第25話  回りゆく歯車 3

“六”に迫る『かげ』は、抜き放たれた刀の輝きに、一瞬動きを鈍らせる。


「わっ!」


 葵の君は、“六”の驚きも知らずさやを抱きしめたまま、勢い余って尻もちをついてしまいそうになっていた。


 が、そこは昔取った杵柄、身に染みついている合氣道のうしろ受け身を取ると、揺れる建物の中でクルリと体を着地させた。(セーフ!)


 鯉口こいくち(※刀が不用意に抜けないようにする安全装置)でも、壊れかけてるのかなと思いながら、中務卿なかつかさきょうのうしろ姿を見ていたが、初めて目にする『実在する怨霊』に恐怖しながらも、両手で刀の鞘を強く抱きしめて、あとに続こうとする。


「動かぬように!」


 中務卿なかつかさきょうは、ついてこようとする姫君にそう言うと、刀を手に迫りくる影を易々と切り払って『石の枕』まで足を進め、無表情なまま枕に一刀両断、砕けよとばかりに剣を振り下ろす。


 すると、目を開けられぬほどの光が塗籠を覆った。


“六”と女童を包み込もうとしていた、『陰』のしろであった石の枕は、振り下ろされた刀の威力で、塗籠の中で派手に砕け散り、伸びていた触手のような影も、ずるずると姿を消してゆく。


 中務卿なかつかさきょうは振り向きざまに、立ち尽くしていた姫君を飛び散る石から、かばうように抱き上げ、女童めわらを抱き上げていた“六”と共に、塗籠からなんとか脱出した。


“六”は紫苑を床に放り上げるように立たせ、扉を強引に呪符の札で閉じ、息を潜めて扉を見つめる。


 やがて、あれだけ派手にぐらついていた揺れはおさまり、静かになった塗籠ぬりごめを用心しながらのぞく。


 元通りになったひのきの床には、石の枕のいくつかの破片が散らばり、床板の上でズブズブと焦げるような音を立てて沈みゆくのが見えた。


 そして漂うのは『沈香と乳香』の薫り……。


「なぜ、なぜ帝の文と同じ香りが……」

 中務卿なかつかさきょうのあとを、止める間もなく、ついて行った姫君を、慌てて追いかけてきた大宮は、震える声でそう呟き、床の上に崩れるように座り込んだ。


「帝の手紙……?」


 彼は姫君を腕の中に保護したまま、大宮の言葉に反応する。


「ご相談しようと思ったのは、そのことでしたの……」


 葵の君は、茫然と立ち尽くしている紫苑が心配で、他の女房を呼ぶが、いつもは必ずどこかに控えているはずの彼女たちは、何度呼んでも、誰もこなかった。


「降ろしてください!」

「どこへ?!」


 葵の君は中務卿なかつかさきょうの声には答えず、なんとか彼の腕の中から降りることに成功し、近くの女房のつぼねをのぞいた。


 女房は死んだように、ぐっすりと眠っている。隣のつぼねも同じく。


 この分では、東の対の女房は先ほどの影のせいで、全員が眠っているのであろうと思われた。


「恐らく怨霊は、なにかの加減で、女童めわらを姫君と取り違えてしまったのでしょう」


“六”は自分の考えを口にする。


 怨霊はいつからか『石の枕』をしろに、東の対に潜むと、遠くどこかから自分の力の化身である『影』を操っていたようだ。


 それを聞いた葵の君は、はっと紫苑の髪に目をやる。髪には昼間、自分が飾ってあげた、おそろいの花の髪飾り。


 怨霊はそれで間違えたのだろうか? 首から下げていた守りの宝珠は、その役目を終えたのか、気がつくと、いつの間にか消えていた。


「そんな……」


 葵の君は、体をカタカタと震えさせる。本物の怨霊と対峙した実感に、全身から汗が噴き出して止まらない。


 ここは紛れもなく『葵の上』が呪い殺された『怨霊の存在する源氏物語』の世界なのだ……。


 そして唐突に、葵の君は気づいた。心臓を揺り動かした、もうひとつの感情に。


 母君と同じように、今度はを命がけで守ろうとしてくれた中務卿なかつかさきょうに感じた感情。


『恋に落ちた自身の感情に』


 自分を助け出してくれた時、砕け散る石の破片から守るように抱き上げてくれた彼の肩は、飛んできた破片が当たったのか、ころもが少し破れ、血がにじんでいる。


 彼は心配げな目で見つめるの髪を撫ぜながら、怯える子供を安心させるように、冬場で着込んでいたから大丈夫だと、ふざけるような口調で言うと、薄く笑ってくれた。


 彼は光源氏とは違って、幼い少女に、なにかを考えるような人物ではない。


 そう……いまの自分はまだ九歳で、子供以外、可愛い姪以外、なんに見えるというのか。恋に気づいた途端、それは気がついても、どうしようもない恋だった。


 例え十九歳のままだったとしても、彼が、実の姪以外の目を向けてくれるとは、思えなかったけれど。


 今生の母君と同じように、の『神/アイドル』として拝むだけにしようと心に誓う。


 だっては、中身は分別と常識ある十九歳なのだから!


 ひょっとしたら怨霊にびっくりしすぎて、心臓がバグっているのかもしれないし! ナントカ症候群とか、心理的ナントカとか!


 彼女は恋愛に関しては、現代人の常識の範囲の人間であり、元々が光源氏とは真逆の、お節料理に入っている海老のように腰の引けた性格であった。



 *



『本編となんの関係もない小話/典薬寮のアンテナショップ編2』


 不慮の出来事で、“伍”に借りを作った“弐”。


弐「なにかいい儲け話ありませんか?」

壱「なんだ、副業は規定で禁止されているぞ」年末最後の大イベント『追儺』の準備中。

弐「そこをなんとかならないかなと! 先輩!」

壱「分かったから、先に仕事をする!!」


 地味な下働きの服を着て、『追儺』の儀式のための、内裏の色々な設営や準備を手伝いに行っている“弐”


弐「結構な特別手当になりました!」“伍”に無事に“蘇”の買い取りで借りた借金を返したのでした。

壱「身バレはしていないだろうね?」“弐”は陰陽師としては有能なのだけど、私生活が頭が痛いなあと思うのでした。

弐「大丈夫です! なにかあれば、これからもよろしくお願いします!」市場での買い物が大好きな“弐”

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