後悔先に立たず
天気予報通り、昼休みが終わってから雨が降り始めた。ざあざあという雨音が心地よい眠気を誘う午後の授業中、奈々は斜め前に座る寛治の背中をじっと見つめていた。
雰囲気がどことなく変だと思ったのだ。
いや、おかしかったのは午前中も一緒か。
午前中の寛治は、どこか思い詰めたように俯いているのに、目だけはとにかく鋭かった。それが午後になると、晴れやかな笑みに虚な瞳がくっついているだけの不気味な表情へ変わった。そそくさと姿を消した昼休みの間に、なにかあったのは明らかだ。
帰りのホームルームが終わったあと、奈々は寛治に話しかけることにした。
もし奏平や利光、りんがこのクラスにいたら同じことをしたと思う。
「寛治」
斜め後ろに立って名前を呼ぶ。
「ん? どうした? 奈々?」
鞄に教科書やらノートやらを詰めている最中だからか、寛治は振り返ってくれなかった。
「え、あ、うん……。えっとね……」
「…………ん? だからどうしたんだよ?」
奈々が黙っていたのをおかしく思ったのか、寛治がようやく振り返ってくれる。そうして欲しいと思っていたのに、いざ目と目を合わせると、なにを話していいか分からなくなる。
でも、話さなきゃ。
「あのね、寛治」
まだまとまっていないけど、とりあえず。
「昼休み、どこ行ってたの?」
「えっ……?」
寛治はあからさまに目を泳がせた。
「昼休みなら、奏平と話してたよ」
「なんの話?」
「色々とな。そこは男の秘密だ」
寛治はくいっとサムズアップする。その張りつけられた笑みには、これ以上聞くなという強い意思が込められているように見えた。
「そっか。男の秘密か。なら仕方ないね」
「今、子供っぽって思っただろー」
「思ってない思ってない」
二人して笑い合っている間、奈々は、じゃあどうして奏平と会ったなんて言ったの? そうやって誤魔化すなら最初から全部嘘で塗り固めてよ、と思っていた。今の寛治は、笑っているのに泣いているように見える。
「じゃあな。俺、急いでるから」
鞄を背負いながらすっと立ち上がった寛治は、もう奈々に背を向けている。
「そうだったんだ。ごめんね。呼び止めて」
「別にいいさ。俺も奈々と話せてよかったよ」
どきりと、心臓が跳ねる。
なんでそんな、今生の別れみたいな言葉を使うの?
じゃあな、で止めないで、また明日って言ってよ。
自意識過剰かな?
寛治の言葉をすべて悪い意味にとってしまう。勘違いであって欲しいと思えば思うほど胸の中の痛みは増していく。
「うん。またね」
とてつもない不安に駆られたのに、奈々は胸の前でひらひらと手を振り返すだけしかできなかった。寛治が教室を出て、その姿が見えなくなると、奈々は寛治の机にそっと触れた。
「大丈夫、だよね」
机の天板を撫でながら、自分に言い聞かせるように呟く。ピキリ、ピキリ。自分が大切にしてきた五人の世界に亀裂が入ったような気がした。急激に、寛治を止められなかった後悔に襲われる。
いつもそうだ。
どうして思ったことを正直に言えないのだろう。嫌われるのが怖いからだ。すべての人間を騙せる嘘をつくより、本当の思いを誰かに伝えることの方が、奈々にとってははるかに難しい。
奈々は震える体を自身の腕で抱いて、寛治が出て行った扉の方をじっと見つめ続けた。
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