第256話 入れ替わる光と影 11

「光源氏の品田ほんでんの権利を買ったのって、ひょっとして?」

「あ、もちろんわたしです。ウチ、不動産は結構あるんですけれど、品田ほんでんが少なかったので、助かりました。最近は景気の加減で、どの作物もぐっと相場が上がりまして、でも、北の方や三条の大宮に、粗末な物は出せませんし。それに宇治で出家された左大臣への仕送り、ウチの御主人様がしているんですよ?! 関白のお怒りが解けぬからと、こっそり……」

「次からわたしが出します……」


 葵の上は、そう言いながら、用事をさっさと済ませると、左大臣への仕送りの件が片づいたのが、よほど嬉しかったのか、ご機嫌で姿を消した猩緋しょうひのうしろ姿を、御簾越しに見つめながら思う。


『絶対、底値で買い叩いたよね……それに、遠回しにイヤミまで……猩緋しょうひにとって、きっとわたしは、御主人様のつけ合わせのかなにかだ!! しかも金のなる!!(つけ合わせ) 間違いない!!』


 なお、追加の情報によると、光源氏は金が尽きても、時代の空気が変わっても、そこは目が潰れるような美しさと、歌の才能を武器に、あちらこちらの姫君や人妻に歌を詠み、愛を語って手に入れては、彼女たちの援助を支えに暮らしているが、やはりもの足らず、母君を想いながら、涙にくれているらしい。


『主人公だからかな? 時代の流れが変わってきてるのに、行動が相変わらずやね』


 そう思いながら、その日はリハビリも早めに終えて、ゆっくりと過ごして眠っていると、翌日の明け方近く左府さふが帰って着たので、父君のことをたずねてみる。


「あの、どうしたら父君に会えるでしょうか?」


 大内裏から帰宅して、目が覚めた葵の上に、そうたずねられた左府さふは、少し困った顔をしていたが、「それはお元気になってから考えましょう。先に、お手紙を出されてはどうですか? きっとお喜びになりましょうから」そう答えるしかなかった。


 答えを聞いた葵の上は、それもそうだと納得していたが、実のところ元の左大臣は、出家してからというもの、心労がたたったのであろう。もう、口から声を発するのもおぼつかず、この世とは最早細い糸で、つながっている状態であった。


 先日、左府さふ頭中将とのちゅうじょうが宇治を訪れ、葵の上が目覚めたと報告をすると、やっと心の重荷が降りた様子で、少し体調を持ち直されたと聞き、二人は安堵したものである。


 それに元の左大臣からは、俗世や摂関家を離れた身であるが、大宮や子供たちに迷惑はかけたくはないと、父君である関白の許しを得て、密かに女人禁制の高野山にある摂関家が建てた寺に向けて、弱っている体を押して出発しようとすら思っていたので、それを書き記した手紙を託されていた。


『なにもできぬ身であったが、わたしのことで摂関家や国家の慶事には、影を落としたくない』


「そうか……」


 手紙を受け取った関白は、ひとことそう言って、しばらく黙って脇息にもたれていた。


 しかし、せめて三条の大宮には、話を通さねばならぬと、左府さふに話を持ち帰らせ、大宮にお伝えしたところ、返事は意外なものであった。


「様々なことがあり、あの方は出家をなさいましたが、あの方とわたくしは、子まで成した深い宿縁。それに高野山は女人禁制です。これから先、わたくしや葵の上が、宇治ならばたずねる機会もございましょう。お心強く、この先も宇治でどうぞお暮らし下さいますように、そうお伝えください」


 大宮は、葵の上が目覚めてから、元の左大臣への怒りが、ようやく収まり、ご自分の兄であった桐壷帝が、彼を追い詰めたことを想像する余裕ができていた。


 最近では、なにひとつ自分にはいい訳をせずに、出家された元の左大臣に、夫婦であった時よりも、深い縁のつながりを感じ、兄の狂気に巻き込まれた彼に同情していたのである。


 彼女は元の左大臣が、精進潔斎で体調を崩していると聞き、葵の上に相談をする。


 葵の上は、必死に豆腐をメインにした体によい精進料理のさまざまな献立を考えると、お祖父君に「もう父君への罰は十分でございましょう」そう申し出て、振り上げたこぶしの降ろし先を考えていた彼は、宇治は葵の上に差し上げたやかたであるから、自由にすればよいと言い、彼女はその言質を取ると、奉公人の数を増やし、宇治のやかたをより快適に過ごせるように改装させた。


 大宮と葵の上のお言葉や気遣いに、元の左大臣は涙する。二人のおかげで気力が出たのか、彼は元気とまではゆかぬが、起き上がれるほどには回復し、のちに葵の上は出仕を控えた頃、密かに母君と兄君と一緒に、宇治の山荘を訪れ、元の左大臣は唯ひとつの願いであった、大宮との再会をようやく果たす。


 三条の大宮が内裏に、葵の君と共に出仕され、二条院に連れ去られた日を過ぎて、実に十年近い日が流れていた。


 この先のお二人は、夫婦という縁はなくなったが、『頭中将とのちゅうじょうと葵の上の親である』そのつながりを大切にされ、二人は夫婦でなくなってからも、つき合いをなくさず、穏やかにお暮らしであった。



 なお、二条院は国が接収したものの、あまりの縁起の悪さにどうしたものかと、公卿たちも取り扱いを悩んでいたが、それも猩緋しょうひが間を挟んで、競争相手がない中で、安く手に入れると、とあるやかたに住んでいた、真白の陰陽師たちを追い出して、花音かのんちゃんごと、二条院に引っ越しさせていた。(とあるやかたとは、もちろん夕顔が住むことになったやかたである。)


「家賃半分でいい。なにか出ても貴方あなたたちなら、どうにでもできるでしょう?」

「まあ、それはそうですけど、少し縁起が悪すぎるような気がします」


“伍”はそう言ったが、花音かのんちゃんのせいで『ひん』に敏感になっていた彼らは、話し合いの末、次の日の朝には引っ越しを決めて、式神に少ない荷物を運ばせて、二条院に移っていた。


 閑話休題

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