第227話 祓い 8

〈 右大臣のやかた 〉


 右大臣は、ついに悲願であった『帝』となった、尊き朱雀の君を、涙しながら拝んでいたが、押し寄せる嬉しさのあまり、やがて気を失って、丁度、蔵人頭に街中の報告にきた左衛門権佐さえもんふさの一行に、奥の自分の几帳台のある部屋に運ばれた。


「……なんと、桐壺帝が!」

「先程、朱雀帝の御代になりまして……」

「驚いたなあ……あ、そういえば、先程、皇后宮職こうごうぐうしきの別当が、フラフラと街中を……」

「うちも蔵人所が全焼して大変ですが、皇后宮職こうごうぐうしきの別当、おかしくなってなきゃいいですねえ……」

「あれは駄目かもしれない……」

「困りましたねえ……」


 友人でもあるふたりは、武官たちに指示を出したあと、奥まった曹司で、白湯を手にノンビリ情報交換をしていた。大変な出来事であったが、そこまで高い地位の政治に関係のない彼らには、どうでもよい話だった。


 一方、関白に『波羅夷はらい状』と一緒に、あとを託されていた中務卿なかつかさきょうは、周囲の公卿たちに期待を持って、あるいは戦々恐々といった様子で、一挙手一投足を見守られていた。尚侍を横にある几帳のうしろに座したのを確かめてから、低く重々しい声を発する。


「本来であれば左大臣が、関白の代行を務める予定ではございましたが、この度の大火での心労で、左大臣は政界の引退を届けられ、ご療養に入られましたゆえ、若輩ではございますが、関白からの信任状を持って、今回の騒ぎの一連の取りまとめをさせて頂きます」

「なんと……関白が中務卿なかつかさきょうをご指名……」


 二官八省の上に属する太政官には、八省の長である彼よりも重いくらい公卿くぎょうもいるが、信任状かあれが身分的に問題はない。彼は正三位の大公卿であり、左大臣に就ける資格すら持つ一代源氏の元皇子。


 その上、未だ太政官の指揮下にある八省の人間とはいえ、政の実質的なかなめである中務省なかつかさしょうを完全に掌握し、なによりも摂関家ただひとりの嫡流の姫君である『尚侍ないしのかみ』を正妻に迎えている。


 左大臣が政界から身を引いた以上、右大臣が帝の外戚となった以上、関白は今年の秋の除目には、両家のバランス上、かねてからのうわさ通り、必ずや彼を左大臣に押すだろう。


 新しい帝は、ことのほか尚侍ないしのかみの政務に関する意見を大切になさり、武芸のご趣味を通して中務卿なかつかさきょう頭中将とうのちゅうじょうとも親しくなさっている。否定なさることはあるまい。彼の左大臣就任は決まったと、周囲に周知させる差配であった。


「新しい帝は武芸がご趣味、この先は和歌や音曲の博士は、暇になりそうですな……」

中務卿なかつかさきょうまつりごとの手腕は、大いに期待できますが、何分にも血筋による手加減が期待できませぬ。これからは中務省なかつかさしょうに限らず、血筋よりも実力に重きが置かれる時代になりましょう。婿選びはいままで以上に慎重に運ばねばなりませんな」

「いやはや関白もまだまだ寿命が長そうですし、前途多……いや、いまのは忘れて下さい!」

「関白のご健勝は、国にとって、なによりでごさいますよ!」

「そうそう! そうそう!」


 などといった、先の時代を想像している公卿たちのざわめきが、一旦落ち着くのを待って、中務卿なかつかさきょうがまず『波羅夷はらい状』を持ち出そうと、控えていた官吏に目配せをしたその時である。


 煤竹法師すすたけほうしが、その黒い読経によって、右大臣家の庭先に、愛宕郡おたぎごうりの葬場で、訪れた夜に紛れて死した魂や体をあさろうとしていた、百鬼ひゃっきと呼び称される鬼や妖怪の群れを、『百鬼夜行ひゃっきやこう』を、やかたの庭に呼び込んだのは。


 法師に操られている彼らは、尚侍ないしのかみのいる寝殿の方角へ、次々と向かおうとする。


「ひーえ――!」


 煤竹法師すすたけほうし百鬼ひゃっきを呼び出すと同時に、“六”は、小さな桜姫が驚いた声を出しながら、ころもに必死でしがみついているのを、気にも留めずに宙に舞い上がり、素早く“呪”を唱えて彼と妖怪の群れを囲い込むように、光で庭に方陣を描いて広大な庭の中に閉じ込める。


 それは成功を収めていたが、その代償とでもいうように、彼の真っ白な両の手からは、赤い血がしたたり落ちていた。


「ゾンビが出た!」

「ゾンビ? なんだソレは?」

「えっと……こっちの話! お、鬼が出た! 早くケガを手当した方が、いいんじゃない?」


 花音かのんちゃんはそう言いながら、「早く治れ~~」そんな風に唱えてみたが、それは無理だった。


「役立たずだな……」

「アンタこそ! わたしはね、アンタと違って、こぶしで勝負できるから! アイツが悪者ね!」


『早く元の大きさに戻れ!』


 今度はそう念じた花音かのんは、やはり長い袴につまずいて一瞬転びそうになり、うっとおしいとばかりに、羽織っていたかさねと一緒に脱ぎ捨てて単衣一枚になる。下は徹夜して縫った絹の道着風のズボン。


 葵の上と違い、花音かのんは、かなり手先の器用な方だった。


『備えあればうれいなし!』


「成敗!」


 彼女はそう言って、周囲の驚きも気にせずに、自信に満ちた顔で、空高く舞い上がった


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る