第208話 現代奇譚/クロスオーバーする青春/5

〈 春宮はるのみや部長の理事室 〉


「あら、今年もこんな招待状がきているのね」


 当然の顔をして、幼馴染の朱雀君の理事室に出入りしている弘子ひろこさんは、取り寄せた大好きな和紅茶を淹れ、丹波栗のタルトを添えると、朱雀君と向かい合わせにソファに腰を掛け、テーブルの端に置いてあった、開封済の綺麗な和紙で印刷された紙に、つまらなさそうに目を通しながらそう言った。


 例の京男と朱雀君の父親が、季節の度に開催している華道展と、前日に行われるホテルでのレセプションの招待状。


「もういいかげん無視したらどう? こんな、なんにも父親らしいこともしたことがない男……」

「……それでも父親にはかわりないから。根は悪い人じゃないし、この間は僕もこの人も言い過ぎたこともあったから、水に流したいんだろう」

「あんたは、ええ子やね……」

「……そうでもないさ」


 弘子ひろこさんは、そう言いながら、どうでもいいそれを、ため息と共にテープルの隅に置くと、早速、今日の本題に入る。どうやら幼馴染の朱雀君は、わたくしの息子(前世)は、やっと初恋の人を見つけたらしいのだ!(興奮しすぎて眠れなかった!)


「あの、相談を受けた女子大生が喜ぶプレゼントやけど、やっぱり女の子は新しい着物とか、帯とか、かんざしとかがええかなって! いくらあっても欲しい物やし、一緒に見に行ったらデートにもなるし、それから帰りにうちの店で食事でも……」

「……それは貴女あなたが欲しい物だし、貴女の店は学生同士が行くには敷居が高過ぎて、いきなりは彼女の負担でしょうが。僕が知りたいのは普通の女子大生が喜ぶものです……」

「……それならどこかデートにでも、あ、水族館でも誘ったらどう? 相手が誰か知らへんけど外れはないと思うわ、思い切って誘ったら?  ああ、そういえば、海遊館やったら横に大きな観覧車があって……わたし、彼ができたら水族館でデートして、それからきっと観覧車に乗って、肩を寄せ合って遠くをながめるって決めているの!」

「そう……」


 やっぱり最後は自分の夢を語り出した弘子ひろこさんに、相談した自分が馬鹿だったと朱雀君は思った。そうでなくてもこの人は浮世離れしている。


 なお、弘子ひろこさんは、もちろん弘徽殿女御こきでんのにょうごの生まれ変わりであった上に、前世の記憶すらもあったので、「いい時代に生まれ変わったわね……」そう思って幼い頃から密かに『今度こそ自分の人生を思うように生きよう』そう決意すると、相変わらずの性格で、元気いっぱいに努力を重ねて生きていた。


 そんな訳で前世の記憶のない朱雀の君こと、春宮朱雀はるのみやすざくが、自分の息子だったことにも当然気がついていたので、今生でも実の母の気持ちで、影に日なたに見守っていた。(見守り過ぎて、数年前なんてトラックにはねられて、異世界転生するところだった!)


 そんな弘子ひろこさんは、そのあと粘りに粘って、朱雀君に気になるお相手が、自分が知っている一回生の『東山ひがしやまさん』だと言う情報を引き出すと、「あら、てっきり神道しんどうさんかと思っていたわ」そう言いながら、ようやく気が済んだのか帰って行った。


 朱雀はほっとして、残りの仕事を片づけていると、すっかり遅くなったので、奥の仮眠室で眠ってから翌朝忘れ物を取りに部室に寄って、自分のデスクの椅子になんとなく腰かけ、ふと、昨日聞いた『天保山の観覧車』と、ノーパソで検索してサイトを見ていると、丁度、なにも知らずにやってきた副部長が、勝手にうしろからのぞきこんで大声で言った。


「それ、僕も知ってます! 乗ったカップルが絶対に別れるっちゅー“いわくつき”の観覧車ですわ!」

「そう……」


 朱雀がこめかみを押さえながら、今度、神道しんどう君にでも、さりげなく東山ひがしやまさんのことを聞いてみようと思っていると、いきなりスマホが鳴った。画面には『弘子ひろこ』の文字。


