第117話 三箇夜餅 4

 中務卿なかつかさきょうは、姫君と一緒に食事をとりながら、取り急ぎの肝心なことをたずねてみる。


「姫君は“三箇夜餅みかよのもちいの儀”の話を、聞いていらっしゃいますか?」

「え?」

「……」

「お餅?」


『まったく聞いていない……』


 葵の君の口の端についたプリンのかけらを取って差し上げながら、中務卿なかつかさきょうは、姫君の自分がここにきた理由すら分かっていなさそうなご様子に、はじめからなにもする気はないが、「せめて最低限の説明はしておいて下さい」と、眉をひそめつつ、大宮の顔を思い浮かべていた。


 母君が聞けば、「ちゃんと説明はしたはず」と、首を傾げられたことと思われたが、あいにく彼にはあずかり知らぬことであった。


 仕方がないので姫君に、内実は緊急の避難措置であるけれど、正式な婚儀だと周囲への周知への布石として、三箇夜餅みかよのもちいを執り行ったという体裁のため、これから三日間は夜になると、自分がたずねてくることなどを話し、最後にひと言つけ加えようとする。


「形式上のことゆえ、姫君は普段と変わりなくお過ごし下さい。わたくしは内裏から持ち込んだ仕事をしま……」


「仕事をしますので、お構いなく」そう言おうと思ったのに、少し首を傾げていた姫君は急に明るい顔をして、顔の前で手をあわせ、「せっかく通っていらっしゃるなら、ぜひ剣術を指南して欲しい」そんな、とんでもないことを言い出した。


「姫君が剣術など覚えてどうするのですか?」


 眉間を指で押さえ、大きく息を吐いてからたずねる。


「わたくし二度も怨霊に出会って、なんの役にも立たなかったことを、本当に反省しています! やはり日々の鍛錬が大切だと猛省し、きちんと稽古を積もうと思いました! 是非、中務卿なかつかさきょうに、御教授を頂ければと! 丁度、よかったです!」


「~~~~」


『そんな方向で、反省してもらいたかった訳では、決してないのだが』


 中務卿なかつかさきょうこと、源将仁みなもとのまさひと元皇子は、そうは思ったが、葵の君のしごく真面目な表情を見ていると、いままでの姫君の行動を振り返るに、このまま却下しても、また騒動を起こしそうであるし、確かにこの先、怨霊が現れた時に役に立つかもしれないと、しぶしぶながらも了承した。


 いつものことながら明後日あさっての方向に走ってゆく、そんな姫君の真面目さは、やはり大宮に似た浮世離れなのだろうか? 彼は頭が痛くなってきた。


「南無阿弥陀仏……」


 そう呟きながら、うれし気な姫君に案内されて、たどりついたのは、葵の君が、なにかと重宝している大きな御堂おどう。中には例の御神刀ごしんとうと薬師如来像。


 中に入り扉をしっかり閉めてから、どこからか姫君が取り出したのは、蔵人少将くろうどのしょうしょうのものであろう、小ぶりの竹光でできた飾り太刀だった。


「……」


 なるほど、通用はしなかったが、姫君の慣れた太刀捌きに、中務卿なかつかさきょうは納得する。


 どうやら姫君は御神刀ごしんとうを手に入れてからというもの見よう見真似で稽古を積んでいたらしい。ご自分で器用に長い髪をうしろで、ひとつに高く結えた姿は、以外にも凛々しく、いつもより余程、似合って見えた。


『そんなつもりで渡した訳ではなかったのに……』


 そう思いながら、諦め半分、怪我をさせぬよう、姫君の相手をするが、一を教えれば十を知る、そんな風に少し教えただけで、みるみるうちに上達する姫君の綺麗な太刀筋と、体捌きに目を見張る。一度の手ほどきで、これほどのことを軽々とやってのける才能が、そら恐ろしかった。


 葵の君にすれば、時代も流派もなにもかも違う上に、木刀での稽古ばかりではあったが、前世での十七年近い稽古の、基礎と鍛錬ありきであった。(もちろん彼はそんなことは知らない。)


 それから三日間、周囲がふたりで御堂おどうで、薬師如来像を拝んでいると思っている間、葵の君は、当代きっての武芸の達人と呼ばれる中務卿なかつかさきょうと、剣術の稽古に励んでいたのであった。


 中務卿なかつかさきょうは、はじめはしぶしぶであったが、まるで幼い頃の自分のように、闊達かったつで覚えの早い葵の君に、稽古をつけるのが以外にも楽しかったので、気の重かった左大臣家への通いが、存外に楽しい息抜きとなり、仕事帰りに左大臣家に訪れては葵の君とふたりで食事をし、数刻の稽古をつけてから、姫君がお風呂に入り髪を乾かしていたり、細々と出仕の準備に勤しむ横で、持ち帰り残業を淡々とこなしていた。


