第188話 幕間の復讐あるいは出会い 4
葵の上は、大きなかけ声と共に、手にしていた
別当は反射的に、両腕を顔の前に交差させて棒を避けた。その拍子にがら空きになった彼の
「
「痛い! いたっ! 降参! 降参! え……狐?!」
「この狐め! 今更、しっぽを隠しても無駄だ!」
「狐じゃない! 狐じゃな……痛い!!」
この時代の貴族の女君にしては、あり得ないほど短く、見たことのない、奇妙な『いでたち』(道着に袴)にポニーテールで、夕顔が去ったあと、再び東の対を不思議そうな顔で、のぞいていた葵の上は、
そして検非違使の別当は、朝、目を覚ましてすぐのぼんやりした頭で、几帳越しにうっすらと透けて見えた“葵の上の姿”を、“しっぽの見えた変化した狐”だと思い込んだのであった。
「なんですか、こんな朝早くから……もう二日もほとんど寝ていないのに……朝早くから騒がし……え?」
大騒動の中、自分の上に倒れてきた几帳にも気づかず、ぐっすり眠り込んでいた『
一旦、瞼を閉じて、「これは夢だ……」そんな風に自分に言い聞かせ、眉間に手を当てたまま、深呼吸をする。しかし、常日頃、内裏でよく耳にしている透きとおる美しい声が、自分に助けを求めているのが聞こえて、観念して目を開けた。
「別当、助けて下さい……」
「
「え……?」
蔵人所の別当は、自分と
それから
「一体、その髪はどうなさいました?!」
「え? ああ、あの大火で焦げてしまって、短くするしかなくなったんです」
「なんと……」
『蔵人所の別当の名前、
葵の上は、そんなことを考えながら、髪が燃えそうになったことや、ここが部屋になっていて驚いたことを手短に説明していたが、『髪は女の命』それが比喩でなく、ほとんど現実の時代であり、立場上、葵の上のお顔や姿を、直接に見知っていた彼は、あの夜の滝のように長く美しかった髪が……そんな風に絶句して、思わず涙がこぼれた。
しかし、いつまでもこうしている訳にもいかない。驚きの余り、
常日頃から、公務で顔を合わす自分だけであれば、職務上の要件があったと、なんとか言い訳もできようが、検非違使の別当に顔を見られたなど、論外の出来事であり、大きすぎる不名誉である。
「
「え、でも、そこまで気になさらなくても……」
そう言う
「
「はあ……」
『検非違使の別当の名前は、
でも正直に言って、わたし的には顔を見られるとか、見られないとか、もうホントにどうでもいいし、なんなら母君を探すために、検非違使の別当には、顔合わせをして、母君はこの顔によく似た顔だと、教えたいくらいなんだけど。
それにしても、蔵人所の別当が武芸を修めてるって、本当だったんだ! びっくり!!
葵の上は、『人を顔で判断してはいけない』彼の
するとなにやら、言い争いが向こうから聞こえた。
「なんの騒ぎ?」
出どころは母屋の端にある家人の
「葵の上!」
突然顔を出した自分に驚いた様子の三人は、さすがにピタリと口を閉じて、
「あの、その、葵の上のお世話をする女房の数が少なすぎると、ここに言いにきていたのですけれど……」
そう言いながら、モジモジしている紫苑は、どこか居心地が悪そうだった。それもそのはず、なによりも自分が優先してしかるべき葵の上のお世話もせずに、その上、こんなところまで探しにこさせてしまっているのだ。
「こんなところで命婦殿は、北の方のお世話を放り出して、なにをしているのでしょうねぇ?」
「…………」
そそくさと、葵の上のあとについて、北の対に帰った紫苑たちを見送った彼は、「なにをやっているんだか……」そう呟いてから、それでも先ほどの第二皇子の使いの騒動を聞いて、警備にあたっている随身の筆頭を呼ぶと、今後、誰であれ自分か
そして、紫苑たちに手伝ってもらいながら、朝の身支度を整えていた葵の上は、そう言えば兄君は、どうしたんだろうと思う。
「兄君はまだ眠っていらっしゃるの? さきほど、夕顔に
「え? 聞いていませんけれど」
「はい、夕顔とは会っていません」
『え? 嫌な予感しかしない……』
葵の上は、二人の答えにそう思い、あせりながら、北の対に急遽作られた『兄君の部屋』に目をやる。するとちょうど兄君が姿を現した。若き日の関白に瓜ふたつな“京中の姫君のアイドル”そんな兄君の顔に耐性のない
『ますます嫌な予感しかしない……』
「兄君おはようございます。朝のお支度の手伝いが遅れて、申し訳ございません」
「ああ、おはよう。昨日は迷惑をかけたね。身支度なら先ほど可愛らしい女房殿が……夕顔だったかな? 彼女が手伝ってくれたから大丈夫だったよ」
「……まあ、そうですか」
『うそ――! 二人が出会わないように、わざわざ、夕顔には休みをあげたのに!』
頼むから、運命の女神Part2だけは! 質量保存の法則だけは!
そんな風に頭を痛めていた葵の上は、自分の手首にくっきりと浮かびはじめた、先ほど検非違使の別当に強く握られてついた青あざには気がつかなかった。
*
『たぶん本編に関係のない小話/別当』
葵「別当はいらっしゃいますか?!」
検・蔵・皇「「「なにかご用でしょうか?!」」」
検非違使の別当と、蔵人所の別当と、
葵「………」うわ、めんどくさいことにと思ってる。
・検非違使の別当→
・蔵人所の別当→
・皇后宮職の別当→?
本当の平安時代と同じく、同じ苗字が多いので、みんな、役職で呼んでいるけど、別当にいたっては、地位が一緒なので、集まられると、すごくややこしい(めんどくさい)のでした。
葵「苗字どころか、地位まで被ってる……」
紫苑「みなさま、ほぼほぼ、ご親戚ですからねえ」
まるでなにかのトーナメント表のような家系図を横から覗いているのでした。
葵「………」
いちいち面倒なので、あだ名で呼ぶわけにはいかないのかな? とか思っているのでした。
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