 ため息をついてしまったが、無視する訳にもいかないので出てみると、弘子ひろこさんの珍しくも焦って上ずった声。


東山ひがしやまさんって、東山ひがしやまさんって、東山葵ひがしやまあおいさんって言うの?!」

「……そうだけど?」


 元、弘徽殿女御こきでんのにょうごは、彼女が『葵の上』だと、彼女が前世の朱雀君の、初恋で最愛で、手に入らなかった忘れえぬ人だったと、今更ながら気がついたのである。


『あまりに地味で質素過ぎて気づかなかった!』


 でも、気がついてみれば、彼女の瞳は、『葵の上』と同じ、まっすぐで誰もが引き込まれるような、素直で強い光に満ちていたし、透き通るような声も同じであることを思い出す。


「……任せて! そのデートのセッティング!」

「え……?」

「今度こそ頑張るのよ!」

「え? 今度こそって……なに? ちょっと、ちょっと待っ……!」


 嫌な予感と疑問しかしない朱雀君を置き去りに、彼がなにかを言おうとする前に通話を一方的に切った弘子ひろこさんは、通話を切るなり神道しんどうさんに素早く連絡を入れて、「東山ひがしやまさんに是非頼みたい日払いのバイトがあるから、すぐにわたしの連絡先を彼女に伝えてほしい!!」と、スマホでサッサと素早く入力すると連絡をとっていた。


「日当8万円?! 食事、交通費支給?! 宿泊無料?! それ詐欺じゃないの?!」

弘子ひろこさんのお店のバイトだから大丈夫じゃない? 直接連絡あったし。内容は早朝の野菜運びとか、深夜の床掃除とか? 詳しくは分かんないけど、急いですぐにきてくれる人を探していて、葵のこと思い出したんだって。夜は先輩の部屋に寝泊まりさせてくれるらしいよ。期間は三日。バイト代からすると、多分、内容的にはかなりキツイとは思うけど、どうする?」

「絶対行く! 行きますって、すぐ伝えておいて! わたしの連絡先も!」


 授業もちゃんときっちり出席しているから、三日位大丈夫だし、丁度、大会も終わって、休みは比較的取りやすいし、行こうと思っていた引っ越し屋さんのバイトより余程割もいい。


 キツイと言ったって救急車で運ばれた地獄の夏合宿に比べれば、大丈夫だろう! 葵は教えてもらった弘子ひろこさんのお店の住所をスマホで確認すると、その日の荷物は花音かのんちゃんに頼んで、ワンルームマンションに預け、電車を乗りに乗り継いで、最後に阪急電車に揺られて、お店にたどり着いた。


「こういう時は裏口から入るのがいいよね……」


 渋い顔の監督に、人生と生活がかかっていると拝み倒して、三日の休みをもらった葵は、あの時の、そっと弘子ひろこ先輩のお店の裏口から中をのぞき込んでいた。


「あの――東山と言いますが、弘子ひろこさんはご在宅でしょうか?」

「ああ、若女将わかおかみのお友達の! 話は聞いてます。そんな裏口からのぞかんとどうぞ表に! もう、今日は学校から飛んで帰ってきたと思ったら、ずっとお待ちかねですわ!」


 ひょっとして、引っ越し屋さんよりキツイバイトなのかな? 蔵の中身でも動かすのかな? めっちゃ歴史ありそうだし。


 そう思いながら料亭の隣にある、まさに『京都の由緒正しいお屋敷』に案内されて、奥に長い通路を歩いて行くと、ごく奥まった綺麗な坪庭のある部屋のふすまの前で、ふいに仲居さんがすっと座り、中に遠慮がちに声をかける。


「お嬢さん、お友達がお越しです」


 母屋にいる時は、みんなは若女将わかおかみの弘子さんを、『お嬢さん』と呼んでいるらしい。


『似合う!』


 葵は思った。


「ああ、忙しい時間にありがとう。はよ(早く)中に入ってもらって」


 なんだか場違いなところにきてしまったような……葵がそんなことを思っていると、中から鈴のように綺麗な弘子ひろこさんの声がして、開けられたふすまの横で仲居さんがお辞儀をし、葵は目の前に広がっている光景に絶句した。


 ここで成人式の着物屋さんの展示会でもあるんだろうか?


