は、和気あいあいと会話しながら、駅から徒歩五分の場所にあるパンケーキの店に向かう。
「楽しみだね。パンケーキ」
「そうだな」
隣で笑っている夢佳は、隣の隣の隣くらいの市に住んでいる。つまりどこに住んでいるか覚えていない。SNSを通して知り合い、会って二回目で利光から告白した。
「ちょっと行列やばくない? やっぱ人気なんだね」
夏休みということもあってか、夢佳の言葉通り店の前には行列ができていた。神凌町から電車で四十分の場所に、こんな人気店があるなんて奇跡だ。
「並ぶの、一時間くらいかなぁ?」
「それくらいで入れるといいよな」
急いで最後尾へ向かう。ようやく店に入れたのは四十分後。店内のあまりの涼しさにここは天国かと思った。
「へぇ。結構オシャレじゃん」
「だよね。なんか映えそう」
「すぐ女子ってそれ言うよな」
「だってみんなやってるから」
どうでもいい話をしながら案内された席に座る。雑誌で紹介されていたフルーツのいっぱい乗ったパンケーキを夢佳が、アボカドとサーモンのパンケーキを利光が注文した。食べ終えた後もしばらくは冷房の効いた店内で駄弁る予定だったのだが、店の外の行列を見たら居座り続けるのも悪いと思い、近くのカラオケ店に移動した。
「おいしかったね。さっきのパンケーキ」
「話題になってるだけあったな」
曲を選びながら返事をする。八十年代に発売された男女ボーカルユニットのラブソングを入れて、夢佳にマイクを渡した。
「これ一緒に歌おうぜ。お前好きだろ?」
「え?」
夢佳が不思議そうに見つめてくる。
「利光も知ってたの?」
「いいや。前のデートで言ってたじゃん好きだって。だから覚えた」
一週間前のデートの時に、立ち寄った音楽ショップで流れていたのがこの曲だ。
「私これ好きなんだ、古い曲だけど」
夢佳が目を閉じて聞き入っていたので、利光は歌えるようにしておこうと思ったのだ。
「ありがとう」
嬉しそうに頬を赤らめる夢佳を見て、苦労して覚えてよかったなと思う。自分の好みではないけれど、こういう心配りも彼氏彼女の関係を保つためには大事なことだ。
それから、二時間ほどカラオケを楽しんだ。
ラスト十分を知らせる表示がモニターに出てきたので、利光は退出の準備を始める。
「ねぇ」
隣に座っていた夢佳が、体をぴとりとくっつけてきた。
「やっぱりもう少し一緒にいたいよ」
手を握られ、肩の上に頭をのせられる。
「急なバイトが入ったから無理だって言ったじゃん」
「いいじゃんそんなの」
「休んだら迷惑かかる」
「私の家に来るのだったら?」
頬を朱色に染めている夢佳を見て、ああ、誘っているんだなと、利光は理解した。
ただ、いかなる理由があろうと、この後の予定をキャンセルすることはできない。
「また今度な。次会える時が楽しみになるだろ」
「でも……」
「ほら、早くしないと延長料金取られるぞ」
利光は急かすように言って、名残惜しむ夢佳のため息から逃げるように立ち上がる。支払いを済ませて店を出る時も、駅に向かう道中も、夢佳はずっと隣で下を向いていた。ったく女ってのはめんどくせぇなぁと思いつつ、利光は彼女の手をぎゅっと握りしめる。
「ほんとにごめんな」
「え…………あ、うん!」
夢佳は可愛らしい笑顔をようやく取り戻してくれた。恋人つなぎをしたまま駅まで歩き、バスで帰るという夢佳と別れる。
「次はちゃんと一日中遊ぼう」
「私こそごめんね。無理言って」
「埋め合わせは絶対するから」
互いに手を振り合い、夢佳が背中を向けてから利光も背を向ける。作っていた笑顔のせいで頬の筋肉がすごく痛い。
駅のホームについてから、利光はりんにメッセージを送った。
《おーい起きたかー?》
《ずっと前から起きてるよ》
《嘘つけ》
《嘘じゃないし》
《だったら十七時に駅前のハイゼで》
《少し遅れる》
《やっぱ寝てたんじゃん》
《呼び出したのは私なんだから、私のついた時間が待ち合わせの時間》
《傲慢なお嬢様だな》
りんが不服そうなリスのスタンプで返信してきたところで、電車がホームに到着した。混んでいて座れなかったので、扉の横で立ったままうたたねしていると、あっという間に神凌駅についた。
ハイゼリアには十六時五十五分に着いた。当然、りんはまだ来ていない。とりあえず席を確保し到着メッセージを入れておく。
《今ついた》
《り》
《ただなりー》
《うざ》
その文字からりんが本当にうざがっている様子が目に浮かぶ。
「……ったく、ほんとしょうがねぇなぁ」
誰にも聞こえないような小さな声で呟くと、自然と笑みがこぼれてきた。退屈で退屈で死にそうだった夢佳との時間を思い出すと、今こうして浮かれている自分がすごく満たされているように思えてくる。その充足感を抱いてしまうからこそ、りんと実際に会って話すとひどく惨めな気分になる。
自分のこと、しかもそれが恋となると、どんな人間も途端に客観性や冷静さを失う。けれど利己的な自意識だけは手に入れてしまうから、本当に恋はトラウマしかうまない。
「ほんと、しょうがねぇなぁ、俺は」
利光は下唇を噛みながら、可愛い子はいないかなぁとファミレスのウェイトレスを物色し始めた。
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