第210話 現代奇譚/クロスオーバーする青春/7
葵は心配になって、チラリと部長さんの方を見た。彼はなんとも言えない表情をしていて、葵はつい、いたたまれなくなって、彼の頬にそっと手を伸ばすと、彼はその手に大きな手を重ねて、そのまま薄く笑い、襖を勢いよく開けた。
「な、なんや不躾な! 案内もなしに、いきなり入ってくるやなんて!」
「……不躾は貴方の方だと思いますが? 妻だった人に散々迷惑をかけた挙句、次は実の息子まで、自分が遊ぶための道具ですか?」
襖の向こうにいたのは、動揺を隠しきれない紋付き羽織袴姿の、どことなく
部長さんの父親は、恥という言葉を知らないのか、自分のことは棚に上げて、部長さんに説教し始めたので、葵はコンプライアンスも忘れて、一発、二発、殴ってやろうかと思ったが、彼は葵の手をぎゅっと握ると、冷静な声で自分の父親に声をかけていた。
「……最後のご挨拶にきました」
怒りの余り、涙ぐんでいる葵の目元を、そっと取り出したハンカチで優しく拭ってから肩を抱いて、彼は父親だった人に言葉を続ける。
「今日は僕の選んだ、僕を選んでくれた、誰よりも大切な人を紹介しようと思いましたが、
「…………」
「それでは」
彼はそう言って二人をあとにすると、わたしを連れて喫茶室の外に出て、ホテルのエントランスを通り抜けようとしていた。すると目の前にはさっきの老けた
周囲には人だかり。きっと今日のレセプションにきたゲストたちだろう。
「綺麗でしょう? 才能だけはある人なのだけどね、弟の光もね……」
「…………」
寂しそうにソレをながめながら、そう言う部長さんに葵は言った。
「……わたしは詳しいことはなんにも分からへんし、綺麗やし素晴らしいとは思うけど、これは綺麗なだけで中身のない“しょーもない作品”です」
「…………」
周囲の目も
朱雀はそっと葵の頭を撫ぜてから、手を引いて駐車場に向かった。
「思ったより時間が早いし、どこか行きたいところはある?」
「行きたい場所ですか? う――ん」
そう聞かれたものの、なにせ『超豪華な大振袖』を汚すことが心配だった葵は、夕方でもあることがし、少し手前に見えたお寺に寄ってもらうことにした。信仰心はないけれど、おみくじ大好きっ子なんである。
「了解です!」
そう言った副部長さんは、慣れた様子で車を出してくれた。
『石山寺』
車を降りてそう書かれたお寺の門をくぐると、『源氏物語の誕生の地』そう書かれ、敷地の中? には、紫式部の石像が置いてあった。
『げっ! 小さいころの嫌なこと(自分の名前の由来)を思い出した。あの
なにかが頭の中でチカチカして、なぜか暑いくらいの気候なのに、酷く寒気がする。
「やっぱり帰りましょう。そうだ鴨川! せっかくきたことですし、ここは定番、カップルが等間隔で座る鴨川!」
「……そうだね」
鴨川につくと、部長さんはさっと自分のジャケットを抜いて、葵の座る下に敷いてくれて、それに感動した葵は、恐縮しながらも振袖が! と思い、そこに座って、やっぱり等間隔なんだと、鴨川沿いに座っているカップルに感心しながら口を開く。(あとで聞いたら、副部長さんも、やっぱり車内で待機しながら、数えていたらしい。)
「生意気なことを言いますけど、部長さんは、お父さんに育てられなくて、よかったと思います」
「え……?」
「わたしは違う部活の部員ですけど、部長さんが学校の仕事も勉強も、人の何倍も忙しいのに、厳しい部活も率いて、でも、凄くみんなのことを思って、それに人より自分に一番厳しく毎日頑張っていらっしゃるのは聞いてます」
「…………」
「あのおじさんに育てられたら、部長さんまで、さっきのお花と同じ、綺麗なだけのしょうもない男になるところでした! 危ないところで助かりましたね! 危ない危ない! お母さんに感謝ですよ!」
「……そうだね」
葵はそう言ってから、なんだか居心地が悪くて、鴨川をながめていると、しばらくしてから、クスッと笑った部長さんになにかを言われたけれど、聞こえなかったので聞き直す。
「本当に、僕と結婚を前提で、つき合ってくれないかな?」
「……え?」
そう言われて葵は絶句した。
こんな、いいところだらけで、強くて優しい人がどうして、わたし……まだ、全国大会も優勝したことないから釣り合いが……。
葵は混乱のあまり、かなり
「あの、さっきのショックで、自暴自棄になっていませんか? 大丈夫ですか?」
「違う、それだけは違うから」
暗い空にクッキリと月が見えた。どこからか聞こえる笛の音、それはこの世の音、
「さっき……気がついたんだ。きっと僕は君に千年前に出会っても、千年後に出会っても……そして、いまも、いまこれから先、君しか愛せないことに、気がついたんだ」
「…………」
それからわたしは、
そのあとは、
翌朝、新札でもらった三日分の日当を、リュックの底に入れて電車で帰ろうと、
「お、おはようございます!」
「おはよう。乗って、家まで送るから」
「……あ、ありがとうございます」
車の助手席に乗ってから、ふと振り返ると、ぐっと拳を握り締めた
「えっと、その昨日のお話なんですけれど……」
「うん、それね……返事は急がなくていいから」
無言のまま助手席に座っているのが気まずくなって、途中のパーキングに停まった拍子に、思い切って口を開いてみると、彼はそう言いながらはにかんだ顔で、キラキラ光るティアラみたいなデザインの華やかな指輪と、それと少し細くて大人しい感じの、だけどやっぱり小さな宝石がキラキラと何粒も輝いている指輪、つまりエンゲージリングとマリッジリングのセットを、わたしにプレゼントしてくれた。
「体験入部的な感じで……いつでも返してくれて構わない……」
「はあ……」
自分の古い家の前まで送ってもらって、こそっと荷物の中から取り出した指輪の箱を、へたったマットレスの敷いてある自分のベッドの上で、そおっと開けて、頬を軽く叩いてみた。
「……これは夢じゃない」
葵は顔を枕に押しつけて、足をバタバタさせていた。
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