 何枚もの綺麗な振袖が衣桁いこう(※着物屋さんによくある着物を飾って置くための豪華な道具立て)に飾ってある。広い部屋には上品な着物姿の弘子ひろこさんと、何人かの女の人。その中のひとりは弘子ひろこさんによく似た上品なおばあさん。なんだか頭の上から下まで見ていないようで、思いっきり観察されているのを感じた。


『よく分かんないけど、帰った方がいいような気がする……』


 葵がそう思い、あとずさりしようとしたその時、タイミングを計ったように、背後のふすまが音もなく閉まった。


「可愛いらしいお嬢さんやないの。まるで市松さん、お人形さんみたいやわ」


 おばあさんは言った。


「…………」


『ウソつけ……』


 カッコいいとかイケメンとかは、何度も言われたことはあるけど、『お人形さん』なんて生まれて初めて言われた葵は、これは京都人のイヤミ? などと卑屈にそう思い、ひょっとしたら高い着物をローンで買わされたり……なんて考えて、ついつい疑り深い目つきで、上品なおばあさんを見ていたが、弘子ひろこさんは、わたしが貧乏なことを知っているのを思い出した。


 もし着物を売りつけるなら間違いなく『令和の相場師』花音かのんちゃんを選ぶだろう。きっと飾ってある着物や他の沢山積まれている帯の山は、弘子ひろこさんが、なにか用事があって、選んでいるんだろうと納得した。


 だって、京都で一番のお嬢様のあかし? 歴代の斎王代さいおうだいでも、「この斎王代さいおうだいの前に斎王代さいおうだいなし! この斎王代さいおうだいのあとにも斎王代さいおうだいなし! なんて、感極まったYouTubeの『京都大好き英国紳士』チャンネルの“ジェレミー男爵”(現在、我が大学に留学中、『美膳料理研究会』在席。)に謎の大絶賛をされていたもの!


 その証拠に弘子ひろこさんは、葵に向かって、「遠かったでしょ? 先にお茶しましょか、細かい説明もしていなかったし、本当にありがとう」そう言って、坪庭に面している縁側に行くと、お茶と綺麗なうつわに入った果物を出してくれた。


 はじめて見た葵は知らなかったが、これは“幻の洋梨”そう呼ばれる特別なル・レクチェで、まだ時期には早いのに、特別に板長に用意してもらった最高級品だった。


「わぁ……」

「果物が好きやって聞いたから」

「そうなんです! ありがとうございます!」


 おいしいけれど、これなんて言う果物なんだろう? 西洋梨っぽいから栄養的にはそんな感じなのかな? 見たこともない洋梨が輝いてる。お茶は玉露だよね。


 そんなことを考えながら、ニコニコと果物を食べている『葵の上』の甘い考えをよそに、その姿をさりげなく観察していた弘子ひろこさんは、『今度こそ朱雀の君の初恋を実らせなければ!!』そんな母としての使命感に燃えていたし、例の朱雀君に怒鳴っていた父親の電話事件を耳に入れて以来、今生でのあのどうしようもない朱雀の父親と、例の京男、光る君に正義の鉄槌を下す算段に燃えていた。


『今生では無視を決め込んでいたけれど、あのバカ、千年以上たってもバカのまんま!!』


「あの、弘子ひろこさん……扇子が折れそうですよ?」

「え? あら? あらあら、仕事のことをちょっと考え込んでしまって……わたしもル・レクチェをいただきます……」

「これは、ル・レクチェ……」


 あとからそっと差し出された綺麗な便せんには、品種の下に、100g中のカロリー、FCバランス、成分値が記載されている。


「これは?」

「もう知ってはるかも分からへんけど、東山さん、そういうの調べるのが大好きやって、神道さんに聞いたから」

「あ、ありがとうございます!!」


 葵は、弘子ひろこさんのまるで天女のようなほほえみに見とれながら、幸せな気持ちで、ル・レクチェを食べていたが、弘徽殿女御こきでんのにょうごは、やっぱり弘徽殿女御こきでんのにょうごのままだったし、そして、彼女を止められる右大臣は、現世には存在しなかったのである。


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