第61話 小夜曲 2

 無事に光源氏との結婚フラグをへし折って、彼に告白し、勢いに乗って、プロポーズを受け入れてもらえれば、あと三年で晴れてわたしは自由の身!


 一夫多妻だけど、一妻多夫は法律上、絶対に無理だもんね!


『いま、目から鱗が何百枚も落ちた!!』


 年の差婚に見えるけど、中の人のわたしは、実はもう二十歳だし、なんなら元の葵の君の年を足せば、もう三十歳! 三十路! 大丈夫! 年の差は、全然、大丈夫!


 なにが大丈夫なのか、彼女は自分の都合のいいように、そう解釈すると、他の皇子との結婚も避けるためには、是が非でも帝の命を助けると同時に、弱みを握っておかねばと再び決意する。


 諸々の問題をなんとしても、あと三年以内で片づけて、今生での合法年齢になったら、彼に結婚を申し込もう!きっと、元の葵の君だって、喜んでくれると思う。あんなカッコイイ命の恩人なんだから! 早く光源氏と六条御息所ろくじょうのみやすどころとの縁をつながないと!


 いまだって中務卿なかつかさきょうには、母君の次に大切にしてもらっているから、自分の問題さえ片づけられれば、高確率でハッピー・エンド! プロポーズを受け入れてもらえるはず!


 それにいまのわたしは、周りから散々言われているとおり、並ぶべく貴族も存在しない摂関家のひとり娘。元皇子の彼と身分で引けも取らないし、やや血が近いような気もするが、時代的になんの問題もなし!今回の事件では、悲しいほど役に立たなかったけれど、成功させてみせる!


 舞い上がった彼女は、摂関家の姫君の宿命さだめともいえる、入内を蹴り飛ばす決意をし、庭に咲く水仙に向けて、ニッコリと笑みを浮かべた。


 家族に迷惑はかけたくないので、表向きは円満に妃の地位を辞退したいとは思う。


 葵の君は中務卿なかつかさきょうを想うように、ポロンと“螺鈿らでんの君”の弦を一本、弾いて鳴らした。


 女君からのプロポーズなんて、ありえない話なのは頭になく、彼女の心の中を知らない紫苑や女房たちは、まるで一幅の絵のような光景だと、うっとりとことを見ている姫君を、拝むようにながめていた。


『わたしが貴方を選んで、貴方がわたしを選んでくれる』


 葵の君は、そんなハッピー・エンドのために、なんでもしようと心に決めて“螺鈿らでんの君”を愛おしそうに撫ぜてから、布団に入ろうと優雅に立ち上がる。


 それ以降、彼女の光源氏に対する憎しみや憎悪は、より昇華され、彼に対してしばらくの間は、愛情の究極の対義語と言われる、無関心な感情すら抱くようになった。


 結婚の回避に関することは誠心誠意、頑張る決意はあるが、彼のことを考えて、イライラするよりも、中務卿なかつかさきょうが自分をどうしたら、大人として見てくれるようになるか、どうすれば誰よりも彼の大切な存在になれるかと考える方が大切だった。


 中身は大人なんだけど、現実がまだ十歳というのが地味にハンディ……。なるべく大人っぽい雰囲気を醸し出さねば……。いままでのことを振り返っても、彼にロリコン趣味はないし、これからかなり背伸びをせねば! 絶対、母君みたいに、ふんわりした優しい感じがタイプだと思うし!


 女房たちは貴重なことを手に入れて、ことのほか嬉しそうな姫君の着替えを手伝いながら、これは知り合いに自慢しても大丈夫な話だと、お互いに確認しあい、それぞれにあちらこちらで、姫君は裳着の祝いに“螺鈿らでんの君”という素晴らしいことを、中務卿なかつかさきょうから届けられたと、うわさを広げて自慢する。


 それを伝え聞いた右大臣をはじめ、高位貴族である公卿たちが、中務卿なかつかさきょうと同等か、それ以上ではないと体裁が覚束ぬと、大層、頭を悩ますことになったのは別の話。


「はっくしゅ……!」


 姫君が“螺鈿らでんの君”の弦を鳴らした頃の中務卿なかつかさきょうといえば、あの時の式神でもいいから、嫁にもらっておけばよかったのにと、年老いた乳母に愚痴を言われ、西の対の弓道場に逃げ込んで大弓に手を伸ばしながら、盛大にクシャミをしていた。


天香桂花てんこうけいかの君』への不可思議な気持ちは抱きながらも、いまのところ彼にとっての葵の君は、彼女の予想通り、尊く大切な守るべき『幼き姫君』であった。


 彼は後日、ことのほか姫君が“螺鈿らでんの君”を大切になさっていると聞いて、やはり母君に似て、ことがお好きなのだなと、自分が持っていても、お蔵入りしているだけであったことが、姫君の心の慰めになったのを喜び、関白経由でやってきた姫君の税制改革の草案とも言える、多岐に渡る案件を実際の朝議に提出できるよう、中務省なかつかさしょうの官吏総出の体制で取りかかり、太政官とも協議を重ね、本来の仕事に没頭してゆく。


 自分が裳着もぎの祝いに“螺鈿らでんの君”を送ったことで、内裏で起きているうわさ話は、当然耳に入っていたが、馬耳東風であった。やるべきことは山のようにあるのだから。


「え? 中務省なかつかさしょう? 相変わらず“不夜城”になっているみたいだよ」

「まあ……」


 中務省なかつかさしょうの相変わらずの忙しさを、兄君から聞き及んだ葵の君は、宿直とのゐはともかく、ほぼ毎日定時に帰ってくる兄上は、一体どんな仕事をしているんだろうといぶかしく思いながら、裳着もぎや出仕に向けての準備に明け暮れていった。


 祝いの品は摂関家に所縁ゆかりのある地方からも続々と届き、巨大な何棟もの蔵の中はもちろん、ついには蔵の外にまで、はみ出す様相を見せだす。


『いった――い!』


 そして葵の君は、人生二度目の成長痛に悩まされるようになっていた。早く見かけだけでも、大人になりたいので、カルシウムとタンパク質を積極的に取り、痛みを我慢して、大豆、肉、卵の積極的な摂取、そして牛乳を飲むのを日課にしていたのである。


 遺伝的要素を考えれば、御祖父君は高身長だし、父君、母君もそこそこだから、多分、成長期入ってるよね! いててっ!


 実際の話、あまりにも背が伸びてゆくので、母君は葵の君の十二単じゅうにひとえを、来年の分はもう少し長めにあつらえねばと思うほどであった。

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