第140話 追走曲 7

「あっ、あれは痛いっ!!」


 中務卿なかつかさきょうが“六”が作り出した空間の中で、兵部卿宮ひょうぶきょうのみやをスタボロにするのを、式神を使ってのぞいていた“弐”は思わず声を出し、人影のなくなった朱雀大路すざくおおじの片隅で“兵部卿宮ひょうぶきょうのみや”そっくりの式神を作るのに必死だった“伍”に、とがった声で注意されていた。


「ちょっと、煩くしないで下さい! 集中しているんですから!」

「先輩が雨に濡れないように、わざわざ傘を差して上げているのに……」

「もう雨は上がりました! それになんで二人を止めなかったんですか?」

「お前はできることと、できないことの区別もつかないの? 本気の“六”を誰が止められるの? “無能親王”の命と自分の命のどっちが大事? もういい大人なのに、それくらいも分からないの?」

「………」


 大雨が降る直前、大内裏をあとにする兵部卿宮ひょうぶきょうのみやの牛車を追うように、無表情で出て行った中務卿なかつかさきょうと“六”を目撃した“壱”は、不穏なことの成りゆきを察して、ふたりにコッソリあとをつけさせていが、案の定、すぐに二人の尾行に気がついた“六”と目が合うと“弐”は“伍”の口を押えて、あとは任せろとばかりに、ニッコリ笑みを浮かべて見送っていた。そして今現在に至る。


“壱”のカンは鋭かったが、生憎と人選を間違えていた。我が身が一番大切な“弐”は、人気のなくなった朱雀大路すざくおおじの片隅で、女童めわら事件での“伍”の人質の代わりにもならなかった式神の不出来を、ことさら馬鹿にして、「いまここで名誉挽回の時!」そんな風に“伍”を、きつけるだけきつけると、周囲で巻き起こっている事件を、傘の下で面白そうに傍観ぼうかんしていたが、やがて現れた“元無能親王”に目を丸くした。


「すげーな、あの“かえる”俺でも元に戻せないぞ」

「僕にも無理ですよ……っと、できた!」


“伍”はそう言いながら、左大臣家でもらった丈夫な料紙で作った兵部卿宮ひょうぶきょうのみやソックリの“式神”を、朱雀大路すざくおおじの真ん中に立たせて姿を隠す。


“式神”は、雨も上がってかなり立ってから、引き返してきた兵部卿宮ひょうぶきょうのみやの大慌ての供人たちに、新しい牛車に乗せられて帰って行った。“伍”は「今度こそ!」そう思いながらそっと牛車を見送る。


 一方、朱雀大路すざくおおじに戻って、やはり姿を隠していた中務卿なかつかさきょうは、なんの後悔もなく、むしろなにか汚い物でも触ったような顔で、血のついた拳にチラリと目をやって、顔をしかめたまま、“式神”の乗った牛車を見送ると、さすがに少し疲れた表情の“六”や、残りの二人と連れ立って、一旦、目と鼻の先にある自分のやかたに帰る。


「……あのまま、息の根を止めようと思っていたのだが?」


 中務卿なかつかさきょうは、兵部卿宮ひょうぶきょうのみやを、あのまま“くびり殺す”つもりだったのに、彼を“かえる”に変えてしまった上に、元の世界に戻した“六”に憮然ぶぜんとした顔で、冷たい言葉を投げた。


「……から」

「え?」

「もし、あの優しい姫君が、ご自分のために、貴方が人をあやめたと知ったら、耐えきれぬことでしょうから」

「……」


 中務卿なかつかさきょうは、なにも答えぬまま、ずぶ濡れの自分たちを見て大騒ぎしている家人を無視して、いつもの直衣のうし姿に着替えを済ませ、今度は“六”たちと一緒に後宮の登華殿とうかでんにほど近い、荷物を出し入れするための門をくぐり抜けた。


 門番をしている近衛府の下級武官たちは、もともと彼らの顔も知らなかったが、誰が見ても目立つ容貌の“六”はさすがにまずいと、“弐”が彼らに目くらましの幻術をかける。


 丁度、多くの荷物が左大臣家から届いて、大騒ぎになっていた最中のことであったので、ふたりのことを左大臣家の家人と思い込んだ門番たちは、あっさりと彼らを中に入れ、一行は人気ひとけのすっかりなくなった皇后宮職こうごうぐうしきの中にある皇后宮職こうごうぐうしきの別当の部屋になだれ込んだ。


「今日の夕刻、少し曹司を貸してくれ」


 中務卿なかつかさきょうは、そう彼に手紙を出しておいたが、もう彼は退出した様子で、中はガランとしていた。文机には、「ご自由にお使いください」そう一筆。


 ことなかれ主義で小心者の彼は、鋭敏になにかを察知して、皇后宮職こうごうぐうしきの官吏一同と共に、早々に退散した様子である。中には待ち合わせをしていた蔵人所くろうどどころの別当がひとりで碁石を盤に並べていた。


「待ちかねたぞ!」

「色々とな……」


 別当はけげんな顔で、中務卿なかつかさきょうを見ていたが、やがて大きく息を吐く。


「なにか面倒事でも?」

「……いいや“内裏の中”は至極平穏だ」


 早くも兵部卿宮ひょうぶきょうのみやの“おかしな事件”を耳に入れていた蔵人所くろうどどころの別当は、問いかけにそう答えながら、目の前の男が“なにかをしでかした”そんな確信はあったが「面倒事は裏でやってくれ」そんなことを言ったのは、自分だったと思い出して、肩を杓で叩きながら、まあ自分には関係のない内裏の外の出来事だと、そのあとに起こった兵部卿宮ひょうぶきょうのみやの騒動は、無視を決め込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る