第273話 本篇になりそうでならなかった話3 石鹸の話

 ネコのウ⚫チ事件の頃、疫病が発生しそうになって、珍しくサイコ漢方医が活躍? するはずだったけど、葵ちゃんの守備範囲外&また長くなると、没にした記憶のある薄ら怖い話です……(´・ω・`)



「“石鹸せっけん”でございますか? これは一体どのような品でしょうか?」

「以前、姫君が本で見た、目に見える汚れ、見えぬ穢れを落とす薬品だそうな。薬を取り扱う典薬寮てんやくりょうならば、調合するのも得意であろうと、わたしが推薦したのだ」

「畏れ多い話にございます」


「穢らわしい事件は、尚侍ないしのかみに関わりなきこと。それよりも、できるだけ早く完成させて欲しい、そうおっしゃられておる」

「……身命を賭して、取り組ませて頂きます」


 数日後、あっという間にでき上がった四角い“石鹸”と、製造方法に関する分厚い料紙の束が届き、刈安守かりやすのかみの有能さに、葵の君が驚いていると、石鹸を持ってきた彼が、女房に姫君に訪ねて欲しいと、なにか言っているのが、御簾の向こうに見え、女房の伝言ゲームで内容を聞く。


刈安守かりやすのかみは、動物の油では駄目かと、たずねております」


 すっごい研究熱心で超有能!! 葵の君は料紙の束にそう思い、不思議そうに、石鹸を見ている紫苑に、石鹸の乗った盆を預けてから、女房に伝えるように言う。


「大層な酷い匂いがすると、文献に書いていたと、そうおっしゃられておる」

「そうですか……」


 刈安守かりやすのかみは、そう答えてから、かしこまって、御前から下がると、家にあまっている“動物成分の油”を使って石鹸を作る。確かに我慢できぬほどに、酷い匂いであった。


「不思議な姫様でいらっしゃったよ」

「まあ、なんということでしょう!! 兄君がお会いできたなんて!! 石鹸とはなんですか?!」


 石鹸がツルツル滑る上に、落とした拍子に踏んで転んでしまった紫苑の発案で、渡殿に並べてあった石鹸トラップに滑った“ウ●チ”の犯人が見つかった頃、刈安守かりやすのかみの妹君は、兄君が左大臣家の姫君に呼ばれたと聞いて、大いに興奮して、繰り返しその話を聞いていた。


「これが石鹸……」


 妹君は不思議そうに、四角いソレを眺めていたが、ふと兄君にたずねてみる。


「菜種から油を取れるならば、花や果実からも油が取れるのではないでしょうか?」

「………」


 自分の話に、ポカンとした顔をしている兄君に、つるばみの君は恥ずかしくなった。


「お忘れになって下さいませ、無知なわたくしが、兄君に意見など……えっ?!」

「素晴らしい考えだ!」


 刈安守かりやすのかみは、妹君を抱きしめていた。言われるまで、菜種から油が出る不思議について、考えはしていたが、他の植物から油が取れるなど、考えもしなかった。


 壊れた性格ではあるが、とにもかくにも優秀過ぎる研究熱心な男は、さまざまな研究を中務省なかつかさしょうも真っ青な、不眠不休の体制で押し進め、菜種の石鹸はもとより、夏が訪れる頃には、花や果実から取れる、それは薫りのよい“香油”を作り出すことに成功し、その香油や花弁を少し混ぜて作った石鹸は、帝を始め後宮の尚侍ないしのかみと、后妃たちに献上され、手の汚れが落ちる上に、よい薫りがすると、非常に珍重された。


 薬よりも祈祷が重要視される時代、いつも少ない予算に四苦八苦している典薬寮の官吏たちは、押し寄せる発注と、それに伴って増加された予算に沸き、改めて刈安守かりやすのかみの実力を尊敬しながら、せっせと石鹸や花や果実の精油を作っていた。


「妹君の発案、と申しております」

「妹君の?」


 刈安守かりやすのかみから漢方を受け取る時に、例の薫り高い石鹸を、個人的に求めた公卿のひとりは、盆に乗った花弁はなびらの入った白く四角い石鹸を見ながら、いたく感心していた。


 石鹸で体を洗っていたのは、はじめは尚侍ないしのかみだけであったが、帝が、そのゆかしい薫りの使い方を、大いに褒められたので、昨今の後宮では、尚侍ないしのかみにならって、例の風呂殿に入り、石鹸で体を洗って体臭を消し、ほんの少しだけ薫りを纏って漂わせるのが、新しい雅やかさとされだし、それは瞬く間に、貴族社会に広がり、やがて主流となっていったので、貴族はこぞって大小の差はあれど、新式の風呂殿をやかたに設置していった。


 やがてそれは徐々に世界に広がってゆき、庶民相手の風呂屋も登場し、絵空事の平安時代の公衆衛生は、実際の歴史よりも、格段に前進したのであった。


「本当にすぐに手が奇麗になる」


 自分のでを開いていた刈安守かりやすのかみは、真っ赤な手を石鹸で洗っていた。



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