第63話 夜想曲 2

化物ばけもの……」


「君に言われてもね、“よみがえりの呪法に取り憑かれた破戒僧はかいそう”とは、君のことだろう? 少し調べただけで、すぐに分かったよ。可哀そうに、実に興味深い高尚な研究なのに。世の中の連中ときたら、本当になんにも分かっちゃあいない。君の真摯な研究は、どれだけ尊いものか……」


 たいそう同情した口調でそう言う刈安守かりやすのかみは、もちろん“ラスコーリニコフの理論”の存在は知らなかったが、葵の君がそれを歪曲することで“正義の鉄槌”として利用しようとしたのに対し、もし彼がその理論を用いるとすれば、正にひとつの取るに足らない命によって医学を高め、多くを助けるための尊き行為だと、標榜ひょうぼうしたに違いなかった。


 彼にとって妹君の命以外は、等しく“モノ”でしかなかったから。


「あいだてなし……」


『あいだてなし/度が過ぎている』と言う法師を、刈安守かりやすのかみは鼻で笑う。


「墓を掘り起こし、人骨を漁る破戒僧が、なにを言う? 徳高き尼僧の墓標を掘り起こす冒涜を犯した君こそ、わたしに言わせれば、あいだてなく、狂気に陥った存在にしか思えぬが?」


 高尚な問答とは遠くかけ離れた会話の末、法師は刈安守かりやすのかみと自分は、お互いが利用しあえる立場である事実を認め、まるで腐肉を差し出された餓鬼のように、彼の狂気に引きずられ飲み込まれた。


 彼の研究の“残り物”を有効利用することが、死者へのせめてもの慰めと、自分に言い訳し、やがて恐る々々手伝いはじめる。


 その結果、年月が経って風化した“ソレ”よりも、彼が提供してくれる“ソレ”の方が、格段に効果が高いことを法師は突き止めた。


 その甲斐あって、煤竹すすたけ法師は“黒い呪法”の集大成ともいえる『蘇りの呪法』を遂に完成させ、つるばみの君と対面した頃には、紙を張りつけたような黒い目は、なにかを見ているようで、なにも見てはいない、そんな具合になっていた。


 どうせ誰も分かってくれはしないのだ。それならば、この男に協力して己の修行を完成させようと法師は思い、破戒僧から“人でなし”に身を落とす。


 彼の『よみがえりの呪法』の材料は『新鮮な人骨に沈香と乳香』そして、彼自身の血を吐くような、修行の末に練り上げたしゅに近く、遥かに黒々とした読経。


「妹君が心配でね。こうして読経を頼まねばならぬ時、君が捕まらない時は大変だ。なんとかなればよいのにね」

「ならぬ方が、よきことかも知れませぬな……」


 妹君のことが心配で、そうでぼやく刈安守かりやすのかみに、煤竹すすたけ法師はそんな言葉を返すと、静かに席を立つ。目の前の男が自分を監禁しようと考えつく前に、やかたを出た方が賢明だと思ったからだ。


「おや? どこかお出かけかな? 泊まっていけばよいのに」

「さる高貴な方から呼び出しを受けておりまして、早々に参らねばなりません」

「おやおや、徳の高い煤竹すすたけ法師はお忙しいね」

「貴方様ほどではありません。それより最近、派手にやり過ぎたのでは? ここへくる途中も、そこら中を検非違使けびいし共が、走り回っておりましたよ」

「できるだけ新鮮な骨が欲しいなどと、君が贅沢を言うからだろう?」


 そううそぶく彼に、煤竹すすたけ法師は、己は己自身の法呪を完成させたいという欲望のために、地獄ゆきの道を選んだ自覚はあるが、目の前の男には、物事の簡単な善悪の概念すら欠落しているのを確信する。


 彼にある人間らしさは妹君である、つるばみの君への執着心だけ。そしてその狡猾さには恐れすら抱く。


 数週間前、彼に頼まれて、法師は京の市場に、自分の仕留めた獲物を時々持ってきている、貧しい猟師に内心で念仏を唱えてから、ワザと刈安守かりやすのかみのうわさを耳に入れていた。


「ひょっとして君は大和国やまとのくにの猟師ではないかね?」

「へ、へえ、そうでございやすが、一体どうして……」


 猟師はいぶかしがるが、法師が言うには彼が知っている、とある貴族が話していた“特別な猟師”が自分ではないかと思って、声をかけたらしい。


 自分の赤くて大きな鼻は、いつも他人の印象に残るので、おかしな話ではない。一瞬、法師が自分の抱えている秘密を知っているのではと警戒したが、そんな素振りはなかったので、猟師は彼に思いきって、たずねてみた。


「もしや、その貴族様を法師様はご存じで?」

「まあ、知っているといえば、知っているかもしれぬが……」 


 歯切れの悪い返事に、猟師は頼み込んで、貴族の名とやかたを教えてもらう。

 彼は大喜びで何度も礼を言いながら、市場をあとにしていた。


 猟師は以前、刈安守かりやすのかみの猟に同行し、大和国やまとのくにで、彼が初めておこなった“女童狩めわらがり”に同行し、金のために口をつぐんでいた“特別な猟師”であった。