 そんなこんなで、三箇夜餅みかよのもちいの本来とは、かけ離れたふたりの三日間は、あっという間に過ぎてゆく。葵の君にとっては、楽しくて緩い部活の合宿だった。


「なんだあれ?」


 宿直とのゐにきて御堂をのぞき見した“弐”は、夢でも見ているのかと、自分の目をうたがってしまっていたが。


 いきおい左大臣家の風呂殿を借りることになった中務卿なかつかさきょうは、その構造の違いと心地よさに驚き、姫君が参内したあと、自分のやかたに帰参することもあるだろうからと、自分のやかたにも設置しようかと姫君にうかがうと、やはり嬉しそうだったので、言ってみてよかったと安心する。


 後日談として彼は、一応臣下の中でも、最高額に迫る食封じきふ(給料)が出る公卿くぎょう(政治家 兼 高級官僚)であった上に、特に無駄遣いもしていなかったので、出せぬ金額ではなかったが、財政を管理している、やや節約が過ぎる、家人の猩緋しょうひは、風呂殿の建築費用に驚いて、数日ほど寝込むことになった。


 三日目の夜が明け、真白の陰陽師たちは、御堂おどうに通され、葵の君の周りに方陣を敷き、姫君にできうる限りの『封じ』をする。


“六”は、少し寂しそうに、姫君を見つめたあと、初めてこの世界にきた時に身につけていた小さな宝珠に似たものを、葵の君に再び渡してから、ふたりの前を一旦下がった。


 中務卿なかつかさきょうは、儀式と『封じ』に疲れたのか、朝だというのに御堂おどうから帰り、小さく丸まって畳の上でウトウトしだした葵の君を、そっと布団の中に差し入れる。


 しかし彼は眠っている姫君を、一度ゆり起こし、ボンヤリしている彼女に口づけをひとつ落としてから、体になんの変化もないことを確かめると、また眠ってしまった姫君の髪を撫ぜ、うしろで様子をうかがっていた“六”たちは、左大臣家をあとにした。


「これだけが、姫君を愛したわたくしが差し上げられる“忠心”と“真心まごころ”。いつの日にか現れる、あの姫君に、葵の上に、気づいていただけますように」


 中務卿なかつかさきょうは、いつの日か自分が姫君を大切に思うように、姫君が愛し愛される相手ができるその日まで、姫君を守り抜くことだけが、ご自分の役目と再び心に刻み、葵の君が目を覚ますと、通い出してから三日目に、祝餅でもって催される、“三箇夜餅みかよのもちいの儀”のクライマックス、つまり正式に夫婦となった証の祝の宴は、つつがなく行われ、関白や左大臣家の一同に、ふたりが正式な夫婦として成立したという、お披露目をしたあと、彼は、左大臣のやかたをあとにした。


 ひょっとして葵の君が、一歳年上の藤壺の姫宮のように、色めいた情緒のようなものを、少しでも、かもし出せたり、持ち合わせていれば、時代的な背景もあり、話はまた変わったのかも知れないが、生憎、彼女には『やる気・元気・勇気』そんな健康的な標語と雰囲気しか、持ち合わせがなかったので、なにも、かもし出せてはいなかったので、葵の君は、母君が涙ぐむ中、少し照れつつも、「お餅おいしいな」、などと、中務卿の横でパクパク食べているのを、微笑ましく見つめられているだけだった。


 それに中務卿なかつかさきょうも、色恋の話になると、不器用が息をしているような人間であったので、二人の愛と恋は、ひとまず無事に封印され、あっという間に日々は過ぎ、葵の君はなんとか無事に、初出仕の牛車に乗りこむことと、ようやく相成ったのでございました。


 *


『平安小話/左大臣家のお風呂』


弐「あの建物は風呂殿らしい……」左大臣家の話をしている。


六「大きすぎないですか?」ナゾ建物だなぁと思っていた。


弐「なんか、こう、大きなタライが二つあって、温泉のようなものが、たっぷり入っているらしい」牟婁(和歌山に行った時に入ってきたことがある)


六「ふーん」


六「温泉ってなんですか? おいしいんですか?」


葵「よ、よかったら、帰りに入って行って下さい。早朝は誰も入っていませんから!」なんか申し訳なかったと慌てている。


寝起きの紫苑が、なんでわたしがとか言いながら、風呂殿を案内しているのでした。


六「凄い……」


紫「“特別”に入ってもいいって姫様がおっしゃっていました」“六”なんか、特別扱いしなくてもいいのにと、プリプリしながら姿を消した。


伍「うちにも、あるといいですねぇ……」隣の巨大なタライに入っている。


六「わっ!」


弐「これ、商売にならないかな……めっちゃ気持ちいい……」


結局、全員で朝ご飯風呂に入って帰ったのでした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る