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†
俺は今、何の因果かこの街のスカイスクレーパー、音路町ヒルズの高層階にいる。隣には夜湾、彩羽、そしてこの部屋の主である、恋愛小説家の先生……
「そこに恋の匂いさえすれば、小生は一向に構わない」
綺々先生の部屋の一角に隠された隠し扉の向こうに広がるのは、高級なモニターと何故かアナログな蓄音機、微かに流れるルイ・アームストロングのスモーキーな声とトランペット、我が心のジョージア。ただそのデュアルモニターには2つの映像。遠くから撮影した男女の映像と、近距離の女性……乃月。
「はじめてのおつかいやないんやから……なぁ彩羽」
「ウブすぎますって、ハリさん」
天峰の頼み――乃月をデートに誘うが、いまいち一人では不安だという天峰の切っての頼み……
「リモート?」
「だって、オレも不安なんだよ」
「んな事言ったって、わいら着いていくなんてできまへんって!」
「そうですよ。ここは勇気を出さないと。僕は応援しますよ」
爽やかな笑顔で言う充。天峰は無口な筈だがこの日はマシンガンみたいにまくし立てる。
「だって、だってさ。オレ女性と話すのは苦手なんだぜ、手先使う仕事ならなんでもこいだけどさ、それに恥ずかしいじゃん、素なんて見られたらオレ耐えられないって、幻滅されたらオレきっと倒れる。倒れるし死ぬぞ。そしたらお前ら手厚く葬ってくれんのか?あ?あ?」
「わかったわかった!そうするよ天峰!」
「じゃあさじゃあさ、皆で着いてきてよ!なんかあったらこそっとアドバイスしてよ!なんならリモートしてよ!」
「あ、そういや適任の人がいる」
そこで白羽の矢が立ったのが、恋愛小説家の綺々先生だ。彼は恋愛小説を書く為に、ネタ収集に一切の妥協がない。要は拘りが強すぎるが故、脱法すれすれの事をやってのけるのだ。
彼が着けているサングラスの蔓の部分には超小型のCCDカメラが搭載。スーツの胸ポケットあたりに着けている小さなバッヂにもピンホールカメラが搭載されている。
そのサングラスは今、鵲が着けている。追跡しているのは鵲だ。そしてバッヂは今天峰の胸に付いている。
「恋愛小説にはありがちのパターンだが、悪くないな」
「ハリさん、精一杯絞ったんすよ。にしても……これ静止画じゃないすよね?」
メリーゴーランドの前のベンチに二人で座って二人は硬直していた。勿論恥ずかしがっている乃月も天峰も目を合わせようとしない。
遂に天峰が口を開いたのは、ベンチに座って3分後。
【乗らない?】
この4文字を吐き出すのは至難の業だったに違いない。天峰に仕掛けたカメラにはただただ息遣いが聞こえる。
【はい】
一方の乃月は顔を朱くして頷いた。
「中学生みたいやな。可愛いわぁ二人とも……」
「なんか腹立たしいな~……?」
「いいじゃないか、これこそまさに恋の醍醐味……」
無言でメリーゴーランドに乗る二人。鵲側のカメラには二人の様子がまざまざ見えるが、天峰側のカメラには前方しか見えない。
暫くすると、乃月はカバンから可愛いランチボックスを取り出した。
「あっ、まさかこれは…!」
【あの、これ、作ったんです】
ランチボックスの中には整然と並べられた卵焼きにミニトマト、さやえんどうのソテー…腹が減ってきそうなラインナップ。同じ大きさにきっちりと並んだ海苔巻きおにぎり。
【これ…オレの為に?】
【はいっ!よ、よかったら……】
【……はぐっ】
綺麗に焼けている卵焼きを一個頬張る天峰。上目遣いに見てくる乃月にピントが合った。
【……美味しい】
【ホントですか!お、おにぎりもありますよ!】
【上手だね。ホントに】
これだけ見ると微笑ましい。しかし鵲のカメラには無表情でただただ弁当をはぐはぐと機械的に口に入れる天峰がかなり不自然に見える。
【あの、アマさん】
「どうした?鵲」
【ボクら、要ります?】
「ちょっと我慢してくれ。何かあれば指示する」
デートは夕方まで続いた。カチカチの天峰に終始緊張しっぱなしの乃月は何とも不自然にしか見えなかったが、流石に夕方になると乃月はやや打ち解けたのか笑顔が覗く。
【今日はありがとうございました】
【あぁ】
【また、デートしてくれますか?】
驚いた。こんなにぎこちなかったのに次を乃月が期待するなんて…俺は微笑ましくなった。
【はっ…はい】
「ハリさんぎこちなさすぎんねん!」
【しっ……仕方ないだろ?】
【ん?どうしたんです針生さん?】
【しかっ……しか……歯科田中に行って……歯石を取らないとって、思い出し……】
乃月はくすっと笑った。
「なんやねん歯科田中って!」
「いいじゃないか、恋愛はやはり素晴らしい……」
「……参考になるんすか?先生」
すると、乃月が空に目を向けた。カメラが少し水滴で濡れ始めた。雨だ。しかもゲリラ。
【うわわっ!退避!】
【いけない!針生さん、うちに!】
【ななっ!なっ!そんな!】
【風邪ひきますから!】
天峰、乃月、そして鵲は乃月のアパートのロビーに飛び込む。天峰はそのまま乃月に部屋に連れて行かれた。
【それは、だめだ、よくない】
【いいから、濡れてるじゃないですか!】
乃月は部屋の鍵を開けて天峰を迎え入れた。鵲はそのまま廊下に待機。小さくくしゃみを放った。
「鵲、すまん。もうちょっと待て」
【へいへい】
「天峰。大丈夫か?」
天峰はカメラに見えるように親指を立てた。部屋に入ると、靴は靴箱にきっちりと入っているのが見えた。定位置管理されているのだろう。脱衣所に入ると、乃月はバスタオルを取りに行く。すぐにバスタオルが天峰に掛けられた。
【上着を脱がなきゃ】
【いい、このままで……】
乃月はすぐにポットにお湯を迷い無く沸かす。サイドボードを開くとカップをがさがさと取り出した。
ティーバッグをカップに入れると、お湯を注ぎ入れ、スプーンの入った引き出しを引っ張った。
【あれ?ええと、あっ、あった!】
【構わないでいいよ】
【だめですよ、甘えてください!】
あっという間に紅茶を作った乃月。迷い無い手際は彼女の几帳面な性格なのか……よく見ると鍋や食器の収納場所には手書きの付箋が貼ってある。
【雨が止むまで、いて構わないですよ】
【悪い】
俺は鵲に告げた。
「鵲。聞こえるか?」
【はい】
「今、あれ使えるか?チラ見」
【なんで?】
俺は彩羽を呼んだ。
「すまないが、傘を貸すから乃月のアパートに行ってくれ」
「どうしたんすか?アマさん」
「天峰が帰るまで、少しあいつを着けていてほしい。鵲じゃあまり…期待できない」
「ちょ、どうしたんですか?アマさんってば」
「俺の考えが間違ってなきゃ……」
あれは……
「乃月はストーキングされてる」
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