 不相応に手に入れたあの時の金は、あっという間に賭事アソビに消えて、再び困窮した生活を送りながら、あの時の貴族に今一度、巡り合えぬものかと、京の市場に時々足を運んでは、ガッカリして帰る。その繰り返しの日々を過ごしていた。


 もし法師が教えてくれた貴族が、あの時の貴族であれば、自分を黙らせるために、最低でも倍以上の金を払って、獲物を買い取ってくれるだろう。


 あるいは、これから先ずっと、彼からの見返りが期待できるかもしれない。


 下卑た笑みをこらえ、法師に教えられた刈安守かりやすのかみのやかたにやってきた猟師は、そっとやかたに忍び込む。性格はともかく、彼は一流の猟師であった。


 思ったとおり、ここのあるじが以前出会った貴族だと気づくと、庭から彼の前に姿をあらわし、卑屈なほどにこびを売り、暗に大和国やまとのくにでの狩りをほのめかす。


 貴族は驚いた様子もなく、自分を思い出してくれて、彼の思惑通り、いや、思惑以上、これから彼が持ち込む獲物は、相場の三倍で買い取ってくれるとさえ言ってくれた。


 大いに気をよくした猟師は、進められるままに、夢見心地で食べたこともない上等の食事を口にし、やがて気を失う。


 食事に混ぜられていたのは、刈安守かりやすのかみが持っている、鎮痛効果があるが、強い幻覚作用のある幾種かのきのこの粉末。その粉末が、当代一流の医師でもある刈安守かりやすのかみの手によって、料理に注意深く仕込まれていた。


 大きな石の台のある暗い部屋に閉じ込められた猟師は、ぼんやりとした意識のまま、食事を取っては再び眠りにつく。そんな単調で同じような数日を過ごし、あの日、さくの月の夕刻に気がつけば、広大な庭の端で、強い刺激臭で目覚めさせられた。


 猟師はきのこの粉末の影響と、刈安守かりやすのかみの巧みな誘導により、やかたを自分の貧しい小屋と思い込み、京の街や行きかう人々は、故郷の山や獣に見えてゆく。耳に聞こえるのは、刈安守かりやすのかみの言葉だけ。

 

 幻覚と刈安守かりやすのかみの言葉により、みるみる間に彼の頭の中を、故郷の山森の情景が覆い尽くし、それが彼にとっての現実になりゆく。


「ほら、あそこを見てご覧、ゆっくりと歩くきじがいるね」


 指差された方角を見ると、確かに遥か遠くに、いままで見たことがないほど、美しく大きなきじがいた。


「あぁ、あんなところに……いつの間に、山に帰っていたんだろう?」

「君が案内してくれると言って、帰ってきたのではないか」


 そう言われれば、そんな気もした猟師は、焦点が定まらぬ目を、なんとか“女童きじ”に合わせる。


「美しいきじだ……」


 猟師はそう言って、ふらりと立ち上がろうとして、やんわりと頭を押さえつけられた。刈安守かりやすのかみは、自分の愛用してきた短刀を、彼に手渡し耳元でささやく。


「あのきじは、もうすぐ小屋の前にやってくる。目立たぬよう、前の草むらに隠れて待つといい。君の腕ならきっと仕留められるだろう」


「今度も高く買ってくれるのか?」

「もちろんだ。君の獲物は新鮮だ……気をつけたまえ、今日はおおかみも沢山潜んでいるようだから」


 そう言われた猟師はコッソリと、やかたをあとにして、夕闇に紛れて路地を渡り、柴垣(芝木を編んで作った垣根)と背の低い枝木の間を這いながら姿を消す。


 身に染みついた狩りの本能だけ残して、刈安守かりやすのかみに、されて、壊れた頭の猟師には、女童めわらに扮した葵の君は、美しいきじにしか見えない。


「………」


 その前日、煤竹すすたけ法師は逃げるように、京の街をあとにしていた。


 彼は桐壺更衣きりつぼのこういの母君の小さなやかたにつくと、悪霊よりもタチが悪い、そんな男と取引をして手に入れた『よみがえりの呪法』を唱え、伏したまま浮かぬ顔であった桐壺更衣きりつぼのこういを、再び見事に元気な姿に戻す。


 彼女は自分がはじめて成功した、完璧によみがえった人間であったゆえに、前回の『よみがえりの呪法』は、やや利きが弱かったようだ。


 今回、念入りに調整を重ねた『沈香と乳香』の加減で、彼女は母君の願いどおり、明るく朗らかな気力さえ取り戻した様子で、煤竹すすたけ法師は、己の犯した罪が少しでも軽くなった気がした。


 自分の向かいで大喜びしていた桐壺更衣きりつぼのこういの母君は、大いに法師を歓待し、勧められるままに離れに一泊した彼は、刈安守かりやすのかみの毒気を忘れるために、しばらく山に籠ろうと考え、丁寧に桐壺更衣きりつぼのこういと母君に挨拶をすませると、山へと足を向けていた。

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