音路町ラプソディ
1
†
この日は今どき珍しく今川焼きは黒餡白餡ずんだ餡問わずに馬鹿がつくくらいに売れる日だった。生産が追いつかないなんて今までに片手で収まるくらいしかなかったのに。俺の店【今川焼きあまかわ】のキッチンカーの前にはアナコンダより一回り小さいくらいの列ができている。
それもそのはず、これには訳があるのだ。時を昨日の午後に戻せば全ての謎は解ける。
昨日は今よりも大分余裕のある仕事であった。今川焼きの生地もちゃんと追いついたし、アンコもなくなるなんてなかった。通りを眺める余裕すらあったのだから。鉄板に油を引いていると、向こう側から高校生くらいの歳かと思われる女の子がやって来た。
茶色のふわふわしたショートカット。前髪はぱっつんで目の上の眉を隠している。リスを思わせる小柄な体格に、なぜかウサギのナップザックを背負っている。
「いらっしゃい」
「不躾ですみませんが、撮影してもいいですか?」
俺は口を半開きにした。とりあえず頷くと、彼女は自撮り棒を手に自分のスマホのカメラを入れた。俺のキッチンカーを背景に彼女は喋り出す。
「はぁい皆おはこんばんちは!スイーツ大好きくもちだよ☆今日はね、音路町の今川焼きあまかわ、ここに来たんだ!」
今まで喋っていたトーンよりワントーン高い声になった。そしてそのスマホのカメラを俺に向けて言う。
「店長、こんちは!ふぅ~なかなかのイケメンかなぁ」
「あははっ、こんちは」
イケメンはまた悪くない褒め言葉だ。
「オススメは?」
「うちのは何でもいけるけど、特にずんだ餡がよく売れるかな?」
「あはっ!ずんだ!甘美なる響き!」
「ずんだにするかい?」
「とりあえず全部!」
「全部かい!はいよ。待っててね!」
一度カメラを切ると、彼女は一度頭を下げて言う。
「焼いてるところ、撮らせてください!」
「あぁ、構わないよ」
またカメラを入れた彼女は鉄板にズームする。
「あらぁ焼いてる焼いてる!美味しそうなアンコ!くもち、アンコに目がないんだよねぇ~」
俺は黒、白、ずんだをそれぞれ焼く。それを撮影しながら只管喋る通称くもち。
「お待ちどおさま、出来たよ」
「おわっ!焼きたて!湯気半端ねぇ!じゃあずんだから……」
通称くもちはずんだ餡の今川焼きにパクついた。陶酔したような顔で言う。
「豆感パない!甘さも甘すぎず、皮何これ!もっちもちなんだけど!」
食べながらも断面にカメラを向けることを忘れない。同じく黒餡と白餡も囓っては感想を述べる。
「いやぁ、美味しかった!皆、このお店のキッチンカーはここにずっと停まってるから是非来てね!皮と餡のハーモニー半端じゃないから!ぼくが言うなら間違いない!じゃね~、よかったらチャンネル登録よろしく!」
通称くもちはカメラを切ると、それをナップザックにしまい込み、礼儀正しく頭を下げてきた。
「お仕事の邪魔をして申し訳ありませんでした……」
「いや、構わないけど、君あれ?YouTuberってやつ?」
「はい、くもちって名前でやってます。本名は
高校生かと思った。桜は今川焼きを少しずつ丁寧に旨そうに平らげた。
「そのハンドルネームは?」
「ぼく、桜餅が好きなんで、モジってるんですよ」
「なるほどな、んで、君のチャンネルって……」
俺はスマホでYouTubeを起動して見た、何とチャンネル登録者数は40万人を超えている。この辺に限らず色んなスイーツを紹介しているようだ。
「多分、明日にはお客さんがわんさか来ますからね」
桜はそう言うと三百円を払い去って行った。ホントかよと思っていた翌日、つまり今だ。出待ちがいるくらいの長蛇の列がまさにここに出来ていたのである。
「わっ!むちゃくちゃ混んでる!」
「さすがですね、くもち効果!」
巷では桜のYouTubeで紹介された店は翌日から大盛況になるらしい。店側にしたら物凄い福の神(女神様?)のような存在。凄いわYouTuber。やはり鵲も充も彼女のYouTubeを観たのだろう。
「俺、今まで知らなかったんだよ」
「アマさん、YouTubeなんてあまり観ませんからねぇ、彼女凄いんですよ。また編集が巧いのか、ホント旨そうに見せるんですから」
「プロだな。ホントに」
「彼女、この辺に住んでるらしいです。ボクの店にもたまに買いに来ますよ。お酒」
驚きだ。いや、郊外ではあるがここも東京。そう不思議では無いか。最近はYouTubeの御陰かどうか、メディア進出するのにわざわざ上京する必要はあまりなくなったのかもしれない。ある意味ドーナツ化現象の緩和に一役買っているネット社会。万歳。
「じゃ、僕も黒餡を一つ戴きますかな」
「あっ、ボクも同じ奴」
「はいよ。まさかこんな忙しくなるなんて……」
俺は嬉しい悲鳴を上げながらこの日の仕事を完売のうちに終えた。アンコも生地も少しも残っていない。この清々しい忙しさはほぼ無報酬で1グロス焼かされたあの日に比べれば天地程の差がある。
この日は帰って3種の餡の準備と粉を用意して仕事を完全に終えた。どっと倒れ込んだ畳から上がる緑の香りに癒やされ、俺は泥のように眠ってしまった。
――その後の騒動など、毛ほども感じてはいなかったのだ。
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