奈々の決意
奏平はちらりと隣に座っている奈々を見る。彼女は烏龍茶を飲みながら、画面に表示される歌詞をじっと見つめていた。奏平の真向かいに座っているりんは鞄の中を漁っており、斜め前に座る利光は六人組のダンスボーカルユニットの曲を歌っている。高音まで綺麗に歌えるところや女子を意識したかのような選曲も、利光がモテる要素の一つなのだろう。
りんが奈々に一緒に歌おうと誘い、某アイドルのデュエット曲が流れ始める。二人が可愛く歌っている間に、奏平は盛り上がりそうな夏曲を入れた。
そこから、部屋に入って十分とは思えないほどのテンションで騒ぎまくり、ようやく落ちつきを取り戻したのは、およそ一時間後。
奏平は酷使した喉をコーラの爽快感で労わりつつ、利光が歌うしっとりとしたバラード曲を堪能しながら、ふと思った。
やっぱりここには、四人しかいない。
寛治の無茶な大声がないから、今日のカラオケは決定的に物足りない。
「そう、なんだよなぁ」
奏平の呟きは、二番のサビを歌い始めた利光の歌声にかき消された。
「そういえば、話ってなんだよ」
最後のビブラートまで丁寧に歌い上げた利光が、マイクをテーブルに置きながら対面に座る奈々に問う。
「そうだ。それで今オケってるんだった私たち」
次の曲を入れようとしていたりんが、テーブルの上のリモコンから手を離した。
「ああ、えっと、ね」
奈々は困ったように顔を引きつらせる。
「寛治のことでちょっと」
「だと思った」
消え入りそうな奈々の声を遮ったのはりんだった。みんなの視線がりんに集まる。その視線を小さな頷きで受け止めてから、りんは口を開いた。
「寛治のことで悩んでるのは奈々だけじゃないよ。みんなでそのこと話さなきゃって私も思ってた。私だって、毎日寛治のこと考えて後悔してるから」
りんがみんなを見渡していく。同意を求めているのだろう。そんなりんに最後に見られたというのもあって、奏平は自分がなにか言わなければいけないと思った。
「俺だって、気持ちは同じだ」
「そこまで気負う必要ないんじゃね?」
そう言った利光は、顔の前で手を握りしめたり開いたりを繰り返している。
「そりゃ俺だって後悔は腐るほどある。だけどさ、結局は他人なんだから頭の中でなに考えてるかなんて分かんねぇよ。少なくとも俺は分かったつもりにしかなったことがない。自分の中で都合のいいように解釈してたんだなって、いつも後から思い知らされる。だから女と長続きしないし、女が俺から離れていく理由もさっぱり分からん」
「浮気してるからでしょそれは。単純明快じゃない」
りんの的確なつっこみを受けた利光が目を丸くしてから、安堵したように笑う。重苦しくなりそうな空気を察して、そのフレーズでつっこむしかないだろっていう分かりやすいボケを利光は言ってくれたのだ。
「嘘だろ? そんなことで女はキレるわけ?」
「鈍感を通り越してもはや病気ね。どんだけ頭の中ハッピーボーイなの?」
「二人とも違うの!」
りんと利光の軽妙な掛け合いを奈々が声で制した。利光の企みは脆くも崩れ去ったって感じか。こんな状況なのに、こうして冷静に場を俯瞰している自分に気づき、奏平はみんなにばれないよう唇を噛んだ。
「違うって、どういうこと?」
りんが奈々に尋ねると、奈々は奏平をちらっと見てから話し始めた。
「実は、寛治のことってのはそうなんだけど、今それで親と喧嘩してて、家出したところを双葉ちゃんと会って、奏平の家に匿ってもらうことになったの」
ほら、奏平の家って広いし、と奈々は肩を竦める。「えっ」と同時に呟いた利光とりんの二人が奏平に集まった。
「あ、ああ。実はそうなってるんだ」
奏平は、【家出したところを双葉ちゃんと会って】と奈々がナチュラルに嘘をついたことに驚いていた。りんに変な誤解を与えないためには訂正しない方がいいと思ったので、そのままにしておく。
「それで今日は二人を呼んだの。私、親と喧嘩したのこれが初めてで、どうしたらいいか分からなくて」
「ん?」
りんが首を傾げる。
「ちょっと待って。それだけ? 家出してるってだけ?」
「……うん」
奈々がこくりと頷くと、りんは「なーんだ」とソファの背もたれに寄りかかった。
「よかった。急に深刻そうにするからびっくりしたよ」
りんは目の前のグラスを持ちあげて、ストローでアイスコーヒーを啜る。とん、とそのグラスをテーブルの上に置いた後で、
「でも……喧嘩の理由は、詳しく教えて」
真剣なまなざしを奈々に向けた。
「分かった。実は……」
奈々が母親との喧嘩の理由を二人にも説明する。
「そっか。それは辛いね。親が悪いよ。奈々はなんにも悪くない」
話しが終わると、すぐにりんは奈々の味方であることを表明した。
「ありがとう、りん。だけど私、もうどうしたらいいのか分からなくて、心がぐちゃぐちゃで」
奈々にいきなりしがみつかれ、奏平は体を硬直させた。おい、りんが見てる前で……。泣いているので突き放すわけにもいかない。色んな部分が体に当たってくすぐったい。助けを求める意味も込めて利光に視線を送るが、利光は、困惑したような顔でりんを見ていたので意味がなかった。
その視線を追って仕方なくりんに目をやると、りんは微笑を浮かべていた。
「じゃあとことん反抗しなよ。謝るんじゃなくて、ふざけんなよ! っていう自分の思いを全部ぶつける。私たちも一緒に行くからさ」
予想外の言葉だったのか、奈々が「どういうこと?」と目を見開く。
「親にも分からせないと。奈々は親のおもちゃじゃないんだし。ほら、いつまでも奏平に頼ってないでしゃんと座る。堂々としていいの。可愛い顔が台無し」
「りんの言う通りだ。奈々はなにも悪くない。子供が親の思い通りになると思ったら大間違いだ」
援護射撃をしてくれた利光の背中をりんがばしっと叩く。
「利光もたまにはいいこと言うじゃん」
「たまにはじゃなくていつもの間違いだろ?」
「そうね。ごくごく稀にの勘違いだったわ」
「なんでもっと稀少になってるんだよ! 俺はレアメタルじゃねえから」
二人のやり取りを聞いていた奈々がついに笑った。
「ありがとう。みんな。ほんとに」
その後、奈々はぐっと目を閉じ、数秒後に目を開けて「私、やるよ」と宣言した。奈々はそのわずかな時間でとてつもない量の葛藤をしたのだろう。永遠とも言えるほど悩み、母親と対決することを選んだのだろう。
そんな奈々の決意に触れて奏平は、自分が父親と真剣に対峙する道を選べていたら、もっと違った未来が広がっていたんじゃないだろうか、と考えずにはいられなかった